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クロ

森の中で、狼の黒い毛並みに覆われた後ろ姿が艶めく。

木々の間から、わずかに月の光が降り注いでいた。

随分と気温が下がってきた。毛皮のおかげで凍える程ではないけれど、やっぱり城を発つのは、明るくなるのを待っていた方がよかったかな。

そう考えて、狼の様子を盗み見た。

もしかしたら…………というかたぶん、こいつ、よくわかんないけど俺のことを待っててくれたんだよな、きっと。

こんな寒い中、待たせちゃったのか。

 

「何をもごもご言ってやがんだ?」

「あ、口に出てた?」

「無自覚かよ、気味悪ィ」

「ごめん。…朝まであとどれくらいかなって」

吐いた息が少しだけ白くなった。

羽織った毛皮に鼻を埋める。

「……………朝なんざねェよ」

「は?」

「ここは冥府だ。てめェらの言う地下に近い」

「空あるのに?」

「そういうもんだ」

「じゃあ、ずっと夜?」

「朝も夜もねェ。ずっと暗いところは暗いし、ほのかに明るいところは明るい」

そんなもん、なんだ。

「……寒いのか?」

「え、や…」

毛皮のおかげで身体はそこまで寒くはない。直接外気に晒された指先と顔は寒さを通り越して少し痛くなってきたが。

こいつこそ、寒く……は、なさそうだな。

「おい、3歩下がれ」

「へ、なんで」

「罠だ」

 

「は?」

 

次の瞬間には蔦のようなものに足を取られていた。

木に宙吊りにされる。

「今度は……っ!何!?」

視界には、暗い森の枝の上で光る何対もの眼。

……人、よりも毛深くて、異様に長い腕と、細長い手。


「コンニチハ」


話しかけられて戸惑った。

「コンニチハ」

「えと、はい。こんにち……は……?」

「シシ カ?」

シシ……?ああ、獅子?もしかして俺の毛皮のこと?

「いや、違う。これは毛皮で、俺は人間……」

「ニンゲン」

「ニンゲン ダ」

「トレタ」

「……ん?」

「ケガ ハ アリマスカ」

怪我?もしかして、こいつら俺のこと心配してくれてんのか?

「いや、ありがとう。大丈夫。なぁ、この蔦、取るの手伝ってもらえないか?」

「コレ カタイ」

「あ、そうなんだ。じゃあ、自分でなんとかするよ」

「ビョウキ ハ アリマスカ」

「病気?ないよ。ありがとう。言葉、話せるんだな」

蔦を解こうと引っ張りながら、返事をする。

ちょっとズレてる感じあるけど、親切心みたいなのは伝わるよ。

「親切ついでに聞きたいことあるんだけど、ここらへんでポチって犬、知らない?」

だめだ。ぎちぎちに絡んだ蔦は、素手じゃ解けそうにない。

「イヌ?」

「そう。黒い犬。探してんの」

「イヌ ハ シラナイ」

「そっか。さんきゅ」

「デモ ニンゲン イッパイ トレタ」

「…………へ?」

「キセイチュウ ハ アリマスカ」

「………寄生虫、?」

「イルト、マズイ」

「へ?」

俺の真横に、人がひとり、俺と同じように蔦に足を取られて逆さ吊りにされた。

「……っ!?」

「マタ トレタ」

また…?

「シンセン ナ ニンゲン」


目を凝らすと、同様に宙吊りにされた人が、いち、に、3人。

さっき城にいた人達だ。

なんかデジャヴ。

「コンニチハ」

「コンニチハ」

「コンニチハ」

周囲からたくさんの声が降ってくる。

「これって」

「ケガ ハ アリマスカ ビョウキ ハ アリマスカ」

「オイシク タベラレマスカ」

言葉が通じるからって、誰が人間に友好的だって言ったよ!クソ!

