117. 選定式当日 <ベアトリクス視点>
いつもの投稿時間より遅れてしまい、申し訳ありません。
先週から風邪をひいて寝込んでおり、ギリギリ書き上がりました。(間に合ってはない)
やっと回復してきましたが、何やら喉風邪が流行っているようで、声がガラッガラになってしまい、ひどい目にあいました……。
皆さまもお気を付けくださいね……。
気が付けば空が白み始め、チュンチュンと元気に活動を始めた小鳥たちの鳴き声が聞こえてきた。
「結局、一睡もできなかったわ……」
ベッドで横になりながらポツリと呟いた言葉が、シンとした寮の自室に響いた。
今日はついに、神の乙女選定式の本番当日である。
本番で最高のパフォーマンスを出すためには、しっかりと睡眠をとらなくてはならないとわかっていたのに、昂る気持ちを抑えられず、眠りにつくことができなかった。
もう眠れそうもなかったので、起床時間にはまだ早いけれど、起きることにする。
こんな時間に側仕えを起こすのも忍びないので、一人で着ることのできる制服に袖を通し階下に降りた。
特にすることもないので、寮の庭を散歩することにした。
朝露に濡れた花壇の草花が朝日を反射してキラキラと輝いている。
早朝の涼しい空気を大きく吸い込むと、浮ついた心が鎮まるような気がした。
やれることは、全部やった。
候補者三名で繰り返す練習の毎日の中で、自分の実力がアガーテ様に敵わないことなど、とうにわかりきっていた。
けれど、そんなことはもうどうだっていい。
この日のために三人で力を合わせて準備してきたのだ。とにかく、最高のステージにしたい。ただ、その一心だった。
何か物音がしたような気がして物思いから我に返る。
たしかこの近くに寮の裏口があるはずなので、朝の早い使用人が働き始めたのだろうか。
何の気なしに音のした方を見ていると、現れたのはよく見知った姿だった。
「お兄様……?」
物音の主は兄のリュディガーだった。
こちらには気が付いていないようで、足早に裏口から外に出て停まっていた馬車に乗り込みどこかへ行ってしまった。
普段、寮の裏口を利用するのは使用人くらいで、貴族である生徒が使うことはほぼないと言っていい。
そこを使って早朝にこそこそと寮を抜け出すなんて、一体どうしたのだろうか。
それに、先ほどチラッと見えたお兄様の表情は、見間違えでなければ笑っているように見えた。
あれは、他者を見下し愉悦に浸る時のお父様と同じ笑みだった。
背筋に冷たいものが走るような心地がした。
あの後、結局お兄様は戻っては来ず、選定式会場に移動する時間になってしまった。
学園生徒は全員、選定式に出席義務があるというのに、参加しないつもりなのだろうか。
兄の動向は気になるけれど、わたくしは式の準備に追われ、それどころではなくなってしまった。
控室で三人の候補者が慌ただしくヘアメイクをセットし、本番用の衣装を身につけていく。
朝に落ち着かせたはずの胸の高鳴りが再び大きくなってきて、胸に手を当てて大きく深呼吸をした。
準備を整え、舞台袖から会場をこっそり覗き込むと、丸く張り出した屋根のあるステージを支点にして扇状に広がる客席は、すでに生徒や名のある貴族たちで賑わっていた。
会場である教会所有の音楽ホールは野外音楽堂なので、本番当日の天候を心配していたけれど、ありがたいことに今日は雲一つない快晴で、神様もこの選定式の成功を後押ししてくださっているようで嬉しくなった。
大勢の観客を前にして背筋が伸びるような感覚はあるけれど、不思議と不安は感じなかった。
大丈夫だ、今日まで積み重ねてきた努力が、今のわたくしを支えている。
このような大舞台を前にしても、前向きでいられる自分を誇らしく思った。
わたくし一人では、きっとここまで成長できなかったと思う。
それもこれも、ここまで一緒に切磋琢磨してきた良き好敵手たちのおかげ……。
隣で同じように客席を覗いていたクラウディア様とアガーテ様を見ると、二人の顔がこわばっているように見えた。
元公爵令嬢としてそれなりに場数を踏んでいるわたくしとは違い、二人はこれほどの人数に注目されるということ自体初めてで不安に思っているのだろう。
わたくしは二人の手を取り、安心させるように声を掛けた。
「何も心配するようなことはありません。わたくしたちは、デュッケ夫人の厳しいレッスンを乗り越えてきたのですもの。昨日の最終レッスンでは、きっと良い舞台になると夫人からお墨付きもいただいています。あとは練習通りにやるだけです」
緊張でひんやりとしていた手に自身の熱が伝わるようにぎゅっと握っていると、二人の手がだんだんと温かくなってきた。
「そ、そうですよね。練習でできたことを、やればいいだけですよね」
「デュッケ夫人のレッスンは、それはそれは大変でしたもの……。あれを乗り越えたわたくしたちは、今後どんな困難が訪れてもあの時よりはましだと、笑い飛ばせるような気がいたします」
アガーテ様はデュッケ夫人の厳しさを思い出したのか、ぶるっと身震いしていた。
わたくしたちは顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。
同じ想いを持つ仲間がいるということが、こんなにも心強いということをわたくしは初めて知った。
