49.契約
甘味処で白狐から命名を頼まれた凛生彩はソファに座り夜通し名前を考えていたら気付けば朝になっていた。
『今日は山里に向かう日だなぁ』と東の窓から見える空が明るくなるのをぼんやりと眺めていると、
バン!と勢いよくドアが開いて白狐が入ってきた。
「おはよう・・・って、凛生彩は寝てないのか?」
「あぁ……神白狐様、おはようございます」
「何をそんなぬぼーとしているのだ。凛生彩が起きてたら朝食に誘うようにって灯魄様から伝言を預かってきたんだが・・・食べられそうにないか?」
「一晩中考え事をしていたのでお腹が空きました。今からいきましょう」
「そうか、では案内するからお手をどうぞ・・・」
白狐から差し出された手は陶器のように白く艶やかで、華奢な指先の造形美に凛生彩の描きたい衝動が沸いたが、今は灯魄を待たせてはいけないと、ぐぐっとざわつく気持ちを理性で抑え込んだ。
「今度、神白狐様に手のモデルをお願いしても良いですか?」
「凛生彩とはこれから長い付き合いになるから、思う存分に描いてくれて構わないよ」
微笑みを交わし手を取った凛生彩と白狐は灯魄が待つ一階の《縁紡ぎ》に向かった。
「先生、おはようございます」
灯魄は眺めていた手帳から視線を凛生彩に向けて、
「おはよう。凛生彩は名を考えていて寝ていないって顔をしてますね」
やれやれと呆れた顔で、向かいの席を凛生彩に勧めた。
凛生彩は『先生にはお見通しだよね』と思いながら灯魄の向かいの席に座り、キッチンの奥に視線を向けた。
「おはようございます。凛生彩さん」
山里に移るための準備に行っていた桜がお盆にコーヒーを乗せてキッチンから姿を見せた。
「おはようございます、桜さん。いつお戻りに?」
「先ほど戻ってきました。カフェラテをどうぞ・・・」
テーブルにことりと置かれたカップからはミルクに包まれた柔らかなコーヒーの優しい香りが立っていた。
「ありがとうございます……あっ、琴さん」
キッチンの奥から琴がお盆を持って出てきた。
「凛生彩さん、ご無沙汰しています・・・たまごサンドをどうぞ」
「……美味しそう。琴さん、ありがとうございます」
久しぶりの琴と桜の給仕に凛生彩は内心ホッとしたが、周りをキョロキョロと見渡して、
「時雨と福豆は一緒ではないのですか?」
不安そうな凛生彩に灯魄が声をかけた。
「時雨と福豆には用事を頼んでいますので、本日あちらで合流になります。道すがら、これから暮らす山里のことを凛生彩に話しをしようと思い、琴と桜にキャンピングカーの運転を任せるために来てもらいました」
「わかりました……早く食べて早く出発しないとですね!」
「いや、食事はゆっくり丁寧にとりましょう。ゆっくり食べても30分と変わらないですよ」
くくっと笑い灯魄はコーヒーを飲みながら凛生彩がたまごサンドを頬張るのを微笑みながら眺めていた。
山里へ向かうキャンピングカーは順調に首都高速道路を北上していた。
前回と同様にキャンピングカーには灯魄の結界が施されているため、揺れも振動もなく凛生彩は車酔いを気にしないで後ろの座席で灯魄と白狐と快適な時間を過ごしていた。灯魄は座席の間にあるテーブルの上に地図を広げ、
「これから暮らす里は、地図のこの辺りです。住まいになる屋敷は山間のここにある平地にあります。地図では県道と市道しか記されていませんが、市道から私有地に入る・・・ここから屋敷までの道はきちんと整備されています。あと屋敷から駅まで車で約15分ほどです。一番近くにある駅は無人駅になります」
地図をのぞき込んでうんうんと頷きながら灯魄の話しを真剣に聞いていた凛生彩は視線を灯魄に向け、
「買い物などは町に行く感じですか?」
「普段は御用聞きが居ますので頼めば何でも届けてくれますし、もし自分で買い物に行きたい場合は一番近くの町で車で30分程度、電車なら数駅先にショッピングセンターもあります。ネット環境も整っていますので、ネットで注文も可能です」
「私としては買い物もネット環境も問題ないなら、何も問題ない感じですが……先生から注意点などはありますか?」
「そうですね・・・屋敷がある付近や近隣の居住区域でしたら問題はありませんが、山などを散策する場合は必ず時雨や福豆を同行することと、私の結界を広げている範囲にしてもらうと安心です。地図のこの赤丸の範囲です」
灯魄が指し示す地図を注意深く見ていた凛生彩は、地図にいくつか印しがあることに気が付いた。
「赤丸の範囲って、駅や近隣の町も含まれていますし、だいぶ広い感じがしますが……このバツ印の場所は何でしょうか?」
「そのバツ印の場所は、女人禁制の山、神隠しが確認された場所、その他の禁忌地になりますので絶対に立ち入らないように注意してください。あとでこの地図のコピーを渡しますので保管してください」
灯魄の説明に驚いて顔を上げた凛生彩は、背筋から首筋、首筋から全身に悪寒が走った。一瞬の間、草木が生い茂る薄暗い場所に女人禁制と掲げられた古い立て看板の映像が脳裏をかすめたが、動揺を鎮めようと両腕をさすりながら、頭を振って即座に映像を消した。
「……はい。絶対に近づきません。今もあるのですね……女人禁制や神隠し、禁忌地が……」
「ええ、たまに怖いもの知らずのヒト属が肝試しにきて行方不明になることもあります・・・私の管轄している地で問題が発生したらすぐに対処していますが、他者の管理地になると何が潜んでいるかわからないので・・・十分に気を付けてください」
灯魄と凛生彩のやり取りを後ろの席から眺めていた白狐は、凛生彩の隣の席に移り、
「凛生彩のことは我も気にしておくから安心しておくれ・・・で、凛生彩と深く繋がると守りやすくなるのだが、里に着く前に契約を終わらせないか・・・」
白狐はいつもの軽口とは違い、真剣な面持ちで斜向かいに座る灯魄に視線を向けた。
「そうですね。神白狐様のご加護があればより安心して暮らせるでしょう。凛生彩はどうですか?」
灯魄に話しを向けられた凛生彩は、正面に座る灯魄から視線を外して落ち着きのない様子で指を動かしながら、
「神白狐様の名前ですが……いろいろ候補はあるのですが……」
「どのような名であっても、その方にふさわしいから浮かぶのです。言の葉にのせてください」
灯魄の言葉に勇気をもらった凛生彩は意を決したように視線を上げ、
「わかりました。では……」
凛生彩は隣に座る神白狐様の手を取り、じっと神白狐様の瞳を見つめたままその名を言にした。
「《レイコ》」
凛生彩が言を発した刹那、白狐の身体が眩しく白光した。
光が収まり静寂を保ったままの車内で、未だ視線が虚ろに空を向いたまま焦点が定まらない白狐の唇が凛生彩の言をなぞった。
「・・・レイコ」
白狐が《レイコ》の言霊を受け入れ、凛生彩とのご縁がここに結ばれた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
【山間の里】
週に一回のペースで話を進めていく予定です。
のんびりと気長にお付き合いいただければ幸いです。
並行世界【もうひとつの魂日和】もお楽しみください。




