謁見の間
重々しい音を立てて開いた城門の向こうには、長い石造りの道が続いていた。
彫刻の施された黒い柱が左右に並び、その先には、霧に頂を隠された巨大な城がそびえ立っている。
俺が想像していた城とは、随分と趣が違う。
城というより、要塞だ。
人が住むものとは思えない。……絶対、不便だろうな。これ。
「うおー……」
見上げながら思わず声が漏れた。
隣に立つニコラスが、くすりと笑って歩き出す。
「なぁ、俺、こんな格好でいいのかな」
自分のボロボロの服を見る。
さすがにTPOってもんがあるんじゃ。
「なにお前、他に一張羅でも持ってきてんの?」
「いいや、これしかないけど」
「俺も。ほら、行くぞ」
顔を上げると、ほかの挑戦者たちは、すでに門をくぐり始めていた。
空気が変わった気がした。
背後で城門が軋む音を立てながらゆっくりと閉じていく。
振り返ると、先ほどまでいた森が、巨大な門の向こうにすっぱりと隠れてしまった。
——もう、戻れない。
そんな考えが頭をよぎって、俺は小さく息を吐いた。
……いや、別に戻るつもりはないんだけど。
ここまで来たんだ。
ポチの手がかりを見つけるまでは、帰るわけにはいかない。
ついでに言うと、帰り方も、わからない。
「キリオ?」
「ん? ああ、悪い。行こう」
ニコラスに促され、再び前を向く。
城の中へ続く道は、妙に静かだった。
大勢の人間が歩いているはずなのに、聞こえるのは靴音ばかり。誰もが口を閉ざし、目の前にそびえる建物を見上げている。
さっきまであれだけ賑やかだったニコラスも、今は黙っていた。
黒い外套を纏った人影達が、値踏みをするように俺たちを見ている。
辿り着いた巨大な扉の両脇には、甲冑に身を包んだ衛兵が立っていた。
俺たちを一瞥した衛兵が、何も言わずに扉を押し開く。
その先にあったのは、広大な大広間だった。
高い天井は薄暗く、どこまで続いているのかもわからない。黒い石柱が何本も立ち並び、その奥には、さらに高い段差と、長い階段が見えた。
階段の先には、玉座らしきものがある。
それが目に入った途端、思わず背筋が伸びた。
いや、だって王様なんて、はじめて見るし。
王……しかも冥界の、ってとこは冥王ってやつだ。
どんな王様なのか想像もつかなかった。
「来たか」
不意に、広間の奥から声が響いた。
低く、よく通る声だった。
それだけで、ざわめいていた広間が静まり返る。
俺は、反射的に目を凝らした。
長い階段の上。
玉座の前に、一人の男が立っていた。
遠目にもわかる、悠然とした佇まいだった。
かつりと靴音を響かせた男は、ゆっくりと玉座に座り、俺たちを見下ろした。
その少し後ろには、もうひとり人影がある。
女だった。
淡い色の衣装を身にまとい、背筋を伸ばして静かに立っている。長い髪が肩のあたりで柔らかく揺れていた。
女がふと、こちらに視線を向けた。
目が合う。
俺は反射的に、軽く頭を下げた。
女もまた、丁寧に会釈を返してきた。
「よくぞ、ここまで辿り着いた」
ハデスが再び口を開く。
それは労いの言葉のはずなのに、なぜだかその声を聞くだけで背筋に緊張が走った。
「私はハデス」
なぜだか、息がしにくい。
その言葉に、広間の誰もが頭を垂れた。
俺も慌てて、頭を下げる。
「此度、私は強い願いを持つ者を集めた」
ハデスの声が、黒い石柱に囲まれた広間の隅々まで届き、俺たちの足元にまで重く落ちてくる。
「冥府十二門を超える者を求めたからだ」
冥府十二門。
聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げた。
広間には戸惑いの空気が広がる。皆、同様に何も知らないみたい……。
「……?」
隣のニコラスを盗み見ると、さっきまでの笑みが消えていた。眉間に皺を寄せ、階段の上をじっと見つめている。
「ニコラス……?」
「冥府には、十二の門がある」
ハデスが続ける。
「十二の門には、それぞれ門番がいる。門番に認められた者だけが、次の門を開く鍵を得られる」
俺は違和感に首を傾げた。
「すべての門を突破した者には、願いをひとつ叶える機会が与えられる」
その瞬間、広間の空気が変わった。
張り詰めていた緊張の中に、別の熱が混じる。
先ほどまで俯いていた挑戦者たちが、一斉に顔を上げた。目の奥に、恐怖とは違う光が宿る。
願いを叶える。
その言葉が、それぞれの胸の奥にあるものを引きずり出したようだった。
「……本当に、どんな願いでも?」
誰かが尋ねた。
声は震えていた。
「辿り着いた者が、そう望むのならば」
ハデスは淡々と答えた。
その言い方が、かえって不安を煽った。
たとえどんな望みであっても叶えられる、としたら……。
——そんなことがあっていいのだろうか。
「十二の門は容易に越えられるものではない」
ハデスの声が、再び広間を満たした。
「途中で命を落とすこともあるだろうな」
その言葉に、何人かが息を呑んだ。
遠回しな言い方ではなかった。
死ぬ、と言ったのだ。
その言葉を聞いた途端、胸の奥が冷たくなった。
森で遭遇した化け物の姿が、頭の中に浮かぶ。
あれだけでも、俺ひとりではどうにもならなかった。
あんなのにまた出会うとしたら。
……いや、同じとは限らない。
限らないけど、もっとひどい可能性だってある。
ある者は、無意識に腰の剣へ手を伸ばした。別の誰かは、唇を固く結び、階段の先を見上げている。
誰もが、まだ見ぬ門の向こうを想像していた。
「己の力を過信するな。門の先に何が待つかは、私にもすべてを語ることはできぬ。仲間を信じるか、己ひとりで進むか。それもまた、お前たち自身が決めることだ」
「——参加を望まぬ者は、申し出るがよい。ここまで来た功勲を讃えて、無事に家まで送り届けよう」
無事に、家に——。
さっきまで聞こえていた衣擦れの音も、誰かの小さな息遣いも、すべて消えたように感じた。
帰れる……?
この時、俺は声を上げるべきだったのかもしれない。
でも——、声は出なかった。
頭に浮かんだのは実家の2階の部屋。
仕事に追われる毎日。帰っても誰もいない部屋。
もう、ポチはどこにもいない。
……帰って、どうする。
俺は口を開きかけて、閉じた。
誰も声を上げはしなかった。
それぞれに、引き返せない理由があるのだろう。
「よかろう」
ハデスはゆっくりと頷いた。
「では、お前たちの願いを聞かせてくれ」




