第12話 ドライアド
草をかき分けながらしばらく進むと、村の外れにある開けた平地に出た。
背の高い雑草に囲まれてはいるが、そこだけ不自然なくらい平らだ。石がいくつか規則的に並び、崩れた木柵の名残らしきものも地面に埋もれている。
レインは足を止め、辺りを見回した。
「……なるほど。たしかに、それっぽいな。畑だ」
「ですよね!」
少しだけ得意そうに、スイが胸を張る。
見渡せば、土の色が周囲と微妙に違っていた。長く放置されて草に覆われてはいるものの、元は人の手が入っていた場所だと分かる。
レインはしゃがみ込み、地面の土を指先でつまんだ。
「固いな……でも、まるっきり駄目ってほどじゃないか」
「いけそうですか!?」
「いや、“耕せば何とかなるかもしれない”くらいだな」
ふわっとした言い方だったが、可能性がゼロではないというだけで十分だった。
スイもその場にしゃがみ込み、土をつつく。
「私、畑ってよく分かってないのですが。本当に地面から食べ物が生えてくるんですか?」
「あぁ。だがすぐにとはいかない。草を抜いて、石をどけて、土を起こして……やることは多いな」
「あ、明日くらいには……食べられますかね?」
「食べられれば……いいんだけどな」
言いながら、レインは思わず遠い目になった。
家の修繕だけでも一仕事だったのに、今度は畑だ。自分で言い出しておきながら、先の長さに少し気が遠くなる。
だが、ここまで来て他に手があるわけでもない。いざとなれば、街に戻って昔の仲間に土下座して当面の食費は借りるか……。
何にせよ、ここで投げ出す訳にはいかない。ここで暮らすと──スイとも約束したからな。
「よし、やるしかないか」
「はいっ」
スイの返事は相変わらず元気だ。それだけで、少し救われる気がする。
そのとき、スイが少し先を見て「あ」と声を漏らした。
「レインさん。あれ」
「ん?」
指さされた方を見ると、畑跡の端に一本の若木が立っている。
いや、立っているというより、どうにかそこに残っている、という方が近い。
幹は細く、葉はところどころ茶色く変色し、枝先も乾いている。周囲の雑草に埋もれかけ、根元の土もひび割れていた。
レインは眉をひそめる。
「……ずいぶん弱ってるな」
「元気、ないですね」
「このままだと、じきに倒れてもおかしくないな」
若木のそばまで歩み寄り、幹を見上げた。
まだ若い木だ。本来は青々とした葉を茂らせている頃だろう。
だが、これだけ傷んでいるとなると、強い風が吹けばあっさり折れてしまうかもしれない。
もし畑として使うなら、いずれ整地も必要になる。倒木は危ないし、作業の邪魔にもなるだろう。
レインは腕を組んだまま考え込んだ。
「確か、納屋に斧があったな。倒れる前にいっそバッサリいっとくか」
「そうですね。もし倒れてきて潰されたら、ペシャンコですから」
スイがフルフルと頷いた──次の瞬間だった。
ぴしっ、と乾いた音が鳴く。
「……え?」
スイが目を丸くする。
若木の枝が一本、不自然にしなり、そのまま真っすぐこちらへ飛んできた。
「うおっ!?」
レインは咄嗟に身を引き、枝を避けた。枝先は地面に突き刺さり、乾いた土を小さく跳ね上げる。
スイが慌ててレインの後ろに隠れた。
「き、木が動きました!」
「見れば分かる! てか、俺を盾にするなよっ!」
若木を睨みつける。
さっきまではただの枯れかけた木に見えていた。だが今は違う。幹の表面がわずかに脈打つように揺れ、枝葉がざわりと逆立っている。
ただの木ではない。
「……“ドライアド”か」
「ど、どらいあど?」
「植物系の魔物だ。木に宿るタイプのな」
説明しながら、レインは静かに腰を落とした。
そこまで危険な魔物ではないとはいえ、さっきの一撃を見る限り、無警戒で近づいていい相手でもない。
若木の枝が、威嚇するようにわずかに揺れる。
そして。
『この、人でなし!』
甲高い声が、畑跡に響いた。
「……は?」
レインが目を瞬く。
声のした方──若木の幹の陰から、小さな人影がパッと現れた。
少女だ。
見た目はスイとそう変わらない年頃に見える。
髪は若葉のような淡い緑で、毛先にいくほど少しだけ色が薄い。ところどころ葉や蔓のようなものが絡みついていて、服も木の皮や葉を思わせる不思議な意匠をしていた。
それだけ見ると、まるで妖精のように可憐な印象だ。
ただ、その姿はあまりにも頼りない。
頬色は悪く、肩で息をしている。足取りもふらついていて、今にも倒れそう。
