第868話 『鳳雛』の今
クルシュ暦372年8月上旬――。
ヘラルドカッツ王国国家魔術院院長執務室。
院長、レイモンド・ワーデル・ロジャッドは、各国国家魔術院からの回答に目を通し、ふぅと大きく息をついた。
『稀代の魔術師』キール・ヴァイスとの会談からすでに5カ月が過ぎようとしている。
この間レイモンドは、各国へ使いと書簡を送り、『国際魔術師機構』の構想について各国の魔術院の意見を求めてきていた。
『時代は新しい枠組みへと移り変わっている。我々魔術師も新しい組織体制を模索すべきであると思うがいかが?』
これが、主文だ。
『各国』とはいえ、『三大魔術師』のいる三国――メストリル王国、ウォルデラン王国、シェーランネル王国は除いている。
この三国の国家魔術院院長である『氷結』・『火炎』・『疾風』の三人とはすでに話がついているからだ。
「レイモンド院長。どうですか?」
レイモンドの補佐官でもあり、この国家魔術院の副院長も務めるその男が問いかけてくる。
「トリエンテス。皆、同じようなものだ。新しい組織体制というが、一体どういうものを想定しているのだと、そういう困惑が見える――といったところだな……」
「ですよね。各国へ足を運んで話してきた私本人が言うのもなんですが、『国際魔術師機構』構想についてはどこも懐疑的な反応が返ってきました。結局は『三大魔術師』が存在する限り、魔術師の世界に変革が訪れることは無い、それが本心なのでしょう」
トリエンテス・キュビエール。
ヘラルドカッツ国家魔術院副院長であり、レイモンドの片腕でもある彼は、キールとレイモンドの会談の際、キールを執務室に案内した男である。
「その古い感覚を拭うための新体制構想なのだがな……」
「どの魔術院も、簡単に言えば、『三大魔術師』に目を付けられるのを恐れているのでしょう。かといって、その『三大魔術師』もすでにこの話を承知しているということを公開しても、信じるかどうか怪しいものですし、それをやってしまっては、それこそ、『三大魔術師』の意向に沿うことになり、何も変わりません。難しいですね――」
「やはり、お前の言うとおり、直接行って話さなければ埒は開かないというところだろう」
「――私が各国に赴いたことで、幾らか興味は持っていると思われますが……。各国とも、構想の中身が明確にならないうちは是非の意思表示も慎重にならざるを得ません」
トリエンテスの言うことはもっともである。
もちろんレイモンドもそのことは承知している。
ただ、数百年以上も続いてきた魔術師世界の『力による統制』が、即日で形を変えるとは考えられない。
これは、必要な『過程』であると割り切るしかない。
「そうだな。しかし、時間はどうしたって掛かるものだ。粘り強く推し進めていくしかないだろう――。ところで、陛下からもお話があった、『三国鉄道事業』のほうは、どうなんだ?」
レイモンドは、国際魔術師機構の話は少し置いておいて、喫緊の問題へと話を移す。
「はい。ヴェラーニ教授もすでにキュエリーゼに入って、詳細の打ち合わせに入った模様です。今考えられることといたしましては、敷設予定地や現場周辺の対魔物警戒ぐらいでしょうか。しばらくはキュエリーゼの王国兵や国家魔術院で対応できると思いますが、工事が始まれば、こちらからも応援を派遣せざるを得ないでしょう」
と、トリエンテス。
「うむ。人員の選定や確保は進んでいるようだな。引き続き、よろしく頼む」
レイモンドはトリエンテスにそう告げた。
トリエンテスは、了解の意を示し部屋をあとにする。
世界が変わり始めている。
いや、すでにその変革は陛下が提唱した『自由経済主義』からはじまっているのだが、その変革の速度は古い体質を置き去りにするかのように加速度を増している。
『稀代』キール・ヴァイスの「海の国」構想のときも驚きを隠せなかったが、今度は陸上における輸送・交通の大変革が訪れている。
電力技術の進歩も目覚ましく、すでに各国の主要都市では、『電力街灯』が灯りをともしている。
(まったく、付いて行くのがやっとという感じだな――)
しかし、弱音を吐いてる場合ではない。
キュエリーゼのウィリアム王子とレイモンドはだいたい同世代になるのだが、ついこの間までは「三大魔術師」「英雄王」「自由経済主義の提唱者」の時代だった。
それがあっという間に、「稀代の魔術師」「ラアナの神童」の時代へと移り変わっていくのをひしひしと感じている。
(私たちの時代はあまりに短いと感じているのはウィリアム王子もおなじだろうな……)
その刹那のような短い時間の中で、次世代へとつなぐ歯車たらんと、必死になって足掻き続ける、そういう世代であると覚悟して臨まなければなるまい。
レイモンドは、変革の時代の渦の中に沈んでしまわないよう、一瞬たりとも気が抜けないと、改めて心に火をともしていた。




