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第30話 本当に、ここにお住まいで?

 街道を走る馬車が、ごとごとと一定の揺れを刻んでいた。


 荷台には、結局ほとんど売れなかった野菜の箱が積まれている。行きよりも軽くなるはずだった荷は、ほぼそのままだ。見た目だけなら、ただ往復してきただけの空しい荷運びにも見える。


 その箱の脇に腰を下ろしながら、レインはなんとも言えない気分で手綱の音を聞いていた。


 もっとも、僅かな変化もある。

 荷台にはレインたち四人のほかに、セリナも乗っていた。


「すいません、また世話になって」


 御者台へ向かって声をかけると、前から陽気な声が返ってくる。


「気にするな。話し相手ができたと思えば悪くない」


 手綱を握っているのは、レインが街を出たときにも乗せてくれた行商人の男だった。年季の入った帽子をかぶり、相変わらず人のよさそうな調子で笑っている。


「しかし、まさか本当にあの廃村に住むとはなあ」


 その一言に、レインの肩がぴくりと揺れた。


「廃村?」


 隣に座るセリナが、すっとこちらを見る。


 声音は穏やかだったが、目はしっかり疑問を帯びていた。


「あ、いや……」


 咄嗟に誤魔化そうとして、レインは口ごもる。


 だが、ここで変に取り繕えば余計に怪しい。しかもセリナはこれから実際に畑を見に来るのだ。隠しきれる話ではない。


 レインは小さく息を吐いて、観念した。


「実は……住むところがなくて。街道から少し離れたところに、放棄された村があるんですけど、そこを借りてるんです」


「借りてる、って……廃村をですか?」


「正式にどうこうって話じゃないですけど、誰も使ってない土地だったので……その、畑を耕し直したんです」


 言いながら、自分でも苦しい説明だと思う。


 セリナの顔には、案の定、はっきりと驚きが浮かんでいた。


 やっぱりまずかったか。


 そう思ったところで、彼女は少しだけ身を乗り出した。


「ええと、その村というのは?」

「ここからしばらく行った平野にあって──」


「昔はノルードって呼ばれてた村さ」


 前から、御者のおじさんが気軽に声を投げてきた。


 その瞬間。


「ノルード……!?」


 セリナの目が見開かれた。


 レインは思わず身構える。


「えと……商売的に、何かまずいですか?」

「いえ、違うんです」


 セリナはすぐに首を振った。むしろ表情には、別の意味の驚きが混じっている。


「どうりで品質がいいと思って」

「え?」

「ノルードの野菜は、昔から質がいいことで知られてたんです」


 セリナは積まれた箱の野菜に目を向けながら言った。


「小さな村だから、仕入れの量は多くありませんでした。でも、土地がいいんでしょうね。どれも味がよくて、傷みにくくて、形も綺麗だった。父の代には、うちでもよく仕入れていたんです」


「そうだったんですか……」


 レインは少しだけ拍子抜けした。


 もっと“いわくつきの土地に住んでる変人”みたいな反応をされるかと思っていたのだが、返ってきたのはむしろ好意的な記憶だった。


 セリナは懐かしむように続ける。


「楽しみにしてるお客さんも多かったんですよ。『ノルードの野菜が入ったら声をかけて』って言う人もいたくらいで」


 その言葉に、背中の鉢を揺らしながらリーファがぴくっと反応する。


「……そりゃそうよ。村の人たち、畑上手だったんだから」


 小さく鼻を鳴らして言う声音は、明らかに少し機嫌がよかった。


 レインは苦笑しつつも、内心では驚いていた。


 村に残っていたのは崩れた家と荒れた畑だけ。もう忘れ去られた場所だと思っていた。だが、ちゃんと覚えている人間もいたらしい。


「けれど」


 セリナの声が少し落ちる。


「近くの森にコボルトの大群が住み着いたとかで、畑ができなくなったって聞いています。極めつけにドラゴンまで出て、村は放棄されたって」


「あぁ……」


 そのへんは、たしかにただの嘘ではない。

 レインは苦い顔で頷いた。


「コボルトはいました。けど、それはもう対策済みです」


 対策済み、という言い方はだいぶ丸い表現だが、間違ってはいない。少なくとも今の畑を荒らされる心配はない。


「ドラゴンは──今のところ、影も見てないですね」


 その言葉に、御者のおじさんが前で笑う。


「今のところ、ってのが若干怖えけどなあ」

「俺もそう思います」


 正直なところだった。


 実際に遭遇したわけではないが、“単なる噂だけ”で片づけていい気もしていない。とはいえ、今それを深く話す話題でもない。


 馬車はそのまま揺れながら進み、やがて街道の先に、見慣れ始めた風景がうっすらと見えてきた。


 広い草原。


 道から少し離れたところに寄り添うように並ぶ、崩れかけた家々。

 レインにはそれがもう自分の帰る場所として見えてしまうのが不思議だった。


「あれです」


 レインが指さすと、セリナが目を凝らした。


「あれ……ですか?」

「はい」


 馬車が村の近くで止まる。


 レインたちは礼を言って荷台から降り、御者のおじさんにも頭を下げた。


「ありがとうございました」

「おう。また機会があったら声かけな」

「はい」


 去っていく馬車を見送り、それから五人で草原を歩き出す。


 風が草を揺らし、夕方へ傾き始めた光が村の輪郭をやわらかく照らしていた。


 馬車の上から見るより、やはり近くで見ると村の荒れ具合は隠せない。屋根の抜けた家、傾いた柵、崩れた石積み。人の気配のない時間が長かったことを、景色の全部が語っている。


 その中を進みながら、セリナは驚いたように辺りを見渡していた。


「あの、失礼ですけれど」


 少しためらうようにしてから、彼女は口を開く。


「本当に、ここにお住まいで?」

「あ……ええ」


 レインは少し気まずさを覚えながら頷いた。


「まだ住み始めて数日なんですけど」


 言ってから改めて周囲を見ると、客観的にはだいぶ説得力の薄い返事だった。


 家、と言うにはあまりにもぼろい。

 村、と言うには何もかも足りない。


 よくこんな場所に人を連れてきたものだと、自分でも思う。けれど、ここが今の自分たちの居場所なのもまた事実だった。


 セリナはしばらく無言で村を見回していたが、やがて小さく息をつく。


「……想像していたより、その……大変そうな状態ですね」


「まぁ、四人だけでやってますから」


 後ろをついたてくるスイたちを、ふとレインが振り返る。


「でも、この村の状況で、畑を起こしてあれだけのものを作るなんて……」


 彼女の声には、呆れよりも感心の方が混じっていた。


 レインはその反応に少しだけ救われる思いがした。


 もっと露骨に引かれるかもしれないと覚悟していたからだ。


 とはいえ──問題はここからだった。


 畑を見せるだけならいい。


 だが、村には“畑以外の問題”が山ほどある。


 レインは前を歩くセリナの背を見ながら、なるべく面倒が起きませんように、と内心でわりと本気で祈っていた。

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