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第13話 人間なんて。大嫌い。

 その夜。


 月明かりの下、畑跡はひっそりと静まり返っていた。


 風が吹くたび、枯れかけた若木の葉がかすかに揺れる。

 その根元に寄りかかるようにして、ドライアドは座り込んでいた。


「……最悪」


 昼間のことを思い出し、吐き捨てるように呟く。


 人間。

 嫌いだ。


 勝手に現れて、勝手なことを言って、勝手にいなくなる。


 人間なんて。


 大嫌い。


 そう思っているのに。


 脳裏には、昔の光景が浮かんでしまう。


 まだこの木が小さな苗木だった頃。

 畑のそばに、村人たちが植えてくれた日のことだ。


『ここに植えるのはどうだ?』


『いいんじゃないか? 日当たりも、水はけも良さそうだ』


『大きくなれば日よけにもなるし、うまく育てば実も採れるかもしれん』


『いっぱい実がなるといいね!』


 無邪気に笑っていた子どもの声。


『ああ。そのぶん、ちゃんと世話しないとな』


 そう言って土をかぶせてくれた、あの手。

 あの頃、私の周りにはたくさんの笑顔があった。


 だから、頑張った。


 風の日も、暑い日も、寒い日も。

 少しでも大きくなろうと思った。


 いつか喜んでもらえるように。

 いっぱい葉をつけて、いっぱい実をならせる木になろうと思った。


 なのに。


「……みんな、いなくなっちゃった」


 ぽつりと零れた声は、自分でも驚くほど弱かった。


 誰も戻ってこなかった。

 畑は荒れ、家は崩れ、笑い声は消えた。


 残されたのは、自分だけだ。


 ドライアドは膝を抱え、木の幹に額を押しつける。


 風だけが、乾いた草を鳴らしていく。


 はらり、とまた一枚。

 葉が落ちた。


 ドライアドはそれを見て、ほんの少しだけ唇を噛む。


「あたし……頑張ったんだよ」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。


 ◇ ◇ ◇


 家に戻ったレインたちは、火を落としたあとの薄暗い部屋で向かい合っていた。


 卓の上には、今朝の残りの簡素な夕食。

 けれど食べ終わってからも、なんとなくまだ眠る気になれなかった。


 スイが膝の上で手を握りしめたまま、遠慮がちに口を開く。


「……やっぱり、あの子、助けたいです」


 レインは窓際に腰を預けたまま、そちらを見た。


「迷惑そうだったぞ」

「はい。でも……寂しそうでした」

「寂しそう、か」

「レインさんに会う前の、私みたいです」


 レインはしばらく何も言わなかった。


 それから、手にしていた古びた冊子をぱたんと閉じる。


 スイが目を瞬かせた。


「何ですか、それ」

「さっき棚で見つけた。日記帳みたいなものだな」

「日記……」


 レインは卓の上にそれを置き、ページをめくる。


 煤けてはいるが、字はまだ読めた。

 季節ごとの畑仕事のこと。雨のこと。作物の出来のこと。

 そして、その合間に、一本の木のことも何度か書かれていた。


『行商人から貰った苗木を畑の横に植えた。あの子が毎日見に行っている』


『去年より背が伸びた。あの子とどっちが早いかと笑った』


『今年は実がつくかもしれないと、あの子が楽しみにしている』


『今ではすっかり畑のシンボルだ。我が子のように思う』


 スイはページを覗き込み、小さく息を呑んだ。


「あの木……大切にされていたんですね。まるで本当の子供みたいに……」

「ああ」


 レインは最後のほうのページへ視線を落とす。


 そこには、村の空気が少しずつ変わっていく気配が滲んでいた。

 近くの山に危険な魔物が現れたこと。

 荷をまとめて、村を離れるしかないこと。


 あの木が、気がかりだと。


 その先は、もうほとんど書かれていなかった。


「……やむを得ない事情だったんだろうな」

「どうしても、木は持って逃げられないですからね」

「ああ」


 短く答え、レインは日記を閉じる。


 スイが不安そうに見上げてきた。


「ドライアドさん、大丈夫でしょうか」

「……正直、あと数日もつかどうかだな。あの木の様子だと、まだ立ってる方が不思議なくらいだ」


 正直な感想だった。


「……明日、もう一回行ってみるか」

「はいっ」


 スイの顔が少しだけ明るくなる。


「もしあいつが本気で俺たちを追い払う気なら、無理はしない」

「はい」

「……それでも、もしまだ人間に愛想が尽きてないなら──」


 その呟きは、半分、自分自身に向けたものだった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。


 レインは片手に斧、もう片手にシャベルを持っていた。

 スイも小さな袋を抱えて、その隣に立っている。


 二人が再び畑跡に着くと、若木の根元には昨日と同じ少女の姿があった。


 ──いや、同じではない。


 ドライアドは幹にもたれかかるように座り込み、もう立ち上がることすらできない様子だった。顔色はさらに悪く、呼吸も浅い。


 それでも二人に気づくと、きつい目つきだけは崩さずに言う。


「あんたたちも懲りないわね……」


 口調は変わらず強気だ。

 けれど、その声にはもうほとんど力がない。


 スイが一歩前に出る。


「ドライアドさん、私たち──」

「いいわよ」


 ドライアドはそれを遮った。


「分かってるから」


「……」


「死んでまで迷惑かけようと思ってないし。邪魔なんでしょ。この木」


 言葉の端が、ほんの少し震える。


 けれど、ドライアドはそれを押し隠すように顎を上げた。


「切りなさいよ」


 スイが息を呑む。


「でも──」

「いいって言ってるでしょ」


 きっぱりと言い切ったあと、ドライアドは目を伏せた。


「自分のことくらい、分かるわよ。どうせ、もう……無理だし」


 朝の風が吹く。

 枝先がかすかに揺れ、乾いた葉がまた一枚落ちた。


 レインは無言で若木の前に立つ。


 斧の柄を握る手に、自然と力が入った。


 隣でスイが不安そうにこちらを見上げている。

 ドライアドは目を閉じたままだ。


 レインは一度だけ、日記に書かれていた文字を思い出した。


『立派な、大きな木になるといいな』


 胸の奥に、ひどく鈍いものが沈む。


 それでも、レインは斧を振り上げた。


 風を裂く音。


 次の瞬間、鈍い衝撃が手に返ってくる。


 乾いた木の音が、荒れた畑に響いた。


 もう一度。


 そして、もう一度。


 やがて、めきり、と不吉な音が走る。


 傾いた若木は、抵抗するようにわずかに枝を震わせ──


 どさり、と。


 村に残された静かな畑跡へ、寂しい音を立てて倒れた。

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