30.依頼
コン コン コン コン・・・・
「凛生彩です……」
凛生彩はノックをして室内の主様に声をかけた。
「どうぞ」
変わらない温かく包み込むような落ち着いた声が、室内から凛生彩に届いた。
『……先生の声、好きだなぁ』と思いながらドアを開けて入室した。
「失礼します……」
「来てくれてありがとう。先ずは話しをしましょう・・・そこに座って」
応接用のソファに座っていた灯魄は、凛生彩に自分の向かいの席に座るように手で促した。
時雨と福豆はドアの近くの壁際に控え、凛生彩は灯魄に勧められたソファに着座した。
「早速ですが用件から伝えます。凛生彩に仕事の依頼です」
「……はい。私でお役に立てるなら、喜んで!」
間髪入れずに即答した凛生彩に――『貴女はやはり変わってない』
しかし、居場所を提供した自分に恩義を感じている凛生彩に、無理強いだけはしたくないと灯魄は思い、
「少しは悩んでいいのですよ」――いま一度選択肢を与えた。
「先生の仕事のお手伝いができるなら悩む必要はないですよ。それに直感で大丈夫!って思いましたから……へへっ」
「そう思って貰えるなら・・・改めて仕事を請け負ってくれてありがとう」
「やっ…やめてください。先生のお手伝いができるのは嬉しいので……しかし、私で役不足ではないですか?」
「現段階で私の知る限り、この依頼は凛生彩にしか頼めないでしょう。最善の人選です」
凛生彩は主様の言葉に戸惑った。
『私にしか頼めない……最善の人選……本当に? 本当なら嬉しい……』
「それはいくら何でも大袈裟すぎませんか?」
「いえ、私はお世辞を言えないので、そのままの言葉で受け取ってください」
「……へへっ……ありがとうございます!」
凛生彩は求められることの喜びは知っているつもりでいた。しかし、この喜びは今までのそれとは別格だった。『どうしよう……嬉しすぎて死にそう……』
「……ふふっふふっ」
灯魄は凛生彩の心の声に今回は反応しなかった。こんなに喜んでいる彼女の邪魔をしたくなかった。
「これからのスケジュールを確認しましょう。今請け負っている仕事があれば先ずはそちらを優先してください。こちらの依頼を優先してスケジュールを変更することは許しません。わかりましたか」
「わかりました」
「よろしい。先に依頼の内容を伝えますので、凛生彩がスケジュールを組んでください。私はそれに合わせます」
「…………わかりました。 『えっ…私に合わせる? 主様が?』 」
「はい。私が凛生彩に合わせます」
「……えっ?…もう……また心を覗きましたね。恥ずかしい……」
顔を赤らめて頬を押さえる凛生彩を灯魄は理解できなかった。
『凛生彩も大概、ニ死神とニ鬼の内なる声を聴いているのに・・・まぁ、彼女らしいか』――善い哉
「仕事の内容ですが、【依頼主の“記憶”にまつわる絵を描く】です。私が凛生彩に依頼主の“記憶”を視せますのでそれをあのキャンバスに描いてください」
本棚の横に立て掛けてあるキャンバスを指差して話しを続けた。
「凛生彩は画を描くことができますね。その力を私に貸してください」
「もちろんです! 私にできることであれば喜んで…質問をいいですか?」
「どうぞ」
「先生が視た“記憶”を私が画に描く……で合ってますか?」
「はい」
「先生が描くことはしないのですか?」
「えぇ、そこが問題点で今までこの手の依頼は全て断っていました。理由としては・・・私には描けないのです。記憶は動画です。その動画から静止画にするのが難しいので画に残すことができません。私が描いている間に場面が流れていってしまうので、結果として筆が追いつかないのです」
「わかります……場面が流れていく感覚や、その輝きのひとコマを捕まえる感覚……」
凛生彩は今朝の衝動を思い出して、時雨と福豆をチラッと横目で見た……時雨にはサッと視線を逸らされて、福豆はニコリとして小さく手を振っていた。
「凛生彩なら一瞬の輝きをきり取ることが可能でしょう。」
灯魄の声で凛生彩の気は引き戻された。
「『駄目だ集中しないと……』……そうですね。先生の期待に応えられるように頑張ります」
「では、正式に依頼を出しますので、スケジュールがわかり次第教えてください」
「……ん? 今わかりますよ。ちょっと待ってくださいね……」
凛生彩はポケットから手帳を取り出してページをめくりながら、
「 『このキャンバスだと一週間いや二週間あれば描けるかな?』……先生、絵具の指定はありますか?」
「絵具は特殊な絵具を用意しました。凛生彩さんの思いをそのまま反映する画材です」
「 『……そうすると……再来週の木曜日からニ週間ほど空きがあるから』……先生、10日後の木曜日はいかがでしょうか」
「私は凛生彩に合わせますので・・・では10日後に仕事を始めましょう」
▷▷▷
コン コン コン コン・・・・
「凛生彩です……」
凛生彩はノックをして主様に声をかけた後の、瞬刻の間の静寂に緊張した。
初めての仕事の依頼に緊張しているのと、主様のお役に立てる喜びと、何が起こるか想像できない冒険心で凛生彩の心は浮き足立っていた。
「どうぞ」
入室の許可を確認して凛生彩はドアを開けた。
「失礼します……。時雨、福豆。今日はここで大丈夫だよ。終わったら呼ぶから待っててね」
時雨と福豆は今日の仕事には同行できない。記憶を視るときに外から干渉する可能性があるものは近づけないのが定石。部屋に入るのは灯魄と凛生彩の二人きりで、『仕事の間は部屋を覆うように結界を張る』と打合わせの時に凛生彩は聞いていた。
「先ずはソファに横になってください。貴女が知っている催眠療法と同じ現象を経験すると思ってください。相違点は視えた映像が“依頼主の記憶”であって、凛生彩の記憶ではないと言うことです。横になったほうが身体を気にせずに映像に集中できるでしょう」
「はい」
「先刻もお伝えしましたが、凛生彩には今から視せる記憶の“一瞬”を描いて欲しいのです。凛生彩が最も印象に残った場面で構いませんので“記憶”を捕まえてください」
「わかりました」
凛生彩は自分のいらない高揚感を鎮めようと集中した。
『今日は私はいらない』
不必要な情報は描くのに邪魔になるだけだから、凛生彩は誰の”記憶“であるかは聞かないし興味を持たない。ただ視たままに…感じたままに…輝きの一瞬を捕まえればいい……いつも通りでいい。それでいい。
落ちてゆく意識を感じながら主様に全てを委ねていると、主様と意識が同調するのがわかった。
『……………………………くる…………………きた……』
凛生彩の意識は依頼主の“記憶”と同調した。




