第25話 とにかく、いろいろ足りないのだ
村に来て、数日。
最初はただ雨風をしのげればいいと思っていたこの廃村での暮らしも、少しずつ“いつもの朝”らしいものができてきていた。
──もっとも、その“いつも”は、静かとか穏やかとか、そういう言葉とはどんどん逆方向に向かって行くのだが。
「ちょっとあんたぁ! 今何しようとしたぁ!」
朝っぱらから、家の外にリーファの怒声が響き渡った。
寝起きの頭を抱えながら外に出ると、家の脇に出しておいた苗木の前で、リーファがぷるぷる震えている。その視線の先には、耳と尻尾をぴんと立てたルゥがいた。
「何怒ってる?」
「何怒ってる、じゃないわよ! あんた今、わたしの宿木に何しようとしたのよ!?」
「ナワバリの確認」
悪びれもせず、ルゥは言った。
……あぁ。つまり、マーキングか。
「ダメに決まってんでしょっ! ちょっと離れなさい! 離れろって言ってんの!」
「あの、あのっ……! ルゥちゃん、そこはだめです……! 人間は、そういう事しないみたいです、たぶん……!」
二人の間でおろおろしながら、スイが慌てて両手をぶんぶん振る。
ルゥは小首をかしげた。心底不思議そうな顔だ。
「だめなのか?」
「だめだ」
俺は即答した。
ルゥがこちらを見上げる。
「植物も元気になるぞ」
「そうなのか? ……いや、そういう話じゃない。とにかく、人間の姿でそれはダメなんだ」
「……分かった」
納得したのかしてないのか微妙な顔だったが、とりあえず一歩下がった。リーファはすぐさま苗木を抱え込むようにしゃがみ込み、枝や葉に異常がないか確認し始める。
「はぁ……っ、もう……! 朝から寿命縮んだんだけど!」
「大げさ」
「大げさじゃないわよ! この子がどれだけ繊細だと思ってんの!?」
「栄養いっぱいあげたほうが大きく育つ」
「養分ならスイの方がまだマシよっ!」
スイがビクリと肩を震わせた。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
新しい仲間が増えて賑やかになった、とは思う。
ただその“賑やか”が、良い事なのかどうか、まだ少し判断に困るところだった。
「レインさん……朝から大変ですね……」
隣に来たスイが、心配そうに見上げてくる。
「そうだな……」
ほんの少しだけ遠い目になりながら答えると、スイは困ったようにえへへと笑った。
……まあ、きっと。悪い事ではないんだろう。
少なくとも、この村に来たばかりの頃みたいな、底冷えする静けさよりはずっといい。
◇ ◇ ◇
ひと騒動のあと、ようやく朝食の支度が整った。
とはいっても、豪華なものではない。机の上に並んでいるのは、畑で採れた野菜を切り分けただけのものばかりだった。
葉物。根菜。少しばかりの果実。
問題なのは、それだけだという事。
もともと持っていた塩や燃料は、とうとう底をついていた。
「……生野菜だな」
思わず呟くと、向かいに座ったリーファがむっと眉を上げた。
「文句あるわけ?」
「いや、野菜そのものに文句はない。むしろ助かってる。ただ……」
口に運ぶ。
しゃくっ、と小気味よい音がした。
みずみずしくて、青臭さも少ない。正直、味はかなりいい。いいのだが──。
「さすがに毎食これだけだと、ちょっとつらいな……」
「そういえば、こないだもその話してましたね」
スイもこくりと頷いた。
「肉もない。魚もない。これだと野うさぎと同じご飯。ルゥ大きくなれない」
ルゥが耳を垂らしながら皿を見つめる。
「確かに。ルゥには物足りないか」
自分で言い出しておいてなんだが、改めて食卓を眺めると、侘しさが増した。
視線を部屋の中へ巡らせる。
ボロボロの机と椅子。なんとか使えているだけの食器。壊れて使い物にならなかったベッドは、もう外へ運び出した。俺は持っていた毛布を床に敷いて寝ているが、スイたちはそのすぐそばの床だ。
今はまだいい。
だが、このまま季節が進めば話は別だ。
「……冬が来る前に、色々とどうにかしないとな」
「冬?」
ルゥが首をかしげる。
「あぁ。このままだと寒さには耐えられない」
「寒いのは平気」
「お前はそうかもしれないけど、俺は平気じゃない」
はっきり言うと、スイもおずおずと手を挙げた。
「わ、私も……たぶん、凍っちゃうかもです」
