31.記憶
『……………………………くる…………………きた……』
凛生彩の意識は依頼主の“記憶”と同調した。
『……あっ…瞼の裏に依頼主の記憶が雪崩込んできた』
――( その時がきてしまった )
――森を抜け、満月に照らされた湖面が現れた
『……依頼主は森の木々の間を抜け……湖の方に向かって歩いているようだ。迷いなく一人でどんどん歩いて行く。周りを視ても同行者の気配はない。……………依頼主は立ち止まり木々の間から湖の方を見ている……ようだ…』
――湖の遥か向こう側の空は月光によって群青色に彩られ、山脈の暗影がくっきりと浮き出ていた
『この湖は随分と山の奥にあるのかも……山の稜線が月明かりで浮かび上がって幻想的に視える……雲ひとつない夜空に浮かぶ満月……満月の明るさで水面が視える。綺麗な情景だけど描くのはこの場面じゃ無い気がする』
――湖の周囲には大勢の人がいて各々の仕事をするべく動き回っている
『松明を持った人達が何かの準備をしているみたい……慌ただしく動き回っている……湖を囲むように等間隔で設置されているのは篝籠だろうか……』
――篝火は焚かれていない
――( まだその瞬間ではない )
――湖の辺りに祭壇が組まれ
――幕が張られた
――合図とともに篝火が一斉に焚かれた
――( …………全て整ってしまった )
『……えっ……整ってしまった? まるで…』
――(もう直ぐだ)
『これは何の儀式だろうか……満月に合わせ行う儀式……とは』
――横笛の音が聞こえてきた
――( ……始まった……もう止められない )
『…?……止められないとは?……………それにしてもとても澄んだ音色を出す奏者だな……音は画に描き入れることができない。惜しい……この音色もこの光景と一緒に描ければ素敵になるのに…………でもこの旋律はとても物悲しくもあり憤りを隠せていない。いや、隠していないのかもしれない……凄くバランスが悪いのに音として整っている……不思議な音色……』
――美しい横笛の調べともに祭壇に登った一人の娘
――( …………… )
――白い羽織りに朱の刺繍を施した
――( ………必ず叶える……………許せ )
『…?……いま叶えるって……“ゆるせ”って言った?……謝罪?…………ん? あれは何の刺繍だろう。もっと近くで視てみたいのに依頼主の視点だから、視えないのが残念。でも、あの朱色の刺繍は重要な意味がある気がする……………』
――白の袴に白い足袋
――長い黒髪を低い位置で一つにまとめている
『あの娘は巫女のような感じだな……』
――手には白い扇を持ち、扇の先から金銀の長い紐が垂れ下っている
――娘が舞い扇をあおぐたびに、たおやかに金銀の紐が揺れて横笛の音色を捉えてゆく
――( …………贄の役目を果たす娘 )
『……………贄?』
記憶を追うに連れて、記憶主の感情がより鮮明に凛生彩に伝わってきていた。
『……笛の音色と彼女の舞は息がぴったり合っている。練習を重ねただけでは無い気がするのはなんでだろう。今は分からないけど凄く重要なことのように感じる……』
――水面に波紋が立った
――( くる…… )
『……くる? ……何が?』
――刹那、篝火が一瞬消えかかる程の激しい水しぶきと空気のうねりとともに、湖の中央から黒い体躯が立ち昇った
――( きた……成功か )
「龍だ!!!」
凛生彩は突如姿を現した【龍】に、驚きで思わず“言葉”を発してしまった。
しかし、灯魄との同調は途切れることなく映像は進み続けていた。
凛生彩は再び深く記憶に戻っていった。
――横笛の音が止んだ
――静寂
――龍はそのまま浮昇し続け、遥か遠くの山脈を軽々と越え、さらに向こう側へと姿を消した
――( ………どういうことだ?………何処へ行くのだ……………【龍神】よ )
