55.懐郷
翌朝、日が昇ると同時に鬼樹の元気な声が勝手口から響いてきた。
「姫さまー!お迎えに上がりましたあーー!!」
鬼樹の声に飛び起きた凛生彩は、寝間着の上にガウンを羽織って寝ぼけ眼を擦りながら階下へ向かった。
「鬼樹さん、おはよう、ございます……早いですね……」
「姫様、おはようございます。お迎えがてら朝食をお持ちしました」
白い歯を見せてニカッと笑う鬼樹の手には紙袋が握られていた。
ふわっと香るパンの香ばしい香りは、凛生彩の鼻腔から脳へと瞬時に伝達され、凛生彩の眠気を一気に吹き飛ばした。
「美味しそうないい香り〜……鬼樹さんありがとうございます。よかったら鬼樹さんも一緒に食べませんか?コーヒーを淹れますね」
鬼樹の返事を待つ前にコーヒーの準備を始めた凛生彩は、カップを六ッ用意した。
「鬼樹さん、時雨と福豆はまだ一ノ蔵ですか?」
パンを紙袋から取り出して皿に乗せていた鬼樹は、
「時雨と福豆は先にキャンプ場に行ってもらいました。なので、カップは四ッで足りますよ」
「えっ、もう行ったのですか?」
「はい。今日はキャンプ場の予約が複数入っているので手伝いをお願いしました」
「それなら、今日は仕事場の準備だけなので私も何かお手伝いしますよ」
「あっ、いやぁ、姫様に手伝いをお願いするのは、ちょっと・・・」
鬼樹が返事に困っていると、
「いいですね。凛生彩の気分転換にもなりますし、女性スタッフがいれば女性のお客様も声を掛けやすいかもしれないですからね・・・」
灯魄が引き戸を開けて台所に入ってきた。
二階からゆるりと下りてきたレイコも、
「我も手伝うぞ・・・ふふっ」
「先生、レイコさん……おはようございます」
「凛生彩、おはよう。今日はキャンプ場の手伝いを頑張ってください」
「はい。頑張ります!」
凛生彩は戸棚に二つのカップを仕舞いながら灯魄に元気に返事をした。
「おはよう凛生彩。寝起きの格好のままではないか・・・我がコーヒーを淹れておくから着替えておいで」
「あっ、お願いします……」
凛生彩はレイコに会釈をして階段を駆け上がり、部屋の中へ入っていった。
バタンと二階で扉の閉まる音がすると、
「主様、本当に姫様に手伝わせて良いのですか?」
「えぇ、凛生彩は一度言ったら聞きませんからね・・・それに凛生彩を危険から遠ざけたいのはわかりますが、何が起きているか粗方知っておいた方が凛生彩も自分の身を守れます。しかも情報収集の場としてキャンプ場は適していると思いますよ」
「我も凛生彩の傍にいるから安心しろ。それに何があっても守り抜くんだろう・・・鬼樹よ」
「はい。鬼族の長として何があっても姫様をお守りします!」
「そうと決まれば、凛生彩が下りてくる前に朝食の準備を終わらせましょう」
一死神と一神と一鬼は凛生彩の支度が済む前に、全ての準備を整えた。
「先生、いってきます」
鬼樹が運転する黒のワンボックスカーにレイコと一緒に乗り込んだ凛生彩は見送りに出ていた灯魄に手を振った。
凛生彩は車の窓を開け吹き込む風と流れる景色をぼんやりと眺めていた。
『数日前に初めて通った道のはずなのに、『ご縁がある場所』と聞いたから余計意識しているのかもしれない』
胸の奥のざわつきに名を与えられないまま、ワンボックスカーは山道を進み【ウシトラキャンプ場】の看板の前に到着した。
門をくぐり駐車場に着くとログハウスの前で時雨と福豆が凛生彩の到着を待っていた。
「おっ、あいつらは姫様の到着を待ちきれないでいたんだなぁ」
「……ふふふ。鬼樹さん、片付けが終わったら管理棟に顔を出しますね」
停車を確認した凛生彩は時雨と福のもとへと駆け出していった。
——りりぃんシャラーン りりぃんシャラーン
凛生彩はカバンからコテージの鍵を取り出した。
コテージの扉を開けるとそこはキッチンスペースも備え付けられた広い部屋になっていた。キッチンの横の扉には【スタッフルーム】のプレートが下げられていた。
「こちらの部屋が仕事スペースになります。ヒト属の方たちとの打合わせなどはこちらの部屋を使用してください。ウッドデッキにもテーブルとチェアがありますのでそちらも使用可能です。【スタッフルーム】は凛生彩様の休憩スペースと管理棟のスタッフルームに繋がる扉があります。こちらはヒト属は入室できないように灯魄様が結界を施しています」
時雨の説明を受けた凛生彩は、早速運び込まれていた箱を空けながら仕事部屋を整えていった。
「仕事道具はデスクのところに、資料と本は本棚に……」
凛生彩は時雨と福と一緒に本を並べながら、
「時雨と福が私のアシスタントとして働くなら、私のことは『様』じゃなくて『さん』がいいと思うんだけど……どうかな?」
「わっ、わかりました・・・凛生彩さん」
一瞬の間、驚いた顔をした時雨は意を決したように凛生彩の名を呼んだ。
「はい! 凛生彩さん」
名前の部分を強調しながら笑顔で福が凛生彩の名を呼んだ。
『福の笑顔は破壊的だなぁ』と今度は凛生彩が一瞬怯んだ。
「二人に呼ばれると何だか恥ずかしいけど慣れないとね」
内なる声を悟られないようにしたつもりの凛生彩だったが、心の声をレイコにはしっかりと聴かれていた。
『おや?・・・それもあり、か・・・』
仕事場の片付けが終わり、凛生彩が手帳を確認しながら時雨に声をかけた。
「仕事先の人が打ち合わせを兼ねてキャンプ場に来る予定なんだけど、コテージの予約は入れられるかな?」
「それでしたら、かしら・・・じゃなかった、鬼樹さんに言えば大丈夫です」
「そうなのね。片付けが終わったから管理棟に行こうか」
管理棟に繋がる扉に時雨が手をかざし、『・・・・・』呪文を唱えると扉が静かに開いた。




