再会
目の前に広がる、豪華な食事。
肉の焼ける匂い。輝く銀色の食器。
腹が、ぐぅと鳴った。
「歓迎しよう」
そうハデスが声に出したと同時に、広間には次々に給仕が現れ、あれよあれよとこのご馳走たちを用意していく。
いつの間にか弦楽器の四重奏が始まっていた。
なにこれマナーとか、知らないんだけど。
「毒は入ってないみたいだぞ?」
すでに遠慮のえの字もなく食事に手をつけているニコラスが、俺に赤い液体の入ったグラスを渡してきた。
「なに」
「赤ワイン」
「あ、りがと…」
「白の方が好みだったか?」
「いや、」
ニコラスの腕の中へと視線を注ぐ。こいつ、ボトルのまま飲む気だ。
マナーとか考えた自分がバカらしくなってきた。
「亡者でないお前たちは、腹も空けば眠りもする。ここまでまともな食事はなかっただろう。今宵ひと晩、英気を養うといい」
もう一度、俺の腹が鳴った。
「今すぐに発つのも、休むのもお前達次第だ」
ハデスが広間を見渡す。
「最後の門をくぐることができるのは1人だけ。時間か、体力か。己で見極めて進め」
——辿り着ける者がいるかどうかは、別だがな。
一瞬、全員の手が止まった。
次の瞬間、ほとんどの挑戦者が飯をかき込みながら急いで出立の準備を始めた。
「ああ、それから、人間」
その場にいる殆どの人が顔を上げた。
人間、と呼ばれてしまえば、そりゃそうだ。
例に漏れず顔を上げた俺は、ばりちとハデスと視線が合った。
「……武器庫を解放する。各々好きな武器を持っていくと良い」
全員が通された武器は、想像以上の広さだった。
壁にはずらりと剣や斧、弓や盾がかけられている。
まるで博物館……いや、超絶金持ちの膨大な個人のコレクションって言った方がしっくりくるな。
上の方、どうやって取るんだろうな?
「いいもんあったか?」
ニコラスに声をかけられた。
「あいつら、見境いなしに持ってくな」
目の前では、大きな箱を重ねた上に乗った奴らが、壁の武器を根こそぎ下ろしていく。
持って行っていいとは言われたけど、なんかまるで盗賊みたいで、見ている俺が申し訳ない気持ちになる。
「お前も決めないと、良いもんから持ってかれるぜ?」
「んー……」
ニコラスが大剣を一本、値踏みをするように刃を灯りに照らしながら、俺の手の中を覗き込んだ。
「短剣?」
「これならなんとか」
「それだけで十二門を越えるつもりか?」
「越えられる気は、あんまりしないけど……剣をもらっても、使える気がしない。弓なんてもっと無理」
武器になりそうな物なんて、生まれてこの方、包丁くらいしか触ったことないし。
ニコラスは呆れたように眉を寄せた。
「なら鎧は?あと盾。せめて身を守ることくらいはできるだろ」
差し出された鎧を持ち上げようとして、俺は思わず顔をしかめた。
「……重っ」
「当たり前だ。冥府の魔物の爪を防ぐもんだぞ」
「これ着て動ける気がしないんですけど」
「では、何であれば動ける?」
俺とニコラスのやり取りに不意に声がかかった。
「ハデス、様」
冥王の登場に、賊のように武器を漁っていた奴らがこそこそと去って行く。堂々としていればいいものを、やっぱり後ろめたさはあったみたいだ。
「何って……」
そりゃあ、軽くて、あと、ちょっと寒さとか凌げるといい。冥界に来てから、思ったより空気が肌寒いから。
「……外套とか?」
ハデスは、しばらく俺を見つめていた。
あれ、今ため息吐かれた?