記憶主の吐露とは裏腹に、凛生彩が視た記憶は幻想的な風景画のようだった。しかし、『印象に残った場面は幾つかあるけど決め手に欠ける気がするのは何でだろう?……何かが足りない…』
凛生彩は依頼主の記憶が終わったはずなのに、納得いく画を捕らえることができないでいた。
戸惑いのなか、凛生彩と灯魄の同調が解かれ、凛生彩の意識は執務室のソファに横たわる己の躯に戻ってきた。
「おかえりなさい・・・“記憶の旅”はいかがでしたか?」
灯魄は未だ記憶の旅から意識が戻りきらない凛生彩に声をかけた。
「……………………」
「身体を起こして、この水を一口飲んでみてください」
灯魄は凛生彩の背に腕を差し入れて、上体を起こすのを手伝った。
「……ありがとうございます」
凛生彩が手渡された水を一口飲むと、悠久の旅をして離れていた魂が、身体にしっかりと戻るような気がした。
「凛生彩が視たそれはいかがでしたか?」
「……………それが……」凛生彩は包み隠さずに自分が視たもの、感じたままを灯魄に伝えた。
「依頼主の記憶は視えました。画に描くこともできます。しかし、私が選ばれた理由は普通の画を描くことではない気がします」
凛生彩は視えた記憶の一遍を描くだけと思っていた。
しかし、凛生彩の鋭い感受性や霊感の強さが影響して、まるで凛生彩自身が経験したような錯覚を起こすほどに、依頼主の感情まで視えてしまった。
「描き始めますが、何かを掴まないとこの画は完成しないと思います」
正直に今の気持ちを伝えたが、失望されるのではないかと不安でもあった。
折角主様のお役に立てると思ったのに、大事な何かをつかみ損なっている自分に悔しい思いもあった。
項垂れる凛生彩に灯魄は、
「やはり凛生彩にお願いしてよかったです。私もこの依頼を請け負ったタイミングを考慮すると、ただの画を描くものではないと観知していました」
「……そうなのですね。よかったです。先生に失望されたらどうしようかと思ったので……」
「おや?凛生彩はまだ私を信頼していないようですね」
意地悪気に灯魄はニヤリと微笑んだ。
「……そう…か。先生がではなく私の問題…です。自分に自信がないのを『先生に失望されたら…』と勝手に決めつけて………すいませんでした!」
ガバリと頭を下げ、勢いよく顔を上げた凛生彩の表情は自信を取り戻していた。
「もう大丈夫です!先生が信頼してくれている私を信じます!!」
「いつもの凛生彩に戻りましたね。貴女は独りで抱え込むきらいがあります。ここでは他者に頼ることを学びをしましょう。出来ることを出来る人が行い、互いに補い合うことを覚えましょう。貴女の【お願い】を断るモノは此処にはいません」
「……はい! しっかり学びます!!」
凛生彩は強ばっていた心身が解れ、喜びで胸が熱くなるのを感じた。
「このあと画の作成に取り掛かってもらいます。画を描いている間、凛生彩が画に集中できるように琴と桜を助手として傍に置きます。必要があれば二人に指示を出してください」
「えっ、時雨と福豆ではなくてですか?」
「あの鬼たちでは役不足です」
「わかりました」
凛生彩はニ鬼を外した理由を聞かなかった。自分を信頼して依頼を任せてくれた主様の采配は、画に集中できるように整えてくれたものだから何も疑う必要がなかった。
灯魄は自分の意図を正確に把握した凛生彩に喜びを感じた・・・信頼――善い哉
「琴、桜。凛生彩を頼みました」
「「御意」」
凛生彩は画の作成を行う場に自分の部屋を選んだ。
「琴さん、桜さん。よろしくお願いします」
「「わかりました」」
キャンバスや必要な画材など、全てを運び入れ準備を整えた。
「時雨、福豆。頑張って画を仕上げるから、それまで待っててね」
ニ鬼をギュッと抱き締めた凛生彩は、気持ちを切り替え『依頼主と正面から向き合う』と気合を入れた。




