第875話 おもいびといずこ
「失礼します――。エリザベス教授、おいでになりますか?」
ミリアは、そろりとエリザベスの教授室の扉を開けて、遠慮がちに声を掛けた。
「今一番会いたい人物」がエリザベス教授ではないというのが自分でもわかっているため、思わず出た声が少し低く響いてしまう。
「あら、ミリア。戻ってきたのね? どう? 鉄道の方は――って、ごめんなさい、それよりも先に済ませないといけない用事があるのよね?」
「え?」
「顔に書いてあるわよ? キールくんはいますか? ってね?」
「え? ええっ?」
思わず手で顔をまさぐってしまうミリアだが、もちろん、そんなものが書いているはずもない。
「ふふふ、あいかわらずよね、あなた。でも、残念だけど、入れ違いだわ? 今さっきまでいたんだけどね。リディと一緒に帰ったわよ? デリウス教授の部屋には――、ああ、居なかったから、ここに来たのよね」
ミリアの行動がすべて読まれている――。
さすがにミリアも、エリザベス教授に出会っておきながら、クリスの話を全くせずに別れるわけにもいかない。
「べ、別に急ぎではありませんから――。クリストファーと話してきました。キュエリーゼ王国との共同鉄道事業の方は順調に進んでいます。と言っても、まだ、ようやく発電所の建設予定地選定に入ったところですが……」
と、少し話題を振る。
「風力発電所ね――。クリストファーのところには結構人数が集まっているらしいから、あれもこれもと大変ね。まあ、あの子なら、そんな差配も朝飯前ってところでしょうけど。どう? ちゃんと休んでそうだった?」
ミリアの「振り」に、そう応じるエリザベス教授。
やはり、自分のもとを巣立った弟子の身体のことを気にかけている様子だが、残念ながら、クリスが休みを取っているようには到底見えなかった。
「いえ――。あの様子ですと、たぶん、毎日何か仕事をしているような感じでした。あっ、でも大丈夫だと思います。フランソワさんが付いておられましたから……。クリスも疲れているようには見えませんでしたし――」
「そう――。まあ、元気にしてるならそれでいいわ。メストリルまで鉄道が延伸してくるまでにはまだ時間があるでしょうから、私はこの間にやるべきことを進めないとね? ――フランソワさんの様子は? もうそろそろ「安定期」、だったわよね?」
「あ、特に変わりなく、元気にされてましたよ。ですが、クリスの仕事の方の段取りが済んだら、一度二人ともカインズベルクへ戻るとのことです。お父上のカーゼル陛下が、ご心配なさっているご様子で――」
「そうよね。カーゼル陛下からすれば、王位継承者になるかもしれないお子だもの。それは仕方ないわ。それにしてもあのクリストファーが、子供なんてね。私、初め聞いた時、本当に驚いたのよ?」
「あ、わたしも、です。でも、二人ともほんとうに仲睦まじくって――。幸せのお裾分け、振り撒いてましたよ」
などと、少しの間、歓談をする――。
その後、キュエリーゼやカインズベルクなどの様子などについて、結局話し込んでしまい、ようやくエリザベス教授の部屋を出る。
(ああ、もう! キールったら、どこに行ったのよ?)
エリザベス教授の話だと、ミリアとほぼほぼ入れ違いだったということだった。
エリザベス教授とは結局30分ぐらいはしゃべっていたはずだから、どこかに寄っていたとしても、もう、『アジト』に戻っているかもしれない。
(仕方がない、もどるか――)
ミリアは再びデリウス教授室へ向かうことにする。
デリウス教授室に戻ってきたミリアを、愛しい『妹』が迎えてくれた。リーンアイムは教授席でいびきをかいている。
「あ! ミリアさん! お帰りなさいです! キュエリーゼはどうでしたか?」
屈託のない笑顔で、ミリアの気持ちも察せず自分の聞きたいことを聞いてくるアステリッド。
ここで、「キールさんなら、どこそこへ行きましたよ?」などという気の利いた応答を期待してはいない。
それでも、いいわよね、自分はずっとキールの傍に居れてと、少しイラっとしてしまう。
(だめだめ、別にリディが何か悪いわけじゃないんだから――)
ふう――と1つ大きく息をつく。それから、ミリアはアステリッドに返す。
「『鉄道』の話、もう聞いてるのね?」
「はい。『英雄王』やミリアさんのお父さまから聞かされました。ああ、それより、大変なんです! エリザベス教授のバレリア遺跡がパソコンでAIかもしれなかったんですよ!?」
助詞関係がぐちゃぐちゃで全く意味が通ってない――。
さきほどエリザベス教授との話の中で、少しだが概要を聞いていたミリアだからある程度理解できたが、そうでなければ全く意味が分からないところだ。
「――今、エリザベス教授のところに行ってきたところよ。その話も少し聞いたわ。《《それより》》――」
と、ミリアは何とか早々と切り上げ、「目的の人物」のことを聞こうと試みる。
「あ、そうだったんですね! エリザベス教授のところに行ってきたってことは――」
(そうそう。この部屋にあなたたちが居なかったから、エリザベス教授の部屋に行ったのよ。私が聞きたいことわかるでしょ?)
「――クリストファーさんのことを報告しに行ってらしたんですね! そう言えば、フランソワのお腹の方はどうでした? 少しは大きくなってました?」
ミリアは、「そっちかぁ~」と突っ込みたくなる衝動を何とか抑えて、
「――ま、まあね。少し膨らんできてたわ。でも、とても順調そうで、フランソワさんも幸せそうだったわよ?」
「そうなんですね。予定日は、たしか――」
「来年1月よ、それより、アステリッド――」
「あ! ごめんなさい、ミリアさん! 私、こんなお喋りしてる場合じゃなかったんです! 急いで、事務所に行かないと! みんなまってますので、これで失礼します! 明日また――!」
「あ! リディ! ちょっと――!」
そう声を掛けるが、アステリッドはミリアの言葉を聞く余裕もなく駆け出して行ってしまう。
部屋にはリーンアイムの寝息だけが響いていた。




