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第23話 少女が、月光を引くように駆ける

 レインは一瞬息を吐き、呼吸を整えた。


 ……全く、情けなくなってくる。


 戦士みたいに前へ出て斬り結ぶ力もない。

 魔法使いみたいに、一撃で状況をひっくり返す術もない。


 そのうえ、テイマーだというのに、魔物に指示を出す余裕すらない。


 ──いや、それどころか。


 レインは、荒い息の合間に一瞬だけ周囲を見た。


 スイが必死に溶解液を飛ばし、リーファが蔦を伸ばし、グレーウルフが牙を剥いて群れを押し返している。


 皆、戦っていた。

 自分のために。

 この村のために。


 魔物たちに、守られるテイマーか。

 情けなくて、笑えてくる。


「っ……!」


 その一瞬の乱れを、コボルトチーフは見逃さなかった。


 鉈が、下から跳ね上がるように振り抜かれる。


 がきん、と鈍い音が鳴った。


 受け損なったわけじゃない。

 だが、力が足りなかった。


 短剣がレインの手から弾き飛ばされ、月明かりの中をくるくると回って地面へ転がる。


 次の瞬間、蹴りが腹にめり込んだ。


「がっ──!」


 息が、全部吐き出された。


 体が宙に浮いて、そのまま土の上を転がる。

 喉の奥が焼けるように痛み、肺が潰れたみたいに空気が入ってこない。


 咳き込みながら、どうにか顔を上げる。


「レインさん!」


 スイの悲鳴のような声が響いた。


 辺りも見ずにレインへ駆け寄ろうとする。


「ちょ、スイ!」


 リーファが止めるより早く、群れの一匹がその隙を狙った。


 小柄な体で地を蹴り、横合いから飛びかかる。


 それを、リーファが身をひねって割り込んだ。


「くっ……!」


 鋭い爪が肩を裂く。


「リ、リーファ!」

「大丈夫、これくらい……!」


 顔をしかめながらも、リーファは歯を食いしばった。

 だが、その代償は大きかった。


 敵のど真ん中で、スイとリーファが立ち止まる。そこへコボルトたちが一斉に距離を詰める。


 連携が、一気に崩れた。


 咄嗟に、グレーウルフが滑り込むように二人の前に立ちはだかった。


 低い唸り声。

 銀灰色の毛を逆立て、二人を守るように身を低くする。


 だが、それでも敵の数が多い。


 コボルトたちは半円を描くように広がり、じりじりと取り囲んでくる。

 いくらグレーウルフとはいえ、二人を庇いながらでは自由に動けない。一斉に来られれば、ただでは済まないはずだ。


 レインは腹の奥で鈍く脈打つ痛みをこらえながら、無理やり立ち上がった。


 足元がぐらつく。

 吐き気が込み上げる。


 それでも、ここで倒れていられない。


 近くに転がっていた石を掴み、力任せに投げつける。


「こっちだ!」


 石は、スイたちを見てニヤついていたコボルトチーフの額に当たった。


 鈍い音。

 その顔が怒りに歪む。


 狙い通り、視線がこちらへ向いた。

 少しでも奴らの注意を逸らすしかない。


 コボルトチーフはそのまま一直線に突っ込んでくる。


 レインは歯を食いしばって、一撃目をどうにか身をひねってかわす。

 だが二撃目は無理だった。


 振り回された盾の先端が、胸元へ突き刺さるように叩き込まれる。


「っ、ぐほっ──!」


 息が詰まり、背中から土へ倒れ込む。


 動けない。


 肺が鳴る。

 手足に力が入らない。


「レインさん!」

「レイン!」


 スイとリーファの声が、やけに遠く聞こえた。


 まずい。


 せめて。

 あいつらだけでも逃がさないと──



 そう思った、そのときだった。


 グレーウルフが、不意に地面へ視線を落とした。


 その足元にあるもの。

 さっき弾き飛ばされた、レインの短剣。


 銀灰色の獣は、ほんの一瞬だけそれを見つめる。


 そして、レインを見た。


 月明かりの下で、琥珀の瞳がまっすぐにこちらを射抜く。

 その目にあったのは、怯えて飼われる畜生の曇りではない。

 誇り高き、狩人の魂。


 レインの喉が、かすかに震えた。


 これは、命令じゃない。

 俺にそんな資格はないし、もうそんな事はしたくもない。

