39.現調
「せ、先生〜、おはようございます……はぁぁ〜、ワンピース姿が……尊い。今すぐこの感動を画いていいですか?」
「駄目です」
一階の《縁紡ぎ》に灯魄が姿を現すと凛生彩が既に待っていた。
灯魄の鉄紺色のワンピース姿を前に、顔がほのかに紅葉し口元に手を当てて瞳を輝かせた。
「……ですよねぇ。心に焼き付けないと……福眼です!」
「朝から元気で何より・・・昨夜はぐっすりと眠れたようですね」
「……分かりますか? 時雨と福豆が一緒に布団に入って寝てくれたんです……ふふっ。両脇を挟んでくれてぽかぽかで直ぐに寝てしまって……気付いたら朝でした」
「それはよかった・・・『凛生彩に悟られないように妖術を使ったな・・・上出来です』」
「先生? 今日の移動はどうするのですか?」
「琴と桜が車を手配していますので・・・では行きましょう」
灯魄が《縁紡ぎ》の扉を開けると、ビルの前に白いキャンピングカーが停車していた。
バタンッ・・バタンッ・・・
運転席と助手席から降りてきたのは、瑠璃紺色のパンツスーツを着た琴と薄花桜色のワンピース姿の桜だった。
「こ、こ、琴さん。桜さんまで……ス・テ・キ」
普段の矢絣の着物に袴姿とは違う琴と桜の装いに、凛生彩は脳内でシャッターを切っていた。
このまま凛生彩を持っていては出発が遅れてしまうと琴が声をかけた。
「おはようございます。凛生彩さん、後ろの席にどうぞ」
桜が「どうぞ」と後部のスライドドアを開けると、そこは執務室のような空間だった。
「はぁ……なんだか出かける前なのに感動しすぎて疲れました」
「凛生彩の反応は面白い。遅れますから・・・さぁ、乗りますよ」
灯魄が先に乗り、凛生彩を手招きした。
三死神と一人を載せた車が出発し高速道路を走行してしばらくたってからのこと、
「琴さんの運転はすごく静かで車体が揺れないのですが、何か秘訣があるのですか?」
凜生彩は誰とはなしに疑問を口にしてみた。
「この車を結解で覆っていますので、外からの干渉は受けないのです。なので、悪路でも強風でも車体を揺らすことはありません」
灯魄が読んでいた本を閉じて凜生彩に説明をした。
「それなら、車酔いの心配がなく移動時間も仕事ができますね。よかったです。実は三半規管が弱いのか幼い時から乗り物酔いがひどくて、乗り物で移動しながら本を読んだり何かをするとすぐに酔ってしまって……以前は『気合が足りないから』と親から言われ続けて……車で移動と聞いて正直心配していたんです。それでも先生や琴さんや桜さんなら私が具合が悪くなっても責めたりしないのは分かっていたので、気持ち的には楽だったんですけどね……」
苦笑いする凜生彩に灯魄は、
「協力者に配慮するのも仕事のうちです。凜生彩の体調も大丈夫そうなので、これから行く場所の説明をします」
凜生彩は「はい」と言って姿勢を正した。
「依頼の内容は、『【原因不明の不幸】に見舞われて困っている』だそうです。工場を解体する予定が何かしらの要因で解体作業が頓挫しているそうです。その原因究明が依頼の主体となります」
「先生に依頼が来たということは人的要因ではなく妖や怨念といったところでしょうか……」
凜生彩は鋭い指摘をするなと思いながら、
「琴と桜がこの案件の相談を受けたので事前に現地調査をしてもらいました。おおよその見当はついていますが、凜生彩には貴女自身の目で視て確かめて欲しいので、現地に着いたら貴女の感性でよく観察してみてください」
灯魄は信頼の眼差しを凜生彩に向け、凜生彩は口元を引き締めて頷いた。
車は渋滞にはまることもなく、高速道路を降りてしばらく一般道を走っていた。
「まもなく到着です。敷地の外に車を止めます」