なのに、気だけは強そうに睨みつけてくる。
「いきなり人ん家の前で物騒な相談してんじゃないわよ!」
「人ん家って……この枯れ木の事か?」
「枯れ木とは何よ、まだ枯れてないし! 失礼ね!」
少女は若木の幹をぺしんと叩いた。
「これはあたしの木! あたしの家なの! 人ん家を勝手に壊そうって、どういう神経してんのよ!」
「いや、すまない。倒れそうで危なかったから……」
「ふんっ、どうせあんたたちもアレでしょ! たかだか木なんて、邪魔だから、弱ってるから、他にもいっぱいあるんだし、とりあえず切っちゃえ。食物連鎖の最下層の事なんて知ったことか! はっはっは、この弱者めって。……この悪魔!」
「そこまで言ってない」
レインが反射的に言い返すと、少女はふんっと鼻を鳴らした。
「だから嫌いなのよ、動物って」
「だいぶ飛躍してるな……」
隣でスイが、レインの服の裾をちょんとつまむ。
「あの……怒ってますね」
「見れば分かる」
「すごく怒ってます」
「だから見れば分かるって」
だが、怒っていること以上に気になることがあった。
少女の背後の若木は、本当に危うい状態だ。
葉は痩せ、幹の艶もない。少女自身も強がってはいるが、立っているのがやっとに見える。
レインは眉をひそめ、低く言った。
「……ドライアドは木に宿る。宿ってる木が枯れたら、たぶん本人も……無事じゃすまない」
「そ、そうなんですか!?」
スイがぎょっと目を丸くして、若木と少女を交互に見た。
「じゃ、じゃあ、このままだと……」
「かなり、まずいはずだ」
レインは少女から目を離さずに答える。
あれはただ腹を立てているだけの様子ではない。
余裕が無いのだ。限界が近い。
レインは一度息を吐き、少女を正面から見た。
「……お前、大丈夫なのか?」
「は?」
「木もお前も、かなり弱ってるだろ」
言われた瞬間、少女の表情がわずかに揺れた。
図星だったのか、すぐに唇を引き結ぶ。
「べ、別に。これくらい平気だし」
「平気なやつは、そんな顔色してない」
「うっさいわね……!」
噛みつく勢いはある。だが、その声にも覇気がない。
スイがレインの後ろからそっと顔を出し、少女と若木を見比べた。
「あの……無理しないでください」
「あんたは黙ってなさい、湿っぽいの!」
「し、湿っぽい……」
わりとそのままの表現だった。
スイは軽く傷ついた顔で引っ込み、レインは思わず額を押さえた。
とりあえず、口だけは元気らしい。
だが、弱っているのは間違いない。
村が捨てられて久しいこの場所で、世話する者もいないまま、ひとりでここに残っていたのだろう。畑は荒れ、水の流れも滞り、土も痩せた。植物系の魔物がそれで無事でいられるはずがない。
ドライアドは宿った木と生死を共にする。
途中で宿主を変えることはない。──あるいは、できないのか。
つまり、この少女は。
ここで荒れていく土地と、枯れていく木を見ながら。抗えない自分の死を、たったひとりで見つめ続けてきたのだ。
レインは警戒を解かないまま、しかし声の調子だけは少し和らげた。
「……悪かった。ただ、このままだと危ないと思ったんだ」
「だから何? 危ないから切るって? あんたたちの都合で片づけてやろうって?」
吐き捨てるような声だった。
レインは一瞬言葉に詰まる。
否定しきれない。
さっきまで、自分はたしかにそう考えていたからだ。
少女はそれを見逃さなかったらしい。ふん、と鼻を鳴らし、細い肩を震わせながら叫ぶ。
「だから人間って嫌い! いつも自分の都合ばっかり! 勝手に植えて、要らなくなったら捨てて」
甲高い声は怒鳴り声のはずなのに、どこか泣きそうにも聞こえた。
レインは黙って少女を見つめる。
少女は若木の幹をぎゅっと抱くようにして、睨みつけてきた。
「もうどっか行って! これ以上来るなら、容赦しないから!」
ぴしり、と枝先が鳴る。
さっきより力は弱い。それでも、威嚇のつもりなのは伝わった。
レインは小さく息を吐き、腰を上げた。
「……行こう、スイ」
「でも……」
「彼女の言う通りだ」
スイは心配そうに少女を見つめたまま、唇をきゅっと結ぶ。
それでもレインが歩き出すと、おずおずとその後をついてきた。
背を向ける直前、レインは一度だけ振り返る。
枯れかけた若木のそばで、少女は小さな身体を強張らせたまま立っていた。
人間を追い払えたことに安堵しているようにも見えない。
ただ、必死に立っているだけだった。




