第895話 ランバート国王の覚悟
窓から城外へと出たリシャールは、軽やかに屋根を伝いながら、ひと際高い場所に見えている『北の尖塔』を目指す。
国王ランバートが重病の為に『国家魔術院』の治癒棟へと移されたというのは公的な発表で、実のところはその塔の最上階にある部屋に幽閉されていた。
この国の国王は重い病になどかかってはいない。
全てはカイル王子派の陰謀であるということはすでに調べがついている。
(|シェーランネル王国国家魔術院の諜報力は伊達じゃないのよ――)
しかし、リシャールはそのことを決して誇ってはいない。むしろ、もっと優秀なら事態を未然に防げたかもしれないという後悔の方が強かった。
(アルランドを救えなかった――)
アルランド第一王子とリシャールは旧知の仲であり、『友人』だった。
彼との関係は『氷結』と出会うより前からのことだった。
若い頃、冒険者にのめり込んでいた時期があったのだが、その時、アルランドもまた同じように『短い青春』を謳歌していた時期があった。
たまたま出会い、たまたま意気投合し、そして、別れた――。
それから数年後、再会し、お互いの『本当の立場』を知る。
そこからの関係は深くはなかったが、時折、文のやり取りや相談事を受けたりするようになった。
内容は、主に、内政に関してのことだった。
効率のいい農作物や、効果の高い肥料、労働の助けになる新しい道具の情報などを交換し合った。
(志のあるいい男だった。父王との関係が本当のところはどうだったのか、それをどうしても聞きたい――)
その返答次第では、リシャールはただ何もせずにこの国を去るつもりでいる。
(今日はそれを確かめるだけ――)
そう決めている。
ミリアに、いや、『メストリル国家魔術院』に迷惑をかけるわけにはいかない。
今日、ことを起こせば、関係を疑われる可能性は充分にあるからだ。
『北の尖塔』へ続く渡り廊下の屋根に上がり、たたたと屋根の上を走る。先程確認したのだが、渡り廊下の突き当り、『北の尖塔』への入り口には衛士が一人立っていた。
リシャールは、廊下の屋根を渡り切ると、するりと体を廊下へ滑り込ませる――。
衛士はこちらを視認できず、気配にも気が付かないようだ。
(『蜃気楼の風幕』の効果が充分に利いているな――)
リシャールは衛士のそばに寄ると素早く衛士の口に手を当てる。
『虚空――』。
短い起動句。だが、効果は侮れない。
リシャールの手のひらの周囲の空気を操っていわゆる「虚空」を生み出す魔法で、これを口に当てられると、動物は昏倒する――。
衛士は、ふっと気を失って、膝から崩れ落ちそうになった。
『風圧――』。
衛士の身体が倒れた衝撃で怪我をしないように「クッション」を用意してやると、静かに床に転がった。
(ごめんね、少しの間、居眠りをしてて――)
そう、心の中で衛士に謝ると、尖塔の中へとすすむ。
らせん状に続く階段を音を立てないようにして上がってゆくと、最上階の部屋の扉が見えた。鍵は掛けられていないようだ。
(誰も来ないとわかっている――ってことね)
国王が幽閉されているにしては警戒が乏しいのは、この王城内の国王派の勢力は全て、すでに排除されてしまっているからだろう。
リシャールは扉に手を掛けて押し開く――。
「誰じゃ――」
と、国王が扉が開いたのを確認して声を上げた。
「陛下――、許可もなく拝謁いたしますことお許し下さい。お話を伺いに参りました」
と、扉を入ったところで立ち止まったリシャールが声を掛ける。姿は現さないままだ。
「魔術師――? 姿を見せないか、無礼であろう」
「残念ですが、私は話を聞きに来ただけにございます。今日はこのままでご容赦を――。すぐに帰ります」
「敵か味方か、どちらじゃ。せめてそれぐらいは聞かせてもらおう」
「今は、どちらでもありません。強いて言えば、アルランドの旧友というところです」
「アルランドの――。昔の冒険者仲間か何かか――。わかった。それで、用件は何じゃ。見ての通り、我は捕らわれの身、才なき国王じゃ――。何を要求されても出来ることはないぞ?」
ランバート国王は力なく椅子に腰かける。
「まあよい。アルランドの友を名乗るのであれば、あれを想っての行動じゃろう。アルランドには申し訳ないことをした――。すべては我の力不足じゃ。さあ、ひと思いにやるがよい」
と、ランバートはすでに達観しているようすだ。
ここまで潜入してくる魔術師の実力を考えれば、即刻アルランドの『敵討ち』と称して、殺害されても致し方なしという潔さが見える。
「陛下は――。アルランド王子をどのように思っておいでだったか。正直な思いをお聞かせくださいますか」
リシャールはそう問う。
「今さらのことじゃ。言っても信じてはもらえんじゃろうが、次期国王はアルランドとすでに決めておった。カイルは気性が幼く、讒言に踊らされやすい傾向がある。此度のクーデターもあやつの計画ではないじゃろう。しかし、こうなっては我に出来ることはもう、あまり残されておらぬ」
「脱出しようとは思わないのですか?」
「それは無理じゃ。この王城はすでにカイルに牛耳られておる。我が逃れ出ることは万に一つもない。頼める者も誰もおらぬ。我はカイルの都合の良い時にその死を利用されるためだけに今ここにいるのだ」
「坐して死を待つ、と?」
「そうではない。我にも最後の『役割』があると、そう言うておるのじゃ。このような形での王位継承は本意ではないが、領民には何も罪はない。せめて、新国王を正当な王として承認し、カイルがいつか気付くその日を願って命を投げ出す覚悟でおる。あれも愚かではあるが、我の可愛い息子には違いないのでな――」
国王とは、なんと厳しい立場なのかと再確認させられる。
リシャールは同情の念を隠せなかった。