助手席の桜が振り返り灯魄と凜生彩に声をかけた。
車が停車したのを確認して灯魄がドアハンドルに手を掛けながら、
「しっかり視てください。何があっても守りますから心の赴くままに動いて大丈夫です・・・開けます」
凜生彩は灯魄に続いて車外に出た。刹那、湿気た重苦しい空気と灰色の靄が立ち込める廃工場が凜生彩の目に飛び込んできた。
「…………ひゅっ」一瞬息を呑んだが、背中に灯魄の手の温もりを感じて、場に吞み込まれそうになっていた凜生彩は正気を取り戻した。
灯魄に目礼をして工場の敷地に向かい歩を進めた。
廃工場の敷地はコンクリート塀で囲われていて鉄の門扉が行く手を阻んでいた。琴が「少しお待ちを」と凜生彩に声を掛けながら鉄の門扉を ギィィ― と開けた。
門扉が開かれ、敷地に一歩足を踏み入れた凜生彩が先ず気になったのが、入ってすぐの左手に石畳を覆いつくすように雑草が生い茂り、その先にある荒れた祠だった。社の前には【稲荷】と記されたボロボロになったのぼりと、一対の神白狐が置かれていた。
「……あぁ……なんと罰当たりな……」
凜生彩は胸が締め付けられる思いがした。その思いに呼応したのか一体の白狐が凜生彩の前に姿を現した。何も言わずに白狐は凜生彩をじっと視ていた。
『あなたはここの守り神ね。待ってて……祠は綺麗にするから……人間の怠慢で……ごめんなさい』心の中で呼びかけると、白狐はスーッと静かに凜生彩の前から姿を消した。
凜生彩は大きく息を吐き、振り返って灯魄に伝えた。
「先生、神白狐様が悲しんでいます。誰も見向きをしなくなったと……このままでは祟り神になるかもしれません。しかし神白狐様はそれを望んでいません。早く祠を綺麗にと整えて祀らないと……」
精一杯に思いの丈を灯魄に伝えている凜生彩に、灯魄は優しく語り掛けた。
「凜生彩はまだ白狐を救えると思いましたか? まだ悪さをしていないと感じましたか?」
「はい! 神白狐様はとてもきれいな色をしていました。手を合わせる人がいなくなった事で力がなく輝きはありませんが、まだ間に合います」
「そうですか・・・わかりました。白狐に関しては祀りごとをするように進言しましょう。桜、原を直ぐにここに呼んで」
「わかりました」
桜は会釈をして姿を消した。
祀りごとをすると聞いて安心した凜生彩は工場に意識を向けた、瞬刻……鼓膜を叩くような籠った声が響いてきた。
『これは駄目なやつだ』意識を攫われないように気を付けながら、聴こえてくる音に集中した。
『これは、お経……』慌てて凜生彩は灯魄を見た。灯魄はゆっくりと頷いて、
「聴こえましたか?」
「はい。お経がはっきりと……鼓膜を叩くようなお経が……」
声に出して『お経』と言ってしまった凜生彩は恐怖を自覚し、全身に悪寒と鳥肌が立つのを止められなかった。
「これは不成仏霊です。姿は視えませんが……無の状態」
「そうですね・・・これは祓いの対象もしくは消滅の対象でしょうね。凜生彩は流石です。よく気付きましたね」
「先生、ありがとうございます……って、喜んでいる場合ではなくて……できればこの魂も救えませんか?」
「何故そう思うのですか?」
「お経が聴こえるということは、何かにすがりたい魂か死を悼んでお経を唱えている人が居るということですよね。それなら‘忘れられた魂ではないので成仏できると思うのです」
「成程、一理ありますね。やはり凜生彩を連れてきてよかったです。ではこの不成仏霊が誰なのか土地の所有者に尋ねてみましょう」
凜生彩は灯魄の判断に、『この地で迷っている魂なら救い出してあげたいし、もしそれが魂にとって迷惑なら先生が消滅させるだけ』と自分なりの落としどころを見つけ、ほっと胸を撫で下ろした。




