26.拠所
手紙を記す作業は灯魄の執務室で行なった。
この執務室には灯魄に関係するモノだけが通れる冥府の門に繋がる道があった。
凛生彩が記した手紙を封筒に入れた灯魄は、刀印を結び封を施した。
「これを冥府に届けてくれ」
何も存在しない空間に灯魄は封筒を飛ばした……刹那、封筒が消えた。
一連の流れを視ていた凛生彩は胸の前で両指を組み、瞳を輝かせ灯魄の所作を羨望の眼差しで眺めていた。
「……はぁ…。無駄のない綺麗な所作ですね。絵に残して家宝にしたいです。先生、描いてもいいですか?」
「駄目です」
「……ですよね。言ってみただけです。うっかり『良いですよ』と許可が出るかも…と少し期待しました。……調子に乗りました。ごめんなさい……」
「本当に貴女は変わらない」
灯魄は凛生彩との会話を久々に楽しんでいた。
灯魄と凛生彩の魂は本来は対角にある存在
――『真っ直ぐな心を持つ貴女の魂は私には眩しすぎる』
灯魄は凛生彩が何か言いたげな様子に気付いていたが、彼女が自ら言い出すまでいくらでも待つつもりでいた。
凛生彩は自分が丸ごと全て受け入れられてるようで、こんなに心地よい場所を知らなかった。
凛生彩は勢いで言ってみた。
「ここに住みたいです!」
先ほど、カウンセリングの件で桜が言っていた「・・・求めてください」の“言霊”がずっと気に掛かっていた。
「良いですよ」
「……へっ?……えっ……本当に?」
「ええ、良いですよ・・・凛生彩が求めるのであれば叶えます」
喜びのあまり灯魄に抱きついた凛生彩は、居場所ができたことに安堵した。衝動で動いてよかったと思いつつ、冷静な凛生彩もまたそこにはいた。
「許可を貰ったあとで恐縮ですが、質問してもいいでしょうか?」
「どうぞ」
「このビルの周辺には先生の結界が張ってありますよね。人間の私が住んでも問題はないのでしょうか?」
「問題ですか?」
「はい。長く滞在すると妖になってしまうとか……」
「長期に渡り影響を受けると・・・なりますね」
真顔で怖いことを言う灯魄に言葉がでない凛生彩だったが、何としてでもここに留まりたかった。
「……わかりました。私はここに居たいので、妖になるのも一択かと思います。もし私が妖になったとしても置いてもらえますか?」
灯魄は凛生彩の純真さに応えたいと考えていた。
『この娘の願いは帰る場所があること・・・』
「確認ですが、凛生彩はヒト属を捨てるのですか?」
「はい。人でいることに特にこだわりはないので、魂は不変ですので特に種族にはこだわりはありません!」
思いの丈を灯魄にぶつけた凛生彩は、満足気に笑顔で灯魄の返答を待っていた。
「では、一つ質問します。正直に答えてください」
「わかりました。最終面接みたいなものですね!……どうぞ」
「凛生彩はいま請け負っている仕事や、大変な時に貴女を支えてくれた人たちとのご縁を切れますか? ヒト属を捨てるというのはそういうことを意味します」
凛生彩にとって予想だにしていなかった問だった。
ここに住むために今まで頑張ってきた仕事を手放し、辛いときに支えてくれた人達との別れを選ぶ……私の答えは……
「……えっ…選べません……。全部大切で……。順位をつけられません。いま私の周りに残っているものは頑張った証なのです。……でもここにも居たい。温かいこの場所に……ごめんなさい。私は欲張りです……傲慢ですね。全部欲しがるなんて……」
凛生彩は灯魄に深々と頭を垂れ、
「……先ほどは縁切りの手紙をありがとうございました。私はこれで失礼します……」
執務室を出るためにドアノブに手を掛けた。
「貴女はやはり変わらない。真っ直ぐ過ぎます……意地悪な問いでしたね」
灯魄の言葉にドアノブに手を掛けたままの凛生彩は大きく頭を横に振った。
「……いえ、意地悪ではありません。私にとって何が大切かを思い出させて貰った有り難い問でした」
「先ほど、私は『凛生彩が求めるのであれば叶えます』と言いました。私の発言は取り消せません」
「……?」
「凛生彩はここに住んでください。出掛けてもここに帰ってきて『ただいま』を言ってください。ここが貴女の居場所です。」
「……えっ?」
「外の仕事も継続してください。ヒト属の営みも大切にしてください」
「……それはどういうこと?」
「全部諦めなくても良いですよ……ということです」
「……本当に? 全部? 諦めなくてもいいのですか?……」
気持ちの乱高下に疲れ気味の凛生彩だったが、他者の悪意に振り回されることとは違い、自分の問題に向き合う時間は自分の成長に繋がると、前向きに捉えようと気持ちを切り替えた。
「これから説明しますので、ドアノブから手を離して、こちらのソファに座ってください。今お茶を用意させます」
「琴、桜・・・そこで聴いていますね」――灯魄はドアに向かって声をかけた。
ゆっくりと開いたドアの向こうには、お茶を乗せたお盆を持つ琴と、その横には和菓子を乗せたお盆を持つ桜が微笑みながら立っていた。
「「はい。お持ちしました」」
灯魄は改めて凛生彩にソファに座るように手で促し、琴と桜を見たら二人はすでに凛生彩の正面に着座して微笑んでいた。
「琴と桜は最近ますますヒト属らしくなりましたね」
「はい」
「そのように思います」――二人はこのとき【認知】を持った。
琴と桜は依那と千壽の一件から目覚ましい成長を遂げている
――灯魄は思う・・・善い哉。
「先ずは話しをする前に甘い物を摂取しましょう。凛生彩は疲れたでしょうから」
「……ありがとうございます。頭がボーッとしてきたので糖分は嬉しいです」
凛生彩の前に置かれた和菓子は〈黄身時雨〉だった。
『私の大好きな和菓子……琴さん、桜さん…ありがとう』凛生彩の頬を静かに涙が流れていた。
灯魄は凛生彩の横に座り「泣き過ぎると干からびますよ」と言いながらハンカチを渡し、琴と桜は頷きながら凛生彩に『聴こえたよ』と小さく手を振った。
「凛生彩さんは大好きな〈黄身時雨〉を食べて少しは落ち着きましたか?」
「はい。とても美味しかったです。久し振りに食べました……もう幸せすぎて『……あれ? 私の一生分の運を使い果たしてこのまま死ぬのかな?』」
「だから死にません・・・どれだけ死に急ぐのですか。『冥府の門をくぐりたい』とお願いされてもまだ連れていきません」
「一左先生! もう……恥ずかしいから心を覗かないでください」
恥ずかしさを誤魔化すように、頬を膨らませ腕を組んでプンプンする凛生彩に、
――賑やかになりそうですね・・・善い哉。
「では、落ち着いたところでこれからの話しをしましょう」
灯魄は三人を前にして話しを始めた。




