54.昔縁
先生は『夕食をとる時は執務室に居るから声をかけて』と言ってたな……と思いながら凛生彩が階段を下りていくと、台所のダイニングテーブルに向かい合わせに座って灯魄とレイコが話をしていた。
「凛生彩は私の横ね」
レイコが自分の横の椅子を引いて凛生彩に席をすすめた。
「ありがとうございます」
テーブルには既に夕食が並べられていた。
「琴と桜が夕食を用意してくれました。今晩はこれをいただきましょう。明日の朝食から、凛生彩は時雨や福豆と一緒に用意するようにしてください」
「わかりました。先生とレイコさんの食事の用意はどうしますか?」
「元来、私やレイコさんは食事をとる必要はないので・・・とりあえずは凛生彩、時雨、福豆の分を用意するようにしてください」
「我は凛生彩が食事をとる間はお茶でもいただこうかな。一緒に食べずとも、一人で食べるより皆んなでいた方が淋しくないからね」
灯魄は棚から一升瓶を取り出し、テーブルに並べた盃に酒を注いだ。
「さぁ、新生活の始まりです。お神酒を用意しましたので乾杯しましょう。各自盃を持って・・・乾杯!」
「主様も気が利くなあ。新生活に乾杯!」
「これからもよろしくお願いします。新生活に乾杯!」
一升瓶はあっという間に空になり、追加の酒を所望するレイコの声が夜通し山々に木魂していた。
翌日から凛生彩は日常生活を取り戻すべく、引っ越し前に請け負っていた仕事を母屋の自室で精力的に行っていた。
――― コン コン コン・・・
「凛生彩、夕食の時間よ」
扉を開けて自室に籠る凛生彩に声を掛けたのはレイコだった。
「えっ、もうそんな時間ですか?……夕食の支度をしないと……」
慌てて立ち上がった凛生彩にレイコは、はぁ・・・とため息を一つついた。
「時雨と福豆が用意してくれてるから慌てなくても大丈夫よ。『仕事に集中すると寝食を忘れる』って聞いていたけど、ここまでとは・・・凄い集中力ね」
「すいません。切りが良い所までって思いながら……切りがなくて……ついつい……へへっ」
「へへっ、じゃないわよ。ヒト属は体を壊したら死んでしまうか弱い生き物なのよ。まだまだ凛生彩と楽しみたいんだから無理はしないでね」
「……はい。気をつけます」
レイコが部屋に呼びに来ては注意する、凛生彩がその度に謝る。
このやり取りが続くこと数日後の昼下がり、仕事の一区切りが付いた凛生彩は灯魄とレイコと一階の談話室でお茶会をしていた。
「明日、キャンプ場にある仕事場に行こうと思うのですが、鬼樹さんに伝えるにはどうしたらいいですか?」
「鬼樹に伝言するなら時雨から伝えるのがいいでしょう」
「時雨ですか?」
「はい。時雨は鬼樹の直属の配下になります。因みにキャンプ場で働いている従業員は全て鬼樹の配下ですので全員が鬼族です」
「そうなのですね。鬼樹さんは鬼の頭なのですか?」
「ええ、この一帯の鬼の頭です。鬼樹が頭になってから統率が取れて揉め事はなかったのですが、最近少数ながら荒くれの別派閥の動きがなにらやきな臭くなってきていますので、気をつける必要がありそうです」
灯魄の眼光が厳しいものに変わり、空気が一変するのを凛生彩は肌で感じ取った。
「凛生彩が外出する時は我も一緒に行くから心配しないで大丈夫だよ」
「レイコさん……」
レイコの優しさに身体の緊張を解いた凛生彩は福豆の名が出ないことにふと疑問を感じた。
「先生?福豆は鬼樹さんの配下ではないのですか?」
「はい。今は鬼樹に預けている状態ですが、福豆の忠誠は凛生彩にあります。凛生彩は小鬼を呼び出したときのことを覚えていますか?」
「はい。時雨が先に来てくれて、その後に福豆が来てくれました」
「時雨が凛生彩の元に来たのは鬼樹の采配でした。福豆は呼び掛けに合わせるようにして、異界から凛生彩の元に来た感じです。福豆は凛生彩の傍に来たかったのでしょうね。福豆が来た理由は凛生彩の魂と福豆の前世に関係することなので、私から話しを聞くよりも凛生彩自身が思い出すほうが望ましいと思い、今まで伝えませんでした。既に凛生彩は気付いていると思いますが、この地は凛生彩の前世に関係する場所で、鬼樹とも昔馴染です」
「……それで、初めて鬼樹さんに会ったときに私を『姫様』と呼んだのですね」
「ええ、鬼樹には凛生彩が自分で思い出すまで昔にまつわることは禁句と伝えてあったのですが、『感動のあまりつい・・・』と悪びれる様子はありませんでした。何せ、前世の記憶は自分で思い出さないと現世の記憶と錯綜して思考が混乱してしまい、情報の多さから気持ちの整理が追い付かずに精神を病んでしまうことがありますので慎重に事を運ぶ必要があるのですよ。凛生彩は前世を思い出すきっかけを既に幾つか得ていますので、これからいろいろと思い出すでしょう。もし困りごとがあればその時は独りで抱え込まないで私たちを頼ってください」
「はい! 何か思い出したり、困ったことがあったら必ず先生やレイコさん達を頼ります!」
「すっごく深刻な話をしているはずなのに、なぜ凛生彩は瞳を輝かせているのかしらね?」
レイコは凛生彩の潜在的な能力が、今は好奇心となって現れていると察した。
「だって、ワクワクしませんか? 私の前世に纏わる地に再びご縁があって来ることができたのは、よほど強い縁があると思います。きっと私の前世の魂はこの地でやり残したことがあったのだと……今はそのように感じています」
「そうですね。凛生彩のお役目がこの地にあります。ゆっくりでいいので思い出して下さい」
―――凛生彩は前世の自分を思い出したとき何を思うのだろう・・・灯魄は笑顔を浮かべる凛生彩と共に喜びを分かつことができなかった。