「スライムって寒さで凍るの!?」
リーファが顔を引き攣らせる。
「たぶんですけど……かちんってなったら、動けなくなると思います……」
「確かに。冬の間雪に埋まって凍ってるスライムをたまに見かけるな」
「春になれば溶けるんですけどね」
リーファも頬杖をつきながら、不満そうに言う。
「ベッド、直せないの?」
「直す材料がないだろ。釘も木材も布も足りない。毛布だってもう一枚二枚じゃ済まない」
言いながら、自分でもはっきりした。
足りない。
とにかく、いろいろ足りないのだ。
塩。油。布。金具。道具。寝具。できれば保存の利く食料も欲しい。
畑ができて、食べ物の最低限はどうにかなってきた。けれど、暮らしそのものを回していくには、それだけではまるで足りない。
「……資金、か」
口にした瞬間、三人の視線がこちらへ集まった。
「街に行くしかないな。何かしら金になることをしないと、この先きつい」
「テイマーの、お仕事ですか?」
スイが小さく尋ねる。
「それも考えたけど、厳しいな。今の戦力と装備で危ない仕事は避けたい」
「その方がいい。レインたち戦い向いてない」
ルゥが即答する。
「ルゥもそう思うか?」
「思う。三人守りながら戦うのは面倒」
ずいぶん率直だが、間違ってはいない。
俺も頷いた。
「まずは、安全に金を作る方法を考えたい。何か金になる物があれば良いんだが……」
しばし沈黙。
そこで、ルゥがふとリーファの足元を見た。
「あれは?」
指さした先には、宿木の苗木。
「は?」
リーファの眉がぴくりと動く。
「売ればいい。大事なら高く売れるはず」
「売るわけないでしょ!?」
「なんで?」
「だから、これは私の一部みたいなもんなのよっ! それなら、あんたの毛皮でも売ればいいでしょ!」
「うわ……リーファ、人でなし」
「なんでよっ!」
また始まった。
スイが「け、けんかはだめですぅ……」と慌てて仲裁に入る。
俺は苦笑しながら、そのやり取りの向こう、部屋の隅へ目をやった。
そこにあるのは、明日の朝食用の野菜たち。
畑で採れたばかりの、みずみずしい実り。
「……いや、待て」
三人がこちらを見る。
「売るなら、こっちじゃないか?」
俺は野菜を指した。
「野菜?」
スイが目を丸くする。
「余ってる分を街で売る。危ない仕事をするよりずっといいし、今の俺たちでもできる」
すると、リーファがむっとした顔になった。
「はぁ!? せっかく育てたのに、簡単に売れとか言うわけ?」
「簡単には言ってない。けど、全部食うわけにもいかないだろ。余剰分が出るなら、それを金に換えるのは普通のことだ」
「でも……」
リーファは不満げに唇を尖らせる。
そこへ、スイが遠慮がちに口を開いた。
「あの……でも、このお野菜、とてもおいしいです」
「味音痴のあんたに言われてもね……」
「そ、そうですけど。しゃくしゃくしてますし、みずみずしいですし、あと、なんだか元気になる味がします」
「どんな感想よ、それ……」
呆れたように言いながらも、リーファの声は少しだけ柔らかくなっていた。
俺も頷く。
「いや、実際リーファの野菜は大したものだと思うぞ。素人の俺でも分かるくらいには出来がいい。街に持っていけば、十分勝負になるかもしれない」
「……っ」
その一言で、リーファの耳がぴくっと動いた。
「べ、別に……それくらい当然でしょ。わたしが育ててるんだから」
「じゃあ売れるか試してみる価値はあるな」
「……まあ、余ってる分なら」
「お」
「た、ただし! ちゃんといいやつだけ選んで売るわよ! 変なの持ってって恥かくのは嫌だし!」
さっきまでの不機嫌はどこへやら、リーファはすでに頭の中で選別を始めているらしかった。
分かりやすい。
スイが嬉しそうにぱっと顔を明るくする。
「じゃあ、街に行くんですね」
「ああ」
俺は頷いた。
この村で暮らしていくために、必要なものはまだまだ多い。
そのためには、どうしても外との接点は避けられない。
街へ行って、金を得る。
たったそれだけのことなのに、妙に胸がざわついた。
俺は野菜をひとかけ口に放り込みながら、心の中でひとりごちる。
(……俺、テイマーなのか農家なのか、だんだん分からなくなってきたな)
けれどまあ、それでみんなが食っていけるなら。
今はそれでいいかと、そう思った。




