第897話 公邸に帰って来て
「ふぅ~。少し気を張り過ぎて、疲れちゃった――」
ミリアは公邸のソファに腰を下ろすなり、大きく息を吐いた。
「すぐにお茶を入れますので、少しお待ちください。リシャール様も、どうぞごゆっくり――」
そう言って応接室を出て行ったのは使用人のジュリアンだ。
彼女も今日はお昼も食べず、待合室でずっと気を揉んでいたはずなのだが、そんな様子をおくびにも出さない。
たたたと快い足音を立てて、通常業務に戻っていった。
「しかし、本当によく訓練されている――。正直、尊敬に値するわ」
と、リシャールさまが呟いた。
「メストリルの使用人たちですよね。それは私もいつも驚いています。どこの国の公邸でも、これほどの実力を準備できるのは、偏に、英雄王の威光のおかげであると、そう思います」
もちろん、英雄王が全て管理監督しているわけではないのは承知だが、遠くにあってもこれだけ統制が行き届いているのは、ただの仕事に対する真摯さだけではないだろう。
この言葉を聞いた初老の紳士がこれに応じる。
「――お褒めに預かり、ありがとうございます。我々公邸の職員は、そもそもは平民の出が多いのですよ。そして、いろんな意味で、問題を抱えているものも多い。それを承知で、『英雄王』陛下は我々を登用されておられるのです。ですので、仕事に対する責任感というよりも、『英雄王』陛下に対する恩義で動いていると言った方が強いのですよ」
と、その紳士、この公邸の管理人である、ブラッター・レイジンが応えた。
「ブラッター殿、今日は助かりました。ジュリアンのサポートがなければ、こううまくはいかなかったでしょう。彼女になにかお礼をしたいのですが――」
と、リシャールさまが慮って告げる。
「それには及びません。我らはこういう時ぐらいしか『働く』機会がありませんのでな。むしろ、彼女にとってはよい実地訓練となったことでしょう。むしろ、『疾風』さまのほうがお疲れになっているはず、どうぞごゆっくりして行ってください――。それでは、私は公務に戻ります。ミリア様も、どうぞおくつろぎください」
ブラッター・レイジンは、そう言い終えると、二人に向けて慇懃に一礼して部屋を出て行った。
「こうやって、すっと二人の時間を作る辺りもさすがだわ。私のところでも出来てるか確認したくなってきちゃった――。――それで、ミリア。王子の方はどうだった?」
と、リシャールさまがこのタイミングで話を王城の様子へと戻す。
「――はい。リシャールさまから聞いていたとおり、王城の重鎮たちを仕切っているのは、国家魔術院院長のユーデルフォン様と、国庫大臣のレスター伯爵で間違いないようです。カイル王子自体がどこまでこのクーデターに関わっていたのかは、正直読めませんでした」
と、今日の謁見と会食の中から得られた状況を話す。
とはいえ、実際のところ、何か新しい発見があったわけではないことを、ミリアは報告しながら感じていた。
「――城内の統制が完全に掌握されているようね。ミリアが何か仕掛けても、おそらくは今見えている以上のものは何も出てこないだろうとは思っていたけど……。まあ、想定通りだったわ」
と、リシャール。
「あと――、少し気になったのは、国王陛下の容態を問うた時、容体はあまりよくなく持ってあと数日とも仰っていました。これって――」
と、ミリアは声のトーンを落とす。
「――数日……ね。おそらく、城内の地盤固めももう終わるから、『そろそろ』というところなのかもしれないわね」
「やはり、そういうことですか。リシャールさまの方は、いかがでしたか?」
「ランバート国王のお気持ちを直接聞いてきたわ。国王陛下は最初、この状況を受け入れ、カイル王子に王位を正式に継承するつもりでおいでだったのよ――」
「え? そんな――。それじゃあ、もう諦めておいでだったと?」
「そうね――。実際、諦めておられたのでしょう。城内には陛下のお味方はもうだれ一人残っていなかったようだし――」
「そんな――」
「国王派も第一王子派もことごとく処分されてしまっているからね。仕方ないと言ったところでしょうけど……。ミリア、それでも私は、陛下の本心を聞いてしまったの。だから、なんとかして陛下を救出しようと今は考えているわ――」
「ですが、救出できたとしても、王権の復権は――」
コンコン――!
と、そこで、何かが叩かれる音が部屋にこだました。
「なに? 扉――?」
と、ミリア。
「いえ、窓の方よ、ミリア――」
と、リシャールさまが少し気色ばむ。
「窓――? あ――。まさか――」
ミリアは慌ててソファから立ち上がり、バルコニーの方へと駆け出す。
「ミリア!? 気を付けて――」
「ああ、大丈夫です! この気配は――たぶん、彼です!」
リシャールの警告にそう答えたミリアは、カーテンを開ける時には確信に変わっていた。
(この魔素の気配――間違いないわ!)
ミリアはカーテンに手を掛けると、その向こうにいるはずの『愛しき人』の名を呼んだ。
「キール――!!」
「え? キールくん? 彼の気配なんて何も感じないけど……?」
リシャールさまが少し驚いたように声を上げた。
(一度は感じられなくなったほどの彼の『魔素』の気配――。私も必死で『感知精度』を磨いたんだから――!)
――だから、また感じ取れるようになったのだ。
ミリアは期待と確信の中、カーテンをめくる。
するとそこには、まさしくキール・ヴァイスの姿があったのだった――。




