危機去りぬ
『ここの運営は一体何考えてるのかしら……』
槐の処遇について一段落ついたところで、ヤヒコはエリンにフレンドチャットで連絡を取っていた。
『プレイヤーがプレイヤーを召喚獣にできるようにしてあるなんて……普通では考えられないことだわ……』
普通はプレイヤー間のいざこざを避けるためにも、そんなことが可能な仕様にはしないものである。
「まあでも、プレイヤーでも召喚獣になるってことは、NPC相手にもそうされる可能性があるってことですよ。ちょっと注意しておいた方が良いんじゃないでしょうか?」
『そうね、全体に伝えておくわ。今回の襲撃では連れ去られた人はいないみたいだけど、その恐れもあるわよね。NPC吸血鬼に召喚士がいない保証はないわけだし』
誘拐された先で従属吸血鬼にされたり邪眼で操られたりして、無理矢理に召喚契約を結ばされないとも限らないわけだ。さらに、プレイヤーの召喚士を攫って使うという手もある。全く持って厄介だった。
「とりあえず、槐さんについてはしばらく海底神殿にいるということで、よろしくお願いします」
『わかったわ。こちらは、槐さん以外にも誘拐予告をされている人が数人いたから、その人達を保護してイリーンベルグに送ったところよ。スキルの高い職人や素材生産者ばかりが狙われていたみたいね。ヤヒコ君が敵の親玉を追い返してくれてから、襲撃は今のところ止んでるけど、これからは各ギルド持ち回りでパトロールでもするべきかもしれないわね……』
「え? 追い返したって……まさかあいつ、あれで帰っちゃったんですか? 根性ねーな……」
『まさか節分の豆が効くなんてねえ……今どの町でも急いで豆を大量に炒っているところよ。土地に余裕のあるギルドでは、農業系のスキル持ちのプレイヤーを集めて大豆の大規模栽培に乗り出したわ』
「鰯の頭と柊もいいかもしれませんよ。各家の門に飾っておくとか」
『漁協も魚が釣れるようになったみたいだし、鰯をたくさん獲ってきてくれるように頼んでおこうかしらね。身はつみれにでもして汁物に入れちゃえばいいし』
エリンとの連絡が終わり、槐の部屋に向かうと、何故か海竜の長がいて槐とチェスをしていた。
「長さん、何でここに……」
長は無言でヤヒコのほうを向くと、何か小さな缶箱を差し出した。見れば『ゆめひつじ』のロゴが入っている。
「え、ありがとうございます」
ヤヒコが受け取って開けてみると、中はクッキーの詰め合わせだった。土産のつもりだろうか。
「何で海の底、しかも水中で普通に飲食ができるのかは知らんが、なかなか美味いクッキーだな、これはどこの店のだ?」
チェスをしながら2人でクッキーをつまんでお茶をしているらしい。
「平気なのはこの神殿の中だけですよ。神殿内は女神の加護で陸上産の飲食物に被害が出ないようになってるんだそうです。建物の外に出たらあっという間に浸水します。クッキーは……これは『ゆめひつじ』っていうケーキ屋さんのですね。イリーンベルグにあって、長さんとか『黒狼旅団』の団長とかが常連やってるんです」
「お前、あそこのギルマスと知り合いなのか。というか、長さんって誰だ?」
「え? 何言ってるんですか、槐さんが今チェスしてる相手ですよ。このひと……じゃなくてこの竜は海竜の長です。チェスする相手と自己紹介もしないんですか……?」
「…………こいつ無言で部屋に入ってきて、いきなりチェスとお茶の準備をし始めたから……しかし、海竜だったのか……」
自己紹介も他人に任せるくらい筋金入りの無言なのに、何故書類はあんななのか。
「まあいいですけど……とりあえずエリンさんに、槐さんはしばらくここにいるって連絡は入れておきました」
「すまんな。全く、吸血鬼共のせいで面倒なことばかりだ。しばらく地上の客の相手はできんな」
「お仕事依頼しに来れる人がいませんもんね……」
「商売あがったりだ、とっとと灰にでもなってしまえ、あのクソ吸血鬼め!」
怒りに任せてバリバリとクッキーを噛み砕く槐。海竜の長は優雅にお茶を飲んでいた。
「んじゃ、俺は一度《始まりの町》に戻ります。追加で豆買って炒っておきたいんで。槐さんは、何か買ってくるものとかありますか?」
「そうだな……じゃあ何か適当に食い物をいくつか買って来てくれ。しばらくここに籠るにしても、食事まで用意してもらうのも悪いからな」
「わかりました。……え? 何ですかこれ?」
長がクリップで留められた数十枚の紙と小型のアイテムボックスを差し出してくる。受け取って紙を見てみると、店の名前と商品の名前がずらりと並んでいる……彼もお使いを頼みたいらしい。しかも名前からしてどれも甘味であるようだ。店への行き方まで簡略図付きで説明してあった。アイテムボックスの中には財布が入っているので、『これで買えるだけ買ってこい』ということだろう。
「えー……わかりました。じゃ、行ってきますね」
仕方なく長からの頼みも受け、ヤヒコは買いだしに出かけるのであった。また吸血鬼に襲われても、すぐに豆を撒いて海に逃げ込めばいいだろう。