「おい!お前!刃物は!?」

「え、刃物……!?」

よく見ると、2人は蔦に腕まで拘束されていて、あとの1人は武器を落としたのか、丸腰だ。

腰に巻いた革製のダガーシースを探る。

運良く、腕も短剣も蔦には絡め取られていなかった。

城で選んだ短剣を握りしめる。

人間を吊り上げるほどの束になった蔦めがけて、刃を振り下ろした。


「…………え?」

切れない。

短剣の刃を、ノコギリのように蔦へぎこぎこと押し当てて、引っ掻いて、擦って、…………切れない。

「はあ!?」

切れない剣とか、意味ないじゃん!

必死に蔦を断とうとする俺に、大きな影が落ちた。

 

「ウマソウ」


近くで見ると余計に不気味だ。毛深い身体、長すぎるほど長い手足、焦点の合わぬ眼で、カタコトの言葉を発する……大きな、猿。


「オトコ カタイ」


……はい?


「オンナ コドモ ヤワラカイ」

「オトコ カタイ」

「テ モ アシ モ カタイ」


それなら、食べないでもらって……。


「ソレナラ」

「ナカミ」

「ムケバ イイ」

「ウチガワ ヤワイ」

「ヌルクテ」

「ヤワラカクテ」

「ウマイ」


「待って!待って待って!」

内側って何!?内臓ってこと!?

あっという間に、取り囲まれた。

いわゆる魔獣ってやつなのだろうか。

異様に大きな手のひらが、迫る。

開いた大きな口には、大きな、牙。

「ゴチソウ」

その指先が触れる寸前、森の奥から低い声が響いた。

「おい、人間」

化け物たちの動きが止まった。

「なに遊んでやがる?」

不意の声に、化け物は動きを止めた。

地上を見下ろすと、狼が不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。

「あ、その…」

このどこを見て、遊んでいると思われました?

「さっさと行くぞ」

狼が背中を向ける。

なんでそんなにマイペースなの!?心配して!?

「イタダキマス」

「おい、あんた!」

こいつ、本当に行く気だ。

置いていかないでくれ。

そう思った瞬間、口が勝手に動いていた。

「おい!行くなって!待って!!!」


「…ステイ!!!」


思わず散歩中にどんどん進むポチに向かって言う、止まれの指示を叫んでいた。

この指示でも素直に止まってくれたことはないんだけど、ウザそうに振り向いてくれてたっけ……。


「へ?」

狼が、眉間の皺を濃くして、さもうざったいものを見るように、こちらを振り返っていた。

「あの……」


「猿どもよ!」

狼のよく通る低音が森に響いた。

「それを降ろせ」


「ワレラ ノ ショクジ」

「ナゼ カンショウ サレル」

化け物たちが一斉に声をあげる。森がざわめいた。

「降ろせ」

「ナンノタメ」

「もう言わねェぞ?」

「シカシ」

「逆らうつもりか?」

狼の声は、終始静かだった。はずなのに。

しゅるりと蔦が解かれた。

ぼとりと地面に落とされる。

見上げると、木の上で大きな猿たちが、頭(こうべ)を垂れていた。

 

「……あんたって、なんか偉いひと?」

「ここでは力が序列になる」

「あんた、強いの?」

「さあな?」

「あんたって……、いや、なぁ」

我ながらしつこい問いかけに、金色の目が面倒くさそうにこちらを一瞥する。

「名前、知らないと不便なんだけど」

「名前?」

「俺は犬塚桐緒っていいます。お名前は何ですか?」

「…………てめェに教えるものなど」

「てめェじゃなくて桐緒ね」

「うざ…」

「ないの?名前」

「………なぜ教えなきゃならねェ」

「不便じゃん。教えてくれないなら勝手に呼ぶよ?」

「あん?」

「クロ」

「………………はぁ?」

「黒いから、クロ!」

「……てめェの名付けは、一体……」

「だから俺は桐緒だって」

「……誰が呼ぶか」

「クロ、行くよ」

「あのな……!」


クロ、と続けて呼ぶと、牙を剥いた狼が、諦めたかのように顔を背けて、また森の中を歩き出した。



 

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