 できるのは……頼ることだけだ。


「……頼む」


 掠れた声が、夜気に滲む。


「助けてくれないか」


 腹の奥が痛む。

 情けない。みっともない。こんな言葉を口にする自分が、たまらなく不甲斐なかった。


 それでも、レインは目を逸らさなかった。


「情けなくてすまない。けど──」


 一瞬だけ、スイとリーファを見る。


 傷つきながらも、まだこちらを見ている二人。

 守らなければいけない、大切な存在。


「あいつらは、俺の仲間なんだ。大事な──家族なんだ」


 グレーウルフの耳が、ぴくりと動く。


 次の瞬間、コボルトチーフが鉈を振り上げた。

 とどめの一撃。


 けれど、その刃が振り下ろされるより先に──


 眩い光が、夜の畑を満たした。


「えっ……!?」


 スイが目を見開き、リーファが息を呑む。


 グレーウルフの体が、月光を浴びて白銀に輝いていた。


 銀灰色の毛並みが、ほどけるように揺らぐ。

 獣の四肢が細く伸び、骨格が変わり、輪郭がしなやかに組み替わっていく。


 前脚だったものが、人の腕へ。

 爪だったものが、細く鋭い指先へ。


 それは一瞬だったのに、永遠みたいにも見えた。


 光が晴れたとき、そこにいたのは、一人の少女だった。


 月の色を溶かしたような銀灰の髪。

 獣の名残を残した琥珀の瞳。

 細い体つきの中に、張り詰めた獣の気配がそのまま宿っている。


 少女は迷いなく地面の短剣を拾い上げた。


 構えは剣士のそれじゃない。

 けれど獣が牙を得たように、あまりにも自然だった。


 コボルトチーフが、一瞬だけたじろぐ。


 その隙を、少女は見逃さない。


 地を蹴った。


 速い、なんてものじゃない。


 人の形をしているのに、踏み込みはまるで獣そのもの。

 低く、しなやかで、土を裂くように前へ出る。


「ギッ──!?」


 最前列のコボルトの喉元を、一閃。


 返す刃で、次の一匹の腕を裂く。

 振り向きざま、跳ねるように身をひるがえし、背後から飛びかかった個体の脇腹へ蹴りを叩き込む。


 狼の速度と跳躍。

 狩の本能と野生の感。

 そこに、人の器用さと武器を扱う知恵が加わった。


 まるで、牙に刃を持たせたような戦い方だった。


「す、すごい……」


 スイが呆然と呟く。


 コボルトたちは一気に動揺した。

 さっきまで押し込んでいたはずの相手が、突然まるで別物になったのだから当然だ。


 コボルトチーフが怒声を上げる。

 群れを立て直そうと鉈を振るう。


 だが今度は、その一撃を少女が正面からいなした。


 短剣と鉈がぶつかる。

 火花が散る。


 細腕なのに、押し負けない。

 いや、力ではない。角度と踏み込み、そして速度で崩しているのだ。


「レインさん!」


 スイの声ではっとする。


 レインは腹の痛みを押し殺しながら、どうにか上体を起こした。


 まだ終わっていない。


「リーファ! 奴の足を止めろ!」

「言われなくても!」


 リーファが地面へ手をつく。

 盛り上がった土から蔦が伸び、チーフの足首へ絡みついた。


「スイ、今だ!」


 叫んだのと同時に、スイが溶解液を飛ばす。

 コボルトチーフは咄嗟に盾で庇ったが、その一瞬で十分だった。


 少女が、月光を引くように駆ける。


 低く沈み込み、懐へ入り、短剣を鋭く振り抜く。


 鉈を握る腕に、深い傷が走った。


「ギャアアッ!」


 チーフが悲鳴を上げ、武器を取り落とす。


 その声で、残りのコボルトたちの士気が完全に切れた。


 一匹が逃げる。

 それを見て、二匹、三匹と後に続く。


 コボルトチーフも傷ついた腕を押さえながら、憎悪に満ちた目でこちらを睨んだ。


 その目を、少女の琥珀の瞳が睨み返す。


 ……さすがに、勝てないと悟ったのだろう。

 捨て台詞みたいな濁った叫びを吐き、闇の中へ逃げ去っていった。


 やがて、畑に静けさが戻る。


 荒れた土。

 散った葉。

 所々に染みた鮮血。


 その真ん中で、短剣を手にした銀髪の少女が、じっと立っていた。

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