第866話 ジルベルトの仕事もようやく
クルシュ暦372年7月末――。
ジルベルト・カバネラは、ようやく一仕事終えた。
結局のところ、キールの旦那は、ここの領主であり、ゲルカール商会の会頭でもあるフォルツ・ゲルカールともうまく関係を作ってしまった。
あの旦那に関係したものは皆、なんとなく折り合ってゆくのが本当に不思議だとは思う。
(かくいう自分もその一人なんだけどな――)
どうしてそうなるのか――?
ジルベルトは、なんとなくそれに対する答えを見出している。
(敵対する理由が見つからないんだよな――)
キール・ヴァイスという男が、誰にでも好かれるとんでもない『魅力』を持っているのかといえば、実際そうではないのだろうと思う。
例えば無条件に好意を持ってしまうような、そんな魔法は存在しないだろうし、もしあったとしても、永久に効果を発現し続ける魔法なんてものは存在しない。
(俺だって魔術師なんだからよ。そんなのは魔法を扱うものとして常識の範囲だ――)
というわけで、結局はなぜかと言えば、簡単な話なのだ。
ジルベルトにとってもそうだったのだが、別に、排除しなければこちらの存在が脅かされるような、そんな存在ではないからなのだろう。
キール・ヴァイスがこの世に存在していても、自分の生きていく場所が奪われたり、仕事が奪われたり、家族が奪われたり、財産が奪われたりするなんてことがないのだ。
むしろ、キール・ヴァイスがいることで、自分の可能性が拡がりを持つような、そういう気にさせられてしまう。
(本当に不思議な男だよなぁ、旦那は――)
事実、ジルベルト本人も、今自分がやっているような『仕事』をしていることを信じられないでいる。
それこそ数年前の自分が今の自分を見たら、「お前は俺じゃない」というだろう。
(そんな俺を、旦那は闇の中から引っ張り出してくれた。それに俺だけじゃなく、ルドのことも引き受けてくれたんだ。自分の被る不利益なんて屁でもないように――)
結局は、恩義を感じているのは俺の方で、俺が勝手にそう思っていて、旦那の役に立ちたいと勝手に思ってる。それだけのことなんだよな――。
「おー! ジル! どうだ? 何か問題はありそうか?」
ジルベルトの視線の先に、こちらに向かって手を振るキール・ヴァイスの姿が見える。
別に、うっとりするような美男子でもない。
かといって、ぐいぐい引っ張るような兄貴肌でもない。
逆に、自分がいないとどうしようもないと思えるほどに軟でもない。
そりゃあ、魔術師としてはとんでもない素質を持っている男だが、それに憧れているわけでも、畏怖の念を抱いているわけでもない。
なのに――。
(なんだろうな――。あいつの役に立ちたいと、役に立っていると思える自分のことが、とても誇らしく思えてくるんだよな)
ジルベルトは、少しだけ右手を上げて、応える。
「――全く問題なんてねぇよ。それより、大声で人の名前を叫ぶなよ? 恥ずかしいだろうが……」
と。
そんな俺を見ながら、キールという男は、近づいてくるなり、
「そうか? 別に誰も笑ったりはしてないだろう?」
と、怪訝な表情だ。
「キールさん、察してあげてくださいよ。ジルベルトさんは照れてるんですよ?」
と、横からアステリッドが余計な言葉を挟むが、ここで何か反論すれば、そのアステリッドの後ろに構えているリーンアイムがこちらに突っかかってくるからな――ここは、大人な対応を……。
「ま、まあそんなところだ。それより、交渉の方はマジで何も問題ねぇ。ゲルカールとの娼館の共同経営は、あとは出資割合とか、立上げ時期の設定など、細かい実務的なことばかりだ。それもほぼほぼ折り合いがついたしな――」
「――そうか。ありがとう、ご苦労さん、ジル。じゃあ、あとはルイの承認があればOKだね?」
「ああ、それで、ほぼ終わりだ――。旦那、今回は、出張ってもらって悪かった。次は――」
「次は、自分一人で――なんていうなよ? 俺がここに来たのは、ルドさんから頼まれたからだし、仲間を助けるのは当然のことなんだからな? 礼なら、帰ってルドさんにしろ。それに、だいぶん心配してたから、覚悟しとくんだな?」
「あ、ああ。そうだな――。助かったよ、旦那。お疲れさま、だ」
「ああ、お疲れさま。さて、それじゃあ、帰ろうか――。リーンアイム、頼めるか?」
「嫌だとは言わぬ。今回は美味いものを食わせてもらったからな――。あのオストラという貝は絶品であったな!!」
と、リーンアイムが言った。
なんだと――?
と、ジルベルトは少し引っ掛かった。
キールとアステリッドの表情が、気まずさに歪んでいくのが目に見えてわかる。
「リーンアイムさん!! 余計な事を――!!」
アステリッドが叫ぶ。
「ジルベルトは、ほら、フォルツさんとの交渉が――ね?」
と、キールの旦那。
どうやら今回も、やっぱり「俺」は、『蚊帳の外』だったらしい――。
「あ、ほら、ジルには、これをやるから――」
そう言ってキールの旦那は、ポケットから何やら引っ張り出す。
「――エルヴィンからもらった、乾燥昆布さ、噛むほどに味が……」
「いいよ、もう。いつものことだ――」
そう言いながらジルベルトは、キールの手のひらからそれを摘まみ取ると口の中に放り込んだ。




