ヘルハウンド
振り向けば、まだ猿の魔獣たちは、頭を下げたままの姿で俺たちを見送っている。
一緒に蔦の罠から降ろされた3人がこちらを見ていた。
「あの、大丈夫そうっすか?」
俺が声をかけると、3人は一斉に目を見開いた。慌てたように視線を逸らし、そのまま逃げるように去っていく。
「……な、へ?」
3人の視線のあった先——は、クロの姿。
冥界といえども、こんなデカい狼がいたらそりゃ怖いか。
「お世辞にも、可愛い顔とは言えないもんな」
「あん?なんだ?」
これで人懐っこい犬みたいならいいけど。
「無愛想で口も悪い、と…」
「てめェ、噛むぞ?」
口も悪い、と言えば。
「こっちの動物って、みんな話せるの?」
「魔獣のことか?……そいつの知能と権能によるところだが、話せる方が稀ではある」
「ふーん」
「さっきのようにカタコトでも話す種類はいるが、そういうのは人間を欺く為にその能力を得たものが殆どだ。言語を発するモノは、それだけで警戒対象だと思え」
「クロは?」
「は?」
「喋るじゃん」
クロは俺を見つめて短く沈黙した後、大きなため息を吐いた。
「……俺がその気なら、てめぇはとっくに食われてる。今頃、骨すら残ってねぇよ」
え、まじで?
この狼、出来るだけ怒らせないほうがいいのかもしれない。
言語を発するモノは、それだけで警戒対象。
じゃあ、言語を発した上で、友好的に見えるものは——?
じっとクロの姿を見る。
こいつ……、なんで一緒に来てくれるんだ。
なんで毎回助けてくれるんだ。
もしかしなくとも、1番危ないのはこいつなんじゃ……。
手の中に持ったままだった短剣を思わず握り締めた。
こいつの目的を、俺は聞いていない。
「なぁ、クロ……」
あれ、いない。
「おい。それ、儀式用だな」
いつの間にか、クロが俺の背後に回っていた。大きな頭が、手元を覗き込んでいる。
図体がデカいくせに、音も気配もまるでなかった。
「え、嘘」
「意匠はいいが、刃が研がれてねェ」
そりゃあ、どうりで。
「そんなんじゃ肉なんて切れはしねぇ」
「にく?」
「なんだ?てめぇはそれでどうするつもりだったんだ?」
「え、なんか、身が、守れたらいいな……って」
「あほか。己の身を守るためには、目の前の敵を立ち上がれねェようしなきゃならねェ。いや、たとえ立ち上がれなかろうとも、命尽きるまで襲ってくる奴らなんぞ、わんさかいる」
「……う……っ」
「皮を裂いて、肉を断てない武器に意味はねェ」
「そんな…」
「……切ろうとすんな」
「え?」
ゆっくりとクロが俺の前に回り込んだ。
「刺突。突き刺すイメージだ」
肉を刺す感触を、生々しく想像した。
そんな風に使う機会、欲しくないんですけど。
「関節を狙え。それが手っ取り早い」
「関節って…」
「だが——。望ましいのは、心臓だ」
俺の持つ短剣の先に、クロが身体を押し付けた。
「ちょ、なにして」
「ここだ。肋骨の間から」
艶やかな黒い毛並みに、銀色の剣先が呑まれていく。
「一気に」
「待ってって」
「躊躇いは、捨てろ」
「クロ……!!!」
俺の叫び声と同時に、クロが身を引いた。
「覚えたな」
何事もなかったかのように、黒い身体が歩き出した。
「ばーか。こんな鈍の刃で俺が傷つくわけねぇだろう」
クロが鼻を鳴らした。
「どっかで研ぎ師を見つけろ。そうすりゃ少しは使いもんになる」
心臓が、バクバクする。
こんな実践形式で教えてくれるなよ……。
短剣を握ったまま震える右手を、左腕で押し留めた。
こんなものを、誰かに向ける日が来るのだろうか。
できれば、そんな日は来てほしくないなと思った。
だって、俺は、ただポチを探しているだけで——。
ふいに、大きな遠吠えが聞こえた。
「どうした?行くぞ」
「めっちゃ遠吠えが聞こえるんですけど」
「ああ、ヘルハウンドだろうな」
「あの川にいた……。森にもいんの!?」
「奴らは群れで移動しながら狩りをする。個体数も多いが、行動範囲も広い」
「早く抜けなきゃ」
「そう急くな。これは獲物を捕えた合図だろう」
「獲物?」
「人間」
「にんげん………………」
遠吠えの発生源。そう遠くはなさそうだ。むしろ数百メートルくらい。その範囲で、人間って……。
「あの人たち……っ!!!」
さっき別れたあの3人じゃ……!
「行くな」
「でも」
「てめェの手には負えねぇ」
「それは…」
「…………………俺が近づけば、奴らは目の前の食事も諦めて逃げるだろうな」
「じゃあ」
「だが、てめェはそれでどうする。奴らを追い払った後、そこに何が残っていると思う」
「……」
「もう手遅れだ」
「な……っ」
「既に死んでいる」
「でも、今ならまだ、キレイな状態で、家族とか……っ!」
「あの数だ。もう既に、誰かなどわからぬ程に喰われてんだろう」
返す言葉が見つからなかった。
ヘルハウンド……。死した犬の魂が正しく導かれずに、野犬化した魔獣、だったっけ。
その群れに、万が一、ポチがいたらどうしよう。
俺が見つけた時、ポチがヘルハウンドになってたら。
人間を食べる化け物になってたら……。
ポチ、お腹空かせてないかな——。
「おら、行くぞ」
「なあ、クロ」
「あん?」
「本当に、ポチ知らない?」
早く、見つけなきゃ。
「……知らん」
「なんかツテとかないの?」
「……知るか」
「そっか」
「前にもそう言ったはずだ。なぜ……俺に聞く」
「いや、その…」
クロは、なんで俺の味方をしてくれるの?
そう聞きかけて、口をつぐんだ。
代わりに、別の言葉が出てくる。
「——犬の知り合いとか多そうなのになって」
「てめェは俺を何だと思っている」
「いぬ…狼の偉いひと?」
「帰れ」
「なんだよ。行くぞって言ったり、帰れって言ったり」
「てめェな、」
また、ヘルハウンドの遠吠えが聞こえた。
俺の肩が、びくりと跳ねる。
クロが何か言おうとした口を閉じて、ひとつ大きなため息をついた。
「無駄口叩かず、ついて来い」
クロが歩む方向を少しだけ変えた。
「せめて死体を見ないで済むように、道は選んでやる」




