第18話 グレーウルフ
とりあえず昼のうちに、荒らされた畑をひとまず整え直した。崩された畝を戻し、散らばった道具を拾い集め、踏み潰された土を均す。
そこにリーファが、魔力を流し込んだおかげで、傷んだ葉や茎も多少は持ち直した。もちろん、元通りとはいかない。折れたものは折れたままだし、千切られたものが戻るわけでもない。
それでも、何もしないよりはずっとましだった。
そうやって皆んなで作った畑だ。また荒らされたら、たまらない。
◇ ◇ ◇
そして──夜になった。
「そろそろ行くぞ」
レインが声をかけると、真剣な面持ちでリーファがすっと椅子から立ち上がった。
その隣では、スイがこくこくと船を漕いでいる。
「こらっ、起きなさい!」
リーファがぺし、と軽く頭を叩く。
「ふぁっ……!? す、すみません、起きてます……!」
「めっちゃ寝てたわよ!」
目元をこするスイを連れ、三人は畑へ向かった。
少し離れた場所にある草むらへ身を潜め、気配を殺す。
虫の音だけが、夜気の中に細く響いていた。
しばらく待つ。
雲が流れ、ときおり月明かりを隠す。
明るくなったり、暗くなったりを繰り返す畑を、レインは黙って見つめていた。
静寂の中──ふいに、草が揺れた。
「……来た」
最初に気づいたのはレインだった。
畑の奧から現れたのは、人間よりずっと小さな影。
二足で歩いている。だが、その歩き方は妙に前のめりで、膝が外へ曲がっている。腕は長く、指の先には鉤爪のような爪。頭は子どものように小さいのに、口だけが裂けたように大きく、そこから獣じみた歯が覗いていた。
月明かりが雲間から差し、浅黒い肌と犬に似た細長い鼻先を照らす。
「……コボルトか」
小鬼族。
一体一体はそれほど強くない。だが、群れて、徒党を組んで、数で押してくる厄介な魔物だ。
現れたのは一匹ではない。
二匹、三匹──いや、もっと。十匹は超えている。
畑の周りにぞろぞろと姿を見せ、ひそひそと下卑た声を交わしながら入り込んできた。
「うわ……思ったより、多いですね……」
「……最悪」
スイの囁きに、リーファが吐き捨てるように返した。
コボルトたちはまるで自分たちの庭みたいな顔で畑に踏み込み、育ちかけた野菜を次々にもぎ取った。
食べるため、というより遊ぶためだ。
引き抜いては放り投げ、半分かじっては地面に捨てる。
まだ小さな実を指で潰し、飛び散った汁が足につくと、ケタケタと耳障りな笑い声を上げた。中には、わざわざ畝の上を踏み歩き、柔らかい土をぐちゃぐちゃにするものまでいる。
「……っ」
リーファの肩が震えた。
勢いよく飛び出しかけたその腕を、レインはとっさに掴む。
「待て」
「離して!」
「無茶だ、数が多すぎる」
低く、押し殺した声で告げる。
「囲まれたら逃げられないぞ。今の戦力じゃ危険だ」
「じゃあ、このまま黙って見てろってこと!?」
噛みつくように言い返すリーファの目が、怒りで揺れていた。言いたい事は分かるが……こればかりは仕方がない。
ここは街じゃない。騎士団もいなければ冒険者ギルドも無い。弱肉強食の大自然と何ら変わらない。自分たちの力で解決出来ない事は、誰も助けてくれないのだ。
もう一度、リーファの腕に力が込められる。
それを必死で引き戻し、レインは首を振った。
リーファの翡翠色の瞳に涙が浮かぶ。
──そのときだった。
畑の中で騒いでいたコボルトたちの動きが、一斉に止まる。
笑い声がぴたりと消えた。
ざわ、と夜風が草を揺らす。
月が雲から顔を出し、青白い光が畑の向こうを照らした。
そこにいたのは、一頭の獣だった。
銀灰色の立髪。
剥き出しの牙。
鋭く細められた、琥珀の瞳。
