第3話 ……スライム?
村へ続く細い道は、半ば草に埋もれていた。
人の手が入らなくなって久しいのだろう。踏み跡は途切れ、道の端を示していたはずの柵も、ところどころが朽ちて倒れている。
レインは背負い袋を揺らしながら、その間をゆっくりと進んだ。
近づくほどに、村の荒れようははっきり見えてきた。
土地は一面が雑草に覆われ、腰の高さまで伸びた草が風にざわざわと波打っている。家々の壁は黒ずみ、屋根の一部が抜け落ちているものも多い。窓は割れ、戸は外れ、村の中央を通る小道には小石と枯れ枝が散らばっていた。
人の気配は、ない。
それどころか、生活の残り香のようなものさえ、ほとんど消えていた。
「……思ったより、ひどいな」
誰に言うでもなく呟く。
以前ここを遠目に見たときも、もう人は住んでいなかった。だが、記憶の中の廃村より、現実のそれはずっと静かで、ずっと冷たかった。
吹き抜ける風が、崩れた壁の隙間を鳴らす。
レインは小さく息を吐くと、行商人の言葉を思い出した。
──村に着いたら、まず寝られそうな家を見つけろ。
空を見上げる。西日はもうかなり傾いていた。村の端にある森の影がじわじわと伸びてきており、ぐずぐずしていれば、すぐに暗くなるだろう。
「確かに、思ったよりも深刻な状況かもな……」
今更になって、思いつきでここまで来た事を少しだけ後悔する。
……何はともあれ、とりあえず村の入口に近い家から順に見て回り始めた。
一軒目は、戸口に立った時点で駄目だと分かった。屋根が大きく崩れ、床板も抜け落ちている。雨風を防ぐどころか、夜のうちに壁ごと倒れてきてもおかしくない。
二軒目は一見マシに見えたが、中へ入るとカビの匂いが強く、奥の壁に大きな穴が空いていた。獣か魔物の巣にされていても不思議ではない。
三軒目は戸が全部外れている。四軒目は蔓草が窓から侵入して部屋の中まで広がっていた。どの家も外で寝るのと大差ない。
「……野宿は危険、か」
思わず苦笑が漏れる。
村は静かすぎるほど静かだが、それは安全だという意味ではない。人がいないなら、別の何かが入り込んできてもおかしくないのだから。
少し足を速める。
日が沈むにつれて、村の輪郭が少しずつ曖昧になっていった。
崩れた家々の影が長く伸び、どこもかしこも同じように見え始める。風が強くなるたび、草むらがざわりと揺れ、そのたびにレインは足を止めかけた。
気を張りすぎだ、と自分に言い聞かせる。
だが、街の宿とは違う。ギルドの大部屋とも違う。ここには、自分を守ってくれる壁も、頼れる仲間もいないのだ。
「せめて、戸が閉まる家……」
そう呟きながら、村の中央から少し外れたあたりまで来たときだった。
一軒の家が目に留まった。
他と比べれば──まだマシな気がする。
屋根は一部崩れているものの、大半は残っている。壁も傾いてはいるが、今夜のうちに倒れそうなほどではない。表の戸は斜めに歪んでいたが、完全には外れていなかった。
慎重に近づき、戸に手をかけた。
ぎ、と鈍い音を立てて、戸がわずかに開く。
中は薄暗い。窓から差し込む夕日が斜めに床を照らし、その光の中で埃がゆっくり舞っていた。家具らしいものはほとんど残っていないが、床板はまだしっかりしている。隅に積もった枯れ葉と土を払えば、寝る場所くらいは作れそうだった。
「……ここなら」
ひとまず今夜はしのげるかもしれない。
そう思って、一歩、中へ踏み込む。
そのときだった。
部屋の奥、壁際の影が、ほんのわずかに動いた。
反射的に身をこわばらせる。手が腰の短剣へ伸びかけて、途中で止まる。
影は、こちらに飛びかかってくるでもなく、ただ、もぞもぞと所在なさげに揺れていた。
目を凝らす。
丸く、小さい。半透明で、夕日の残りを受けてかすかに光っている。
「……スライム?」
思わず拍子抜けした声が漏れた。
小さなスライムだった。
子どもの頭ほどもない、小型の個体だ。
村の静けさの中でひっそり息を潜めていたのだろう。いや、息を潜めるという表現が正しいのかは分からないが。
とにかくこちらに気づくやいなや、スライムは慌てたように体を縮め、壁際から離れようとしていた。
ただ……驚くほど遅い。
必死に逃げようとしているのは分かるが、ぷるぷると震えながら、ほんの少しずつしか進めていない。
「…………」
レインはしばらく無言でその様子を見ていた。
全然、逃げられていない。
本人──本スライムはたぶん全力なのだろうが、急いでいるようにはまったく見えなかった。
やがてスライムの方も、これ以上は無理だと思ったのか、部屋の隅でぴたりと止まる。逃げ切れないなら、せめて小さくなってやり過ごそうとしているようにも見えた。
レインは思わず、少しだけ肩の力を抜いた。
「……悪い。驚かせたな」
もちろん、スライムが言葉を理解するはずもない。だが、そう言わずにはいられなかった。
床に背負い袋を下ろし、部屋の中を見回す。窓は一つ割れているが、風向きからして今夜はそこまで冷え込まないかもしれない。
問題はない。
ただ、先客がいた事を除けば。
レインはもう一度、部屋の隅のスライムへ視線を向けた。
小さな体が、じっとこちらを見ている気がする。目があるのかどうかも未だに解明されていないが、不思議とそう思えた。




