第17話 お野菜泥棒
畑が形になり始めてから、数日が経った。
朝の空気はまだひんやりとしていて、土の匂いが心地いい。
レインは肩に鍬を担ぎながら、いつものように畑へ向かう。
その後ろを、スイとリーファがついてくる。
「いい、スイ。今日は水の量、少しでいいからね」
「え? でも、お水をいっぱいあげた方が早く育つんじゃ……」
「いや、明らかに多かっただろ……畝が半分池になってたぞ」
軽口を叩きながら、三人は畑の入口へ向かった。
そこで、足が止まる。
「……なんだ、これ」
目の前の光景に、レインは思わず言葉を失った。
育ちかけていた野菜が、無残に荒らされていた。
畝は崩れ、土は掘り返され、実りかけていた作物は一つも残っていない。綺麗に齧られたものもあれば、途中で千切られただけのものもある。
引き抜かれ、食べられもせず踏み潰されたものまであった。
脇に置いていた袋も裂かれ、中の道具が土の上に散乱している。
「……っ」
リーファの肩が、わずかに震えた。
「……誰よ、こんなことしたの」
低く、押し殺した声だった。
普段の棘のある言い方とは違う。本気で怒っているのが分かる。
「せっかく、ここまで育ってきたのに……」
足元の土に触れ、ぎゅっと握りしめる。
その横で、スイが小さく呟いた。
「……お野菜泥棒、でしょうか?」
「泥棒っていうなら、もっと綺麗に持っていくでしょ。食い荒らしてるし、遊びで壊してるのまであるじゃない」
「……悪い子、ですね」
「悪い子で済ませないでほしいんだけど」
リーファがぴしゃりと言うと、スイは肩をすくめた。
レインは二人のやり取りを横目に、静かに畑の中へ踏み込む。
「……とにかく、調べるぞ」
崩れた畝を避けながら、地面に視線を落とす。
土は柔らかい。足跡は残りやすいはずだ。
「……あった」
しゃがみ込んで、レインは地面を指でなぞる。
「足跡が……二種類あるな」
「二種類、ですか?」
スイが覗き込み、リーファも眉をひそめて近づいた。
レインはまず、畝の間に残った細長い跡を示す。
「こっちは二足歩行だ。人間の靴跡じゃない。指が長くて、爪で地面を引っかいてる」
しかも、一つや二つではない。
あちこちに同じ形の跡が残っている。
「数が多いわね……群れ、ってこと?」
「たぶんな」
次に、少し離れた場所に残る別の跡へ目を向ける。
「で、こっちは獣だな」
丸みのある足裏に、鋭い爪痕。
明らかに二足歩行のものとは違う。
「こっちは数が少ないわね」
「あぁ。単独、あるいは多くても数匹か」
レインは低く呟いた。
土の上に残る二種類の痕跡。
それだけでも面倒だが、さらに気になることがあった。
「……どっちも、微かに魔力が残ってる」
「え?」
スイが目を丸くする。
「つまり、ただの動物じゃないってことですか?」
「ああ。どちらも魔物の可能性が高い」
その言葉に、リーファが露骨に嫌そうな顔をした。
「こんな短期間に複数種の魔物に目をつけられたってことね。最悪……」
「この辺、他に食べられそうな物が無いからな。警戒はしていたが……やはりか」
レインも同感だった。
相手が単独ならまだ対処を考えやすい。だが、別種の魔物が同じ畑に現れているとなれば話は変わる。
しかも、荒らされ方にも違いがある。
「野菜の状態も妙だな……」
レインは近くの野菜を拾い上げた。
「こっちは綺麗に齧られてる。腹を満たすために食った感じだ」
「……あの、そっちは?」
スイが指した先には、無残に千切られた葉が散らばっている。
「あっちは違う。食う気がない。ただ面白半分に荒らしたように見える」
置いてあった袋から、道具まで引っ張り出しているのも同じだ。空腹だけでは説明がつかない。
「つまり、食べるために来たやつと、荒らすのが目的なのと、別々で来たってこと?」
「断定はできないが……そう考えた方が自然だな」
そのときだった。
「……レインさん」
スイの声に振り向く。
彼女が指さした先、畑の端の土に、赤黒い染みがあった。
「……血か」
レインは近づいてしゃがみ込み、指先でそっと触れる。
まだ完全には乾いていない。
「新しいな。おそらく昨夜だ」
「怪我してるってことですか?」
「ああ。でも──」
レインはそこで言葉を切った。
血の周りには両方の足跡が残っている。争った後なのか、それとも。
「どっちのものかは分からないな」
その一言で、空気がさらに重くなる。
リーファが不機嫌そうに腕を組む。
「ほんと、嫌な状況ね……」
「怪我した魔物は気が立っているかもしれないからな」
傷ついた魔物は厄介だ。
警戒心も攻撃性も高くなる。そこへ別の群れまで絡んでいる可能性がある。
荒らされた畑の真ん中で、三人はしばし黙り込んだ。
「……どうするの」
先に口を開いたのはリーファだった。
「このまま放っておくわけじゃないわよね」
「ああ。貴重な食料だ。これ以上好き勝手させるわけにはいかない」
レインは短く答え、それから苦笑する。
「……とはいえ、戦力が心許ないのも事実だけどな」
自分はテイマーだ。
戦えないわけじゃないが、前線で魔物と殴り合うような力はない。
「悪いけど、私はあんまり戦闘向きじゃないわよ」
「言われなくても分かってる」
リーファは腕を組んで、ぷいと顔をそむける。
「植物を育てるのが仕事なの。殴り合いは管轄外」
「……私は、その……」
スイが遠慮がちに手を挙げた。
「スライムなので……」
「ああ、知ってる」
スライム。
言わずと知れた最弱の魔物だ。
種類も数も分からない魔物相手にこの戦力では、心許ないと言わざるをえないだろう。軽々しく手を出すわけにはいかない。
「……とにかく、いきなり仕掛けるのは危険だ」
レインは立ち上がり、二人を見た。
「まずは相手を確かめる。今夜、見張るぞ」
リーファは少し考え、やがて頷いた。
「……いいわ。それが一番確実ね」
スイもこくりと頷く。
荒らされた畑を、もう一度見つめる。
食いちぎられた野菜。
無残に踏み潰された苗。
二種類の足跡。
そして、血の跡。
「……何事も簡単にはいかないもんだな。暮らしを作るのは」
レインは小さく呟いた。
暮らしを守るために、向き合わなければならない相手がいる。
しかもその相手は、一つではないのかもしれない。
冷えた朝の空気が、さっきまでよりも重く感じられた。




