第22話 コボルトチーフ
畑に駆けつけた瞬間、レインは足を止めた。
月明かりに照らされた畑の前で、グレーウルフが低く唸っている。
銀灰色の毛を逆立て、牙を剥き、すぐにでも飛びかかれるように腰を落としていた。
その正面。
闇の向こうに並んでいたのは──こないだのコボルトたちだった。
「……またあいつら」
リーファが吐き捨てるように言う。
だが、前回とは空気が違う。
あのときのような、下卑た笑い声はない。
ふざけて畑を荒らすような騒がしさもない。
代わりにあるのは、むき出しの敵意だった。
何匹かには見覚えがある。
背の毛が一部ただれている個体。耳が裂けた個体。片足を引きずる個体。
今回は、仕返しに来たのだと一目で分かった。
しかも──
群れの奥で、がさりと草が鳴る。
そこから姿を現したのは、ひときわ大きな影だった。
他のコボルトより遥かに大きい。
肩も腕も太く、背中は獣のように盛り上がっている。粗末な革鎧を身につけ、片手には刃こぼれした鉈のような武器。もう片方の腕には、木片と鉄屑をつぎはぎしたような盾まで構えていた。
「……コボルトチーフか」
レインが低く呟く。
コボルトの上位種。
肉体の強靭さ、器用な手先、狡賢さ。どれをとってもコボルトを上回る。
個体としても強いが、厄介なのはそれ以上に群れを率いる知恵を持っていることだ。
「これは、やっかいだな」
レインの声に、リーファが小さく息を呑む。
グレーウルフも、そのことを理解しているのだろう。
さっきまでの威嚇一辺倒の構えから、さらに慎重に姿勢を落とした。相手の出方を見極めるような構えだ。
対するコボルトチーフは、濁った目でこちらを見回し、にたりと口の端を吊り上げた。
喉の奥で、ぐるりと嫌な声を転がす。
その声を合図にしたように、コボルトたちが一斉に散開した。
「来るぞ!」
レインが叫ぶ。
次の瞬間、グレーウルフが地を蹴った。
銀灰色の体が、夜の中を一閃する。
「ギャッ!?」
最前列のコボルトが、爪で肩口を裂かれて吹き飛んだ。
そのまま体勢を崩した二匹目に牙を剥き、横合いから飛び込んできた三匹目を前足で薙ぎ払う。
──速い。
怪我はもうほとんど癒えている。休息も足りているのだろう。
前回のような危うさはなく、力の差は歴然だった。
「すごいです……!」
「でも、数が多い!」
スイとリーファが叫ぶ。
その言葉通りだった。
グレーウルフは強い。
だが、コボルトたちもただ突っ込んでくるだけじゃない。正面から食いつくように見せかけて、すぐ脇へ散る。隙ができたところを、別の個体が後ろから狙う。
群れの連携だ。
そして、その背後に──
「っ!」
レインの目が見開かれる。
コボルトたちの後ろから身を低くし、隠れるように回り込んでいたコボルトチーフが、一気に距離を詰めてきた。
狙いは、グレーウルフの死角。
鉈が月光を弾き、鈍く光る。
「危ねぇ!」
レインは考えるより先に走っていた。
短剣を抜き、横から割り込む。
がきん、と鋭い音が夜気を裂いた。
振り下ろされた鉈を、どうにか短剣で受け止める。
衝撃が腕に食い込み、骨まで痺れた。
「ぐっ……!」
重い。
思わず歯を食いしばる。
ただのコボルトとは比較にならない膂力だった。
コボルトチーフは驚いたように目を細めたが、すぐに口元を歪め、力任せに押し込んでくる。
レインは半歩引いてそれを流し、横へ払う。
短剣では間合いが短い。まともに打ち合うのは不利だと分かっていた。
それでも、ここで退けない。
もう一撃。
コボルトチーフの鉈が斜めに走る。レインは屈んでかわし、空いた脇腹を狙って踏み込む。
(貰った……!)
だが、刃が届く直前、盾が間に割って入る。
鈍い音。刃が弾かれた。
「ちっ……!」
そこへ、反撃の膝蹴りが飛んでくる。
レインは咄嗟に体をひねって避けたが、肩がかすっただけでよろめいた。
「レインさん!」
「大丈夫だ!」
スイの声に、叫び返す余裕はあった。
だが、余裕があるのは声だけだ。
相手は重く、速く、しかも闘い慣れている。
武器の扱いも、間合いの取り方も、体格も、自分より上。
短剣で細かく受けてはいるが、一度でもまともに食らえば終わる。
……横目でグレーウルフを見る。
あちらもコボルトの群れを相手に押し返してはいるが、数が多すぎて追い切れていない。スイとリーファも援護に回っているが、群れ全体を止めるので手一杯だ。
つまり、こいつは自分が抑えるしかない。
レインは浅く息を吐き、短剣を握り直した。
「来いよ……!」
挑発するように声を投げると、コボルトチーフは喉を鳴らして笑った。
次の瞬間、鉈が横薙ぎに振るわれる。
受ける。
弾く。
足をずらす。
斬り返す。
必死の応戦。
だが、徐々に押されていく。
力の差がじわじわと響いてくる。
斬撃を受けるたびに腕が痺れ、踏ん張るたびに地面が削れる。
距離を取ろうとしても、相手は逃がさない。
短剣の間合いの外から鉈を振り回し、無理にでもこちらを削ろうとしてくる。
「くっ……!」
刃が頬をかすめた。
熱い痛みが走る。
まずい。
このままでは、持たない。
夜の畑に、金属のぶつかる音と荒い息遣いが響く。
月明かりの下、レインは歯を食いしばりながら、じりじりと後ろへ追い込まれていった。




