第14話 別に。何だっていいわ、名前くらい
家へ戻る頃には、太陽はすっかり高く昇っていた。
修繕したばかりの家の中には、まだ新しい木の匂いと、ほんの少しだけ湿った土の匂いが混ざっている。
その中央、寄せ集めの机の上に、小さな鉢植えが置かれていた。
中に挿されているのは、あの若木から切り取った細い枝だ。
そのそばで腕を組み、部屋の中を見回していた少女──ドライアドが、ふんと鼻を鳴らす。
「……中々悪くない家じゃない」
言い方は偉そうだったが、声音にはほんの少しだけ安堵が混じっていた。
レインは鉢の土の具合を確かめながら、肩をすくめる。
「最初はもっとひどかったんだぞ」
「私とレインさんで直しました!」
「……あっそ」
ドライアドが半眼で興味なさそうに返す。
どうやら口調の鋭さは、だいぶ戻ってきたらしい。
レインは机の上の日記帳を軽く叩いた。
「日記によると、この方法で枝を挿しておくと根が出るらしいからな」
「植物の生命力ってすごいですね」
スイが鉢植えを覗き込みながら、感心したように目を丸くする。
「こんな方法があったんですね」
「いや、多分、本来なら無理だろ」
「え?」
レインは苦笑しながら頭をかいた。
「日記に書いてあったのは、あくまで普通の木の増やし方だ。今回みたいに、ドライアドが宿木から挿し木で引っ越すなんて聞いたことがない」
「つまり……」
「きっと、例の“力”の影響だろうな。それでも正直、一か八かだった」
そう言って視線を向けると、ドライアドは机の端に腰かけたまま、自分の手をじっと見下ろしていた。
さっきまで消えかけていたとは思えないほど、その輪郭ははっきりしている。顔色も、畑で見たときよりずいぶんましだった。
もっとも、本人が一番それを不思議に思っているらしい。
「……そうね。本当ならあたし、消えててもおかしくないはずだし」
ぽつりと呟いたあと、ドライアドははっとしたように顔を上げた。
「って、今さらだけど──何であたし、あんたたちと普通に喋れてるの?」
「今さらかよ」
レインが思わず即座に突っ込むと、ドライアドはじろりと睨み返した。
「しょうがないでしょ! 死にかけてたところを、殺されかけたのよ! それどころじゃなかったの!」
「まあ、それはそうか……」
自分でもずいぶんなことをした自覚はあるので、レインは素直に引き下がる。
その横で、スイがこくこくと頷いた。
レインは一つ息をつき、それから少しだけ真面目な顔になる。
「たぶん、それは俺の力のせいだ」
「力?」
「……正確には、呪いみたいなものかもしれないけどな」
ドライアドが怪訝そうに眉をひそめる。
レインはうまい説明の言葉を探すように、少しだけ視線を泳がせた。
「俺は、昔ある人から妙な力をもらったんだ。心を通わせた魔物を、人に近い姿へ変えてしまう力だ」
「は?」
ドライアドの目が丸くなる。
「なによそれ。胡散臭いにもほどがあるんだけど」
「俺だってそう思う」
「でも、本当です」
スイがすっと手を挙げた。
ドライアドの視線がそちらへ向く。
スイは少し緊張したように、胸元で手を握った。
「私も、元はスライムでした」
「……は?」
「今も完全に人間かと言われると、少し怪しいですけど」
「それは何となく分かる」
ドライアドが勢いよく突っ込む。
スイは少しだけ肩をすくめた。
「レインさんと出会って、今の姿になって、名前をもらって……それで一緒にいます」
「名前を……もらって?」
「はい。レインさんが“スイ”という名前をくれました。私だけの……宝物です」
まっすぐな笑顔を向けるスイを見て、レインは我ながら少し恥ずかしくなった。
「……まあ、実際、身をもって体験してる以上、信じるしかないわよね」
ドライアドは困惑したようにレインとスイを見比べた。
「俺も全部分かってるわけじゃないんだよ」
レインは肩をすくめる。
「ただ、スイのときもそうだった。今回も、お前を助けたいと思って動いた結果、こうなった。……まあ、結果として良しとしないか?」
「……」
