第1章(幕間):毒を喰らわば皿まで
阿久津は、震えそうになる指先をシンクの縁で強引に止めた。そして、ゆっくりと顔を上げ、氷のような微笑を十文字に向けた。
「……面白い想像力ね、刑事さん。でも、それはあくまでも『想像』。その粉末が何であれ、私のスタジオにある以上、それは『私の所有物』よ」
「ほう、先生の?」
「ええ。私も美容には気を使っているもの。小早川さんと同じサプリを飲んでいたとして、何が不思議かしら? 彼女が勝手に死んだことと、私のキッチンの汚れに何の関係があるというの」
阿久津は、十文字が置いたスプーンを自ら手に取り、残りのラタトゥイユをごく自然な動作で口に運んだ。エグみが喉を焼く。だが、彼女は眉一つ動かさず、それを飲み下した。
「……ごちそうさま。証拠物件を食べてしまったかしら? でも、これは『私の料理』ですもの。毒が入っているなんて、作る側が思うはずないじゃない」
十文字の目が、わずかに細められる。阿久津はその視線を真っ向から跳ね返した。
「刑事さん。裁判は『印象』ではなく『物証』で決まるのよ。私が彼女の部屋にいた時間は、彼女が死ぬずっと前。サプリの殻が舞っていたとしても、それは私が自分のために飲んだものの残り。……あなたが今持っているのは、パズルの一片にすらならない『ゴミ』だわ」
「……先生、それは本気で仰ってますか?」
「本気よ。私は阿久津聖。私のレシピは完璧で、私の人生にミスはない。……さあ、令状がないならお引き取りくださる? 明日の朝も、私は新作の撮影で忙しいの」
阿久津は背を向け、悠然と皿を洗い始めた。背中に刺さる十文字の視線が、やがて遠ざかり、スタジオのドアが閉まる音が響く。
静寂が戻ったキッチンで、阿久津は蛇口を握りしめた。
勝った。
状況証拠だけで自分を裁くことはできない。裁判になれば、いくらでも有能な弁護士を雇える。あの小娘の死を「自己管理の甘さによる事故」として確定させてやる。
しかし、阿久津は気づいていなかった。
十文字刑事が去り際に、ゴミ箱の横に落ちていた**「あるもの」**を、ひっそりと回収していったことに。
それは、彼女が配信中に使った、あの「乾燥しすぎていた包丁」を拭ったペーパータオルだった。