そういえば、リリアンナ様も先ほどまでは一緒にいたはずなのに、姿が見えない。
今朝のお兄様の様子にとても嫌な予感がして、改めて注意するように伝えたかったのだけれど……。
もう間もなく開演だというのに、一体どこに行ったのだろうか。
リリアンナ様の姿を探して辺りを見回していると、客席に一際派手な一団が現れた。
先頭にいるのは教皇だ。
清貧とは真逆の、非常に豪勢な衣装を身にまとい、お付きの者をぞろぞろと従えて得意気に歩いている。
まるでこの場においては自分が王だと言わんばかりの態度だった。
教皇は、教会の金と権威で私利私欲を満たす、権力に溺れた典型的な人間だ。
あの濁った瞳で舐め回すように見られるたび、鳥肌が立ってしまう。
教会で行われた顔合わせの時の教皇の態度から、実力以外の要素で自分が神の乙女に選ばれる可能性は感じていた。
万が一そのようなことが起きれば、わたくしは辞退しようと決めている。
自分たちの努力を、大人の汚い思惑で汚してほしくなどなかった。
選定式の審査員長である教皇の席は、客席の中央にある舞台が一番見やすい席だ。
協会側の手配で、その席だけ他の客席とは違う豪華な椅子が設置されている。わかりやすく自身の権威を見せびらかすために教皇が指示したのだろう。
審査員長の特別席に教皇が座ろうとしたその時、突如として雷鳴が轟いた。
先ほどまでは快晴だったのに、いつの間にか空が暗くなっている。
そんな……。雨が降れば、観客たちが濡れてしまう。
最悪、選定式の中止もあり得ると不安に思っていると、雷鳴がどんどん激しくなっていき、バチバチと大きな音を立てて空に無数の稲光が走っている。
よく見ると遠くの空には青空が見えており、この音楽堂の上空だけに雷雲が広がっていた。
さすがにこの状況は普通じゃないと観客たちも気付き始め騒ついている中、観客の一人が空を指して声を上げた。
「あれは何だ!?」
皆がそちらを向く。
その指さす先、音楽堂の上空には、全身に純白を纏ったこの世の者とは思えないほど美しい男性が、浮かんでいた。
人が宙に浮いている。
しかもその姿は神々しく光り輝き、暗雲の立ち込める空にはおびただしい数の稲光が走っている。
ありえない光景に、その場にいた誰もが息を呑んだ。
空に無数に走る雷光の色は、緑。
エルデハーフェンの貴族なら誰しも子供の頃に絵本で学んだことのある、神の雷の、色。
そんな、まさか……。
まさか、あの方は、もしやっ……!
空に浮かぶ神々しい御方はゆっくり、ゆっくりとわたくしたちの近くまで降りてきて、地上から3メートルくらいのところまできて、動きを止めた。
「神の乙女選定式の会場というのは、ここか?」
美しいその口から発せられるそのお声も美しく、甘く響いた。
誰もがその御方の神々しさに圧倒されて、その問いに返事をすることができずにいる中、教皇が大声で喚き散らすように誰何した。
「だ、誰だ、お前はっ!?」
光り輝く青年はゆっくりとそちらを向く。
その佇まいから、どちらの方が格が上なのか、誰の目にも明らかだった。
「我は、お前たち人の子が、神と呼ぶ存在である」
ああ、やはり……!
観衆が一人、また一人とその場に膝をつき、わたくしたちもそれに倣い、その場にいた全ての人間が、神に向かい平伏した。
神様だなんて、おとぎ話の中の存在だと思っていた。
しかし、神の雷、そして宙に浮く御方の神々しい存在感を目の当たりにして、神というのが虚言だとはまったく思えなかった。
「うむ、苦しゅうない。今日は我の乙女を選ぶ会が催されると耳にしてやってきたのだ。久方ぶりの人の子らの歌を楽しみにしているぞ」
神様は満足そうにそう言うと、すうっと宙を滑るように移動し、審査員長用の豪華な椅子に腰を下ろした。
楽しげに足を組み、肘おきに頬杖をついて、もう片方の肘おきをぺちぺちと叩きながら「どうした? 早く始めるのだ」と急かしている。
予想外の展開についていくことができず、誰もがポカンとしている。
自分の席を奪われた教皇の方をちらりと見ると、愕然とした様子で神様を見ていた。
「そ、そこは、私の席で……」
神様のなさることに口答えをするだなんて……。
教皇は思っていたよりも肝が据わっていたのだろうか。
彼の暴挙に皆が驚いている。
「そうか、ここはお前の席だったのか。では、譲れ。この我が直々に神の乙女とやらを選んでやろうというのだ。感謝するといい」
「そ、そんな……」
「んん? どうしたのだ?」
「い、いえ、なんでもございません……」
いくら教皇でもさすがに神様に楯突くことはできなかったのだろう。顔を真っ赤にしてプルプルと震えながら引き下がっていた。
日頃から横柄な態度が目立っていた教皇のそんな姿を見たら、普段であれば胸のすくような気持ちになったかもしれないけれど、正直、今はそれどころではない。
「どど、どうしましょう……! わたくしたち、これから神様の前で歌を披露しなければならないのですか……!?」
辛く厳しいレッスンの日々も、神様の前で堂々と振る舞えるほどの自信はさすがに与えてはくれないようだった。
わたくしとアガーテ様は顔を青くして身を震わせ、何故かクラウディア様だけは困ったように微笑んでいた。
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