第910話 リーンアイムとの『取引』
それにしても、国王ランバート陛下がいなくなったというのに、王城の静かさは異様に思えた。
さすがにまだ気が付いていないということはないだろうが、王城の者たちからすれば、ランバート陛下が忽然と姿を消したようにしか思えないはずなのに、探し回っている様子もなかった。
キールは、このケライヒライクの王城自体が何か得体のしれないものに憑りつかれてしまっているのではないかと背筋が冷たくなる。
(それもこれもあの男の名前を聞いてしまったからだ――)
リューデス・アウストリア。
やつが姿を消したのは西の国、キュエリーゼ王国の海岸線にひっそりと建っていた屋敷だ。
キール自身はそのリューデス・アウストリア本人の姿をまだ見たことは無い。無いのだが、気配は感じることが出来た。
その時の衝撃は今でも覚えている。
人の気配が二つあった。
一つはそのリューデスだろう。そしてもう一つは、その時リューデスに夜襲を掛けたであろう魔術師だ。
その魔術師の方の気配が一瞬にして「消失した」。
まるで、大気中に溶けるかのように忽然と、だ。
キール自身、後にも先にも、人間の気配があんな風に消え去ることを目の当たりにした経験はない。
殺されたのとは違う――。「人が消される」という驚愕。
そのことを『翡翠』に話したら、それはリューデスの守護精霊の力によるものだろうと言っていた。
「――どうしたのキール? さっきからずっと考えこんで」
ミリアがキールに問いかけてきた。
リシャールとキールはレスター公の屋敷をあとにしてそのまま、このメストリル公邸に戻ってきている。
「キールくん、レスター公が話していた、リューデスっていったい何者なの?」
『疾風』がミリアの言葉にうまく乗って、ここぞというタイミングで切り込んできた。
「リューデス? リューデスってあの――? どうしてその人の名前が出てくるのよ?」
と、ミリア。
こうなっては、リューデスの話題を続けるしかない。
「実は、これなんだけど……」
そう言いながら、キールはポケットから赤い宝石の欠片が付いたペンダントを取り出す。
「なに? 赤嶺石のペンダント?」
と、ミリア。
やはりミリアにも、これは『赤嶺石』にしか見えないのだろう。
「まあ、キールくん、あなた――盗ってきちゃったの?」
と、『疾風』が呆れ顔で言った。
「え? 盗って来たって、盗んできたってこと?」
と、ミリアも目を丸くする。
キールは、ばつが悪そうに頭を掻きながら、
「ごめんなさい。どうしてもこれを見せなければならない相手がいるもので――。リーンアイム。これは『竜芯』なんだな?」
と、ソファに腰かけているリーンアイムの方に視線を送る。
「――まさか、こんなところで『それ』を目にすることになるとは、な――。そうだ小僧、それは『赤嶺石』ではなく、『竜芯』だ。——小僧、どこで『竜芯』を知った? そして、どうして今、お前がそれを持っている?」
リーンアイムの表情がいつになく厳しい。
この竜びとは、普段はあまりこういう表情をしない。
どちらかと言えば、のほほんと気の抜けた表情をしていることの方が多い。
が、やはり『ドラゴン族』である。
こういった表情をした時のリーンアイムの圧力は、かなり強い威圧感を持っている。
キールは、その威圧感に圧されぬよう、ふぅと息をつくと、言葉をつづける。
「今回の一件。この『竜芯』が鍵になっているようなんだ。これは、レスター公がリューデスと名乗る男から受け取ったものだと、本人がそう自白した。リーンアイム。『竜芯』がドラゴン族と深いつながりのあるものだということは知っている。お前、僕に何か隠していることがあるだろう?」
数瞬の沈黙——。
ここにいる3人がリーンアイムの言葉を待っている。
リーンアイムは表情を変えずしばらく沈黙し、そして、ついに口を開く。
「まさか、このタイミングで我が話すことになろうとは。さすがにいろいろとここの準備ができておらなんだわ。しかし、小僧がそこまで知っているのなら、話さねばなるまいな――」
そういうと、ソファの上ですこし体を反らせるように座りなおす。
「小僧、話してやるから、先にお前が分かっているところまで話せ――。それが条件だ」
リーンアイムから取引を申し入れられるなどというのは、『食べ物』が絡んでいないのは初めてかもしれないとキールは少し余計なことを考えてしまった。
が、そんなことを今口にできるような雰囲気ではない。
ミリアも『疾風』も、今度はキールの次の言葉を待っているのだ。
「――わかった。じゃあ、僕から話す」
キールはこの取引に乗るしか進むべき道はないのだと割り切ることにした。