「お前は本当に、英雄になる気がないのだな」
「別に、英雄になりに来たわけじゃないですし」
俺は無意識に腕の首輪のコインに視線を落とした。
鎧の冑を抱えたままの両手が重量に耐えかねて震える。それに呼応して、コインも小刻みに振動していた。
「手伝うか?」
冑を元の位置に戻そうとする俺に、ニコラスが言った。
「いや、たぶん戻せる、よ……っと……」
ふと、視界に黒ずんだ布の塊が飛び込んできた。
「……これは?」
俺が手に取ったのは、何かの毛皮のようだった。
毛並みは古びているのに、触れると不思議なほどしなやかで、思ったよりも随分丈夫そうだ。
何の毛皮だろう。
毛皮を片手に振り向くと、ハデスが小さく目を見開いた。
「それを、どこで」
「いや、今目の前にありましたけど。お、あったかいし意外に軽い。しかも皮、結構分厚いんだ。——これだと、ちょっとは身を守れますかね?」
ハデスは答えなかった。
ただ、俺の手元にある毛皮を見つめていた。
「それが何か、分かっているのか?」
「なにって、毛皮?……ですよね?」
「……そうか」
「?」
「ならば、好きにしろ」
目を伏せたハデスが小さく呟き、武器庫をあとにした。
「俺はもう発つぜ?」
納得のいくものが見つかったらしいニコラスが大剣を背負った。
「あ、おう、そっか」
——十二の門を超えて、願いを叶えられるのは1人だけ。
そりゃあ、みんな、我先にと進むだろう。
じゃあ、俺は…。
急ぐ理由はないが、……うん。
なにせ道がわからない。
「俺も!」
駅の改札かのように、城を後にする人々の波に乗る。
相変わらず屈強な衛兵は仁王立ちをしていて、黒い外套の人影が俺たちを見送っていた。
門を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
纏った毛皮が、黒ずんだ金色に艶めく。
どんどん人が疎らになっていく。
あれ、もしやみんな同じ方向ってわけじゃないのか。
もしかして、みんなそれぞれ門がどこにあるのかは知らなかったりするのか?
冥王ハデスの城には城下町なんてものはなくて、門を出たらすぐそこは通ってきた森。そして逆方向も、もちろん、森。しかも、なんかこっちはイバラが生い茂ってるんだけど。
「ここ通るの?俺」
あ、やべ、ニコラス……見失った。
辺りを見回すと、一瞬茂みの向こうで何かが動いた。
「ニコラス?」
返事はない。
「……誰、だ?」
そう発したと同時に、何者かに押し倒され、地面に縫い付けられた。
これって……。
聞き覚えのある低い声が降ってきた。
暗がりの中の、黒い身体。金色の、眼。
「相変わらず、隙だらけだな」
「あんた!あのときの!」
犬、と言いかけて口をつぐんだ。
「どこ行ってたんだよ!礼も言う前にいなくなって…」
「あん?じゃあ今言え」
「何を?」
「礼」
「は!?今こんな押し倒されてんのに!?」
「うるせェ。だからだろうがよ」
「え?」
黒い狼の身体の向こう。空を覆うように、ぐねぐねと動く、大きなイバラの群——。
「きっも…」
それは、一度俺に覆い被さった狼の背中に襲いかかろうとしたものの、狼の小さな威嚇の唸り声にびくりと反応し、茂みの中に消えて行った。
「のんきに歩きやがって」
「なんでまた助けてくれたんだ?」
「通り道だっただけだが?お前の上が」
嘘が下手すぎやしないか、こいつ。
「……文句あんのか」
「いや、別に」
狼がふいに視線を落とした。
俺の肩に掛かった毛皮を見て、ぴたりと動きを止める。
「……おい」
「ん?」
「その毛皮、どこで手に入れた」
「城の武器庫だけど。なにこれ、やっぱ掘り出し物?」
狼が口を閉ざした。
さっきまでの不機嫌そうな顔とは違う。何かを確かめるように、じっと毛皮を見つめている。
「……そうか」
それだけ呟くと、狼は踵を返した。
「なぁ、あんた……」
呼び止めたいのに、名前もわからない。
「あんたさ、……ひとり?」
頼む。
止まって。
「なぁ、一緒に」
—— 一緒に来ないか?
狼はぴくぴくと立った耳を小さく動かした。
「行くぞ」
「え、どこに?」
「第一の門だ。てめェ、まさか道案内まで必要なのか?」
そのまさか、ですけど……なんで。
「一緒に行ってくれるの?」
狼は一度だけ俺を振り返って、森の中を歩き始めた。