ドライアドはしばらく黙り込み、それから自分の髪先をつまんだ。淡い緑の髪が、指先で揺れる。
「……まあ、それでいいわ」
「よし」
そこでドライアドはふいと顔を背けた。
「……消えなくて済んだのは、まあ、その……良かったし」
言い方はずいぶん不器用だったが、照れ隠しなのは分かりやすかった。
スイがぱっと表情を明るくする。
「レインさんのおかげです! さすがレインさん!」
「うっさいわね!」
即座に返される突っ込みにも、さっきまでの切羽詰まった感じはもうない。
「じゃ、あたしにもつけてよ」
「へ?」
「名前よ。あたしだけドライアドじゃ変でしょ」
レインが一瞬固まる。
「お、俺がつけるのか?」
「そりゃそうでしょ! そこのスライム──スイにもつけたんでしょ」
それはそうだが。
もし気に入らなかったら……スイと違って大暴れしそうだからな──とは言えなかった。
「そ、そうだな」
目を閉じ、腕を組み、捻り出すように思考を巡らせる。
その間もドライアドは、興味なさそうにしつつ、ちらちらとレインを見ていた。
「……リーファ。旧帝国言語で、若葉を示す言葉だ」
「リーファ……」
ドライアド──いや、“リーファ”は小さく呟いた。
「ど、どうだ? もし気に入らないなら、他のを……」
「別に。何だっていいわ、名前くらい。それでいい」
ふいっと顔を背けつつも、その口元はほんの少しだけ嬉しそうに緩んでいた。
「それじゃ、改めてよろしくな。とりあえず、苗木は根が出て落ち着くまでは室内で様子を見よう」
レインが机に置いた鉢植えを顎で示す。
「いずれ植え替えるとしても、いきなり外に置きっぱなしにするわけにもいかないし」
「……別に構わないけど。……だから何?」
「一緒に住むかって話だ」
リーファは目をぱちくりと瞬かせた。
「え、あんたたちと一緒に!?」
「こっちは畑をどうにかしたい。お前は土や植物に詳しそうだ。で、お前は今、若木を世話してくれる人が必要だ。畑の土地が肥えれば、いつかこの木も元の場所に戻せるかもしれない」
レインはそこで言葉を区切り、少しだけ柔らかい口調になる。
「だから、それまでの間。一緒に暮らそう」
しん、と一瞬だけ部屋が静かになった。
スイは期待したようにリーファを見つめている。
リーファは視線を逸らしたまま、しばらく何も言わなかった。
やがて、小さく鼻を鳴らす。
「……べつに、あたしは何でもいいけど」
「そっか。なら決まりだな」
「そっちがどうしてもって言うなら、いてあげてもいいわ」
「素直じゃないな」
「うるさい!」
けれど、その耳が少し赤いのを見て、レインはそれ以上からかわないことにした。
スイが嬉しそうに両手を胸の前で合わせる。
「よろしくお願いします、リーファさん」
「さん付けはやめて。なんかむずがゆい」
「じゃあ、リーファちゃん?」
「はぁ? 絶対、あたしの方が年上でしょ!?」
「む、難しいですね……」
「おーい、頼むから仲良くしてくれ」
にぎやかなやりとりに、家の中の空気が少しだけ軽くなる。
昨日まで一人と一匹だった家に、また住人が増えた。それは不思議と、窮屈さよりも温かさを感じさせる変化だ。
そのとき、スイがふと、机の上の鉢植えに目を向ける。
「あ」
「ん?」
「鉢植え。お水、あげた方がいいでしょうか」
「そうだな。少しだけなら──」
レインが言い終わる前に、スイは鉢へ顔を寄せた。
そして次の瞬間。
だばっと小さく口を開けて、水を注ぎ込もうとする。
「ぎゃーっ! ちょっとあんた、何すんのよ!?」
リーファが悲鳴のような声を上げた。
スイはきょとんとした顔で振り向く。
「え? お水です。綺麗なお水ですよ!?」
「そのやり方、やめろって言っただろ!」
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。 毎日コツコツ投稿しておりますが、皆様のブックマークや評価ポイントが、物語を完結させる大きな支えになっています。 未熟な作品ですが、応援のほどよろしくお願いいたします!




