44.呼寄
卯花の魂は今にも消えそうに不安定に揺れていた。神白狐様の御力で何とか形を保っていたが、それも限界寸前だったのだろう。
「神白狐様、後は私が引き継ぎましょう」
灯魄は白狐に声をかけると、懐から取り出した護符を卯花の胸元に押し当てた。護符が卯花の身体に吸い込まれるように消えたのを目視して、
「恩に着る」
白狐はソファにヒョイッと飛び乗り、灯魄に卯花を託した。
灯魄は卯花の魂に優しく呼びかけた。
「卯花さん、私の声が聞こえますか?」
卯花から何も反応を感じられなかった。
「卯花さん、今から額に触りますね」
灯魄は刀印を結び、卯花の額に指先を乗せ触れさせたまま呪文を唱えた。僅かではあるが卯花の瞳が開かれた。
「未だ、完全に魂がこちらに来ない・・・」
「先生、私が卯花さんに触れても良いでしょうか?」
様子を視ていた凜生彩は、後ろからそっと灯魄にお伺いを立てた。
灯魄は卯花から指先を離し、しかし目を卯花から離すことなく後ずさりして凜生彩に場所を譲った。
『この前の画の時と反対だな。先生から信頼されているのがわかる……嬉しい』
凜生彩は卯花の元へと歩を進め、後ずさる灯魄と並んだ一瞬の間、灯魄を一瞥しコクリと会釈して前に出た。灯魄と視線を合わせることはなかったが、灯魄も軽く頷いたのが見て取れた。
凜生彩は卯花に近づき、手が届く距離に詰めた瞬間、
「卯花さん。よく頑張りましたね!」
卯花を勢いよく抱きしめた。凜生彩に抱きしめられた卯花の身体の印影が、だんだんとはっきりしてくるのを灯魄と白狐は見守り続けた。
「ほぉ、御主様の愛し子はなかなか大胆だな・・・」
白狐はソファに身体を預けたまま、凜生彩と卯花から一時も視線を離さない灯魄に話しかけた。
「えぇ、あの子は豪胆です。しかも予想の遥か上を飛び越えてくるのです・・・ふふふっ」
「あの様子だともう大丈夫そうだ・・・我の力も限界だった故、本当に助かった」
白狐は頭を垂れた。
「神白狐様、よくぞ此処まであの魂を繋ぎ留めましたね・・・感心します。それで、卯花の魂を今後どうするか話し合いに応じるつもりはありますか?」
灯魄は白狐を見ずに言葉だけで威圧した。
「あぁ、卯花の魂はそちらに任せる。ここからは独り言として流してくれて構わないが・・・願わくばあの娘に未来を見せてやりたいと思っている」
白狐は凜生彩に抱きしめられて魂を取り戻しつつある卯花を優しい眼差しで見守っていた。
「凜生彩がそれを望めば私には異論はありません」
「そうか、なら我の交渉相手は御主の愛し子と言う訳だな・・・はははっ」
嬉しそうに目を細めた白狐は、ソファに完全に身体を預け目を閉じた。
「もうしばらく時間がかかりそうですから、少しお休みください」
「ありがとう・・・」
白狐は灯魄の心遣いに感謝し、自らの気配を消して己の力の回復に意識を集中させた。
白狐が休息に入ったのを確認した等伯が凜生彩と卯花の様子をうかがうと、凜生彩が卯花を抱きしめたまま、
「卯花さん、私の名前はリイアです。意識ははっきりしてきましたか?もし返事ができそうなら発声してみて下さい」
「・・・・・・リ・・・イ・・・ア」
「はい!私の名前はリイアです。あなたの名前はウハナです」
「・・・ウ・ハ・ナ・・・ウハナ・・・ワタシノ ナマエハ ウハナ デス・・・リイア サン」
「はい!魂が戻りましたね……よかったぁ……」
卯花を抱きしめる腕を解いた凜生彩は、後ろで見守ってくれている灯魄を振り返った。
「先生! 卯花さんを取り戻しました!……へへっ……」
安堵と疲労で凜生彩はその場でへたり込んでしまった。
「お疲れ様です。立てますか?」
灯魄はしゃがんでいる凜生彩に手を差し出した。
「……はい!」
灯魄の手を掴み「よいしょ!」と自分を鼓舞しながら足に力を入れて凜生彩は立ち上がり、そのまま灯魄に手を引かれて白狐がいるソファの向かいに座った。
「卯花さん、神白狐様の隣に座ってください」
灯魄が卯花に声をかけたが、魂が戻ってきて間がない卯花の魂と意識は完全に合致していない様子で未だ虚ろだった。灯魄の指示に従うようにゆらゆらと揺れながら白狐の横に卯花は静かに腰を下ろした。
「では、これからのことを話し合いましょう」
灯魄の言葉を合図に、琴と桜がお盆をもって現れた。
「凜生彩さん、お疲れさまでした。力彩の水をお飲みください」
凜生彩の前に置かれた薬瓶は、以前画の依頼の時に飲んだ灯魄が錬成したものだった。
「ありがとうございます、琴さん。先生、いただきます!」
凜生彩は薬瓶を手に取りコルクを キュキュッ スポッ と抜いて一気に飲み干した……刹那、身体がふわりと光り、凜生彩の思考が明瞭になり足に感覚が戻ってきた。
「神白狐様と卯花さんはこちらをどうぞ・・・」
桜が白狐と卯花の前に コトッ、コトッ、 と白い盃を置いた。
卯花が横に座る直前に目を開けていた白狐は「承知した」と言を発した瞬間、ボワッと白い煙幕に包まれ、煙が消えるとそこには美しい白髪の女性に変化した白狐が座っていた。
「いただきます」美しい所作で盃を持ち上げると「さあ、卯花も飲んで・・・」と先に卯花に盃を持たせた。白狐も盃を持ち杯を煽ると、風もないのに白髪がふわりと舞うと、艶やかな漆黒の黒髪に変化していた。卯花も白狐に倣うように杯に口をつけると瞳に力が戻ったようだった。
一人と一神と一霊の様子を確認した灯魄は、
「改めて神白狐様、今後の卯花の魂のことですが、先ほど伝えした通り凜生彩と交渉をしてください」
「承知した。お心遣い感謝する・・・」
白狐は正面に座る灯魄に礼を執り、凜生彩に視線を移した。
「主様の愛し子よ、此度は我と卯花を助けてくれてありがとう・・・」
白狐と卯花が深々と頭を垂れた。
凜生彩は慌てるようにして、
「神白狐様、滅相もありません。私は自分ができることをしたまでです。それにこの機会を与えてくれたのは先生ですので、私にお礼は必要ありません。あと、私の名は《凜生彩》です。姓は捨てたので凜生彩とお呼びいただければ幸いです!」
笑顔で名乗りをする凜生彩に白狐は心が浄化されていくのがはっきりと感じられた。
『これは、なかなかに美味・・・』
白狐は凜生彩に関心を持った・・・瞬刻、目の前から殺気が飛んできた。
「大丈夫、主様から愛し子を奪ったりしないよ。私にもいるからな・・・」と言いながら、隣に座る卯花を慈しむように包み込むような眼差しで見た。
「それなら結構・・・」
灯魄は隣に座る凜生彩に視線を向けて微笑んだ。
『……目の前に女神様がお二人もいる……』
「先生!いえ、女神様! この美しいお二人のお姿を、いま直ぐ描いていいでしょうか……」
「駄目です」
「ですよねぇ……ふふっ」
白狐は凜生彩と灯魄のやり取りを聞きながら、微笑ましくも少し羨ましく思った。




