25.解放
凛生彩は呪縛の元凶、祖母の話を始めた。
―――母親の実家は佐渡島にありました。
母親は兄兄姉姉姉の六人兄姉の末っ子で、従兄弟、従姉妹が計21人いました。
祖母に会うのは家族4人で帰省する、年に一度の夏休みでした。
母親の父母と長兄家族が住まう佐渡島の実家に、五家族が帰省し親族でお盆を過ごのが恒例で、昼は皆んなで海水浴へ行き、夜は皆んなで蚊帳の中で雑魚寝状態でした。
お盆には迎え火を焚き、皆んなで墓参りに行きました。
その地域の送り火は、各家々で送り火を焚き、港には部落のお婆さんたちが集まり、ちんちん鐘(お鈴)を鳴らしながら念仏を唱え、ご先祖様の御霊を船に乗せ彼岸に帰すという儀式(風習)がありました。
祖母も参加していましたし、私も「ちんちん鐘に行くぞ」と誘われて毎年同行していました。そこ行くのは祖母と私だけでした。
どんな時も私は祖母の傍ら居ました。祖母が畑に行く時も、一緒に畑を耕し野菜の収穫を手伝ったのも私だけでした。
「さぁ、一緒に寝んかな」と、
祖母と祖父の間に挟まれて寝たのも何故か私だけでした。
夜中に起こされて、
「ハッサクを食べよう。皆には内緒だぞ」といたずらに笑う祖母の顔や、お茶目な一面を知っているのは私だけ……と子供ながらに誇らしい感じがありました。
母親はよく『獅子舞の獅子を見ると佐渡の母を思い出す。獅子のように怖くて厳しい人』と言っていましたけど、私はそうは感じませんでした。
私に対してはいつも笑顔で優しい祖母だったので……。
東京に戻る日は皆んなが別れを悲しんで涙していました。私も東京に帰りたくなくて、祖母と離れたくなくて泣きました。祖母も泣いていました。
別れるときは必ず、
「元気で頑張れ。お前のかあさんを頼んだよ」
「わかった。任せて!」と祖母に頼まれたことが嬉しくて