第849話 霧の向こうの島影
ルクレツィアにもトーラス号の船影が視界にとらえられる。
そしてその先に見える黒い影も――。
「やはり、島? なのか?」
ルクレツィアは思わずそう呟いた。
「――いや、それにしては、何か妙ですぜ?」
と、サルバが応じる。
「なんて言えばいいのかわからねぇけど、自然のものとは思えねぇ――」
ルクレツィアの眼にもそう映っている。
まだ遠くて良く分からないが、確かにサルバの言うとおり、自然の造形とは何か違った違和感があるフォルムをしているように見える。
その時、船体がぐらりと大きく揺れた。
「――な! なんだ!?」
「船が、右に――島の方に引っ張られてるぞ!?」
ルクレツィアの言葉にすかさずサルバが応じた。
「まさか、トーラス号も、これに引っ張られたのか――?」
「かもしれませんな――。どうやら通信もまだ回復してないようです――」
「まさか――精霊力減衰地帯――? サルバ! このあたりはもしかしたら、あのジダテリア山と同様に精霊力が極めて弱まる地域なのかもしれない!」
「なんですって!? そういや、俺の守護精霊も、気配が薄いような気がする――」
「おそらく間違いない――。私の『加護』も随分と弱まっている。サルバ、こっから先は、通信士に頼れない。信号旗を準備させろ!」
「了解、提督。――おい! すぐに信号旗と手旗信号を準備しろ――!」
サルバが船員に即座に指示を落とす。
船はまだ島の方へと流されている。風がないわけではないから、操船次第では流れに逆らって脱出できる可能性はある。
しかし、互いに連携が取れなければ、艦隊はバラバラに散ってしまい、おそらく戻れない船も出てくるだろう。
「すぐに信号を上げるぞ! まずは密集隊形を取るんだ! 急げ!」
ルクレツィアの号令に弾かれたように反応したサルバが、即座に信号士に指示を送る。
すると数秒のうちに信号旗が掲げられる。信号旗は『赤一色』。エルルート族流の信号旗では、色は隊形を表す。
赤は密集。黄色は中距離。青は長距離の基本3種だ。
旗艦であるこのレ・フィーエ号の信号機を確認した各艦が、同様に赤一色の旗を掲げだす。
最後に、一番離れていたトーラス号のマストにも赤い旗が上がった。
「トーラス号! 反応! 赤旗が上がりました!」
見張りの声が落ちてくる。
「サルバ! トーラス号を追うぞ! 全艦に通達! 『トーラス号のもとに集結せよ』!」
「サー!!」
すぐさま新しい信号旗が掲げられ、全艦がトーラス号の方へ寄せるように舵を切る。
「サルバ、トーラス号を捕捉したら、場合によっては、全速離脱を敢行する。帆の予備を準備させておけ」
「ほう! これはまた無茶をなさる気ですな? いいでしょう! お応えしましょう!」
「すまぬ、頼むぞ――」
「お任せを――。それにしても……、あれはいったい何なんですかねぇ?」
サルバがさっきよりかなり大きくなった『島影』の方に視線を移してそう言った。
「――分からん。金属の板なのか? 金属なら光があたれば反射するのだろうが……」
そう言ってルクレツィアは天を仰ぐ。が、そこそこ強い雨はやむ気配はない。
「――これでは、太陽は期待できないだろうからな」
「ですなぁ……。ん? トーラス号の足が落ちましたな――」
サルバが言うとおり、トーラス号の船影が大きくなる速度がさっきより早くなっている。
「流れが、止まる――?」
ルクレツィアがそう呟いた瞬間だった。
がくん――!! と、前方に向いた圧力がルクレツィアの身体にも掛かるのがわかった。
「くぅ!」と、呻きつつ、どうにか前方の転びそうになるのを耐え、態勢を戻したルクレツィアに対して、
「やはり、流れが止まりましたな――。それに――」
と、サルバが口を開く。
「ああ……、雨が上がる――」
と、ルクレツィアも気がついていることをサルバへ伝える。
この『島』の周囲数十メートルの地域には雨が降っていなかったのだ。
風も随分と弱まって、波も落ち着いている。
さっきまでの荒れ海が嘘のように、随分と静かになった――。
「上陸――してみますか?」
サルバが遠慮がちに問いかけてくる。
「そうだな――。精霊力も戻っている――。やはり、この島の周囲だけ、晴れ間はないが天候は落ち着いているのかもしれん。サルバ、全艦停止だ――。いつでも離脱できるよう船体の損傷を確認し修繕が必要ならすぐに取り掛かれ。私は、少し船を離れる――」
「行くつもりですか? 舵手をつけます。せめてそいつは連れていってください」
「ああ、わかった。30分経っても戻らなければ、そのまま出航しろ――」
「冗談を――。その命令には従えませぬな。この艦隊は『提督の艦隊』です。提督が居なくなれば、艦隊の命運もそこまでですぜ?」
「――――」
「ほら、お困りになっておられる。難しく考えることは無いんですよ、提督。戻ってくればいいだけなんですから」
「――そう……だな。わかった。私が戻るまで、このまま待機だ。戻ったらすぐに離脱する。準備を怠るな……」
ルクレツィアはもう一度姿勢を正してそう命令を下す。
「もちろん――。どうぞお気をつけて」
サルバがそう微笑みながら返してきた。
ルクレツィアは指揮台を降り、ボウトの方へと向かった。