グレーウルフ。
「──っ」
その姿を見た瞬間、レインの胸に苦いものが走った。
傷ついた狼。
捨てられた魔物。
助けられなかった、あの日の記憶。
喉の奥が、ほんの少しだけきしむ。
だが、今は感傷に浸っている場合じゃない。
コボルトたちは警戒しながら距離を取り、じりじりとグレーウルフを囲み始めていた。
手に石や木片を持っているやつもいる。
そして次の瞬間、何匹かが一斉に飛びかかった。
グレーウルフも吠えるように低く唸り、前足を振るって反撃する。
一匹のコボルトが吹き飛び、別の一匹が牙に腕を噛まれて悲鳴を上げた。
だが──
「……動きが変だ」
レインは目を細める。
鋭い。強い。
それでも、踏み込みが浅い。片足を庇うような動きが混ざっている。跳ねるたびに体がぶれる。
明らかに、怪我をしている。
「畑にあった血……あの子の」
スイが息を呑んだ。
「──っ、行くわよ!」
「はい!」
リーファが身を乗り出し、スイもそれに続く。
「おい、待て!」
止めるより早かった。
二人は草むらを飛び出し、畑へ向かって駆け出していた。
「くそっ」
レインも舌打ちして、その後を追う。
グレーウルフを囲んでいたコボルトたちが、突然現れた三人にぎょっと目を見開く。
「こっちです!」
スイが足元の石を拾い、思いきり投げつけた。
石はコボルトの肩に当たり、甲高い悲鳴が上がる。
何匹かが一斉にスイの方へ向きを変えた。
「え、えぇ!? そんなに沢山ですか!?」
その数に思わず怯むスイ。
だが、それでいい。
駆け寄ってくるコボルトたちの前で、リーファが地面へ手をつく。
「足元、注意よ!」
ぼこり、と畑の土が盛り上がった。
細い蔦が何本も一気に伸び、コボルトたちの足首へ絡みつく。
前のめりに走っていた数匹が、そのまま盛大にすっ転んだ。
そこへ、スイが両手をぶんと振る。
透明な液体が飛び散り、倒れたコボルトの背中にかかった。
「ギャアッ!?」
じゅっ、と焼けるような音が立つ。
コボルトは慌てて背中を払い、悲鳴を上げながら後ずさる。
「ちょっとスイ! 畑で変なもん撒かないでよ!」
「へ、変じゃないですよ! ちゃんとした溶解液です!」
「しっかりダメなヤツじゃない!」
「二人とも、喧嘩してる場合じゃないぞ!」
レインは叫びながら、手にしていた鍬を横薙ぎに振るった。
がこん、と鈍い音。
飛び込んできたコボルトの脇腹に鍬の柄が入る。
「ギィッ!」
もんどり打って倒れたそいつを蹴り飛ばし、レインは無理やり間合いを作った。
コボルトたちは一瞬、完全に戸惑っていた。
何なんだ? ただの弱そうな人間が三匹出てきただけのはずなのに。何かがおかしい……。
その隙を、グレーウルフは見逃さなかった。
大きく呻き声を上げるように吠え、傷を押して無理やり体をひねる。
そのまま全身を回転させるように薙ぎ払うと、近くにいたコボルトがまとめて吹き飛んだ。
「ギャッ!」
「ギィッ!」
何匹かは地面を転がり、何匹かは畝に突っ込む。
さすがにこれ以上は危険だと悟ったのか、コボルトたちの目に明確な怯えが浮かんだ。
それでもすぐには逃げない。
憎たらしい目でこちらを睨み、歯を剥き、喚き立てる。
睨み合う両者……
やがてその中の一匹が、手に持っていた食いかけの野菜を地面へ叩きつけた。
甲高い呻き声で捨て台詞を吐く。
それに続くように、他のコボルトたちも野菜を投げ捨て、ぎゃあぎゃあと喚きながら闇の向こうへ走り去っていった。
残された畑に、急に静けさが戻る。
荒らされた土。
散らばった葉。
潰れた野菜。
そして、月明かりの下で低く唸るグレーウルフだけが、その場に残っていた。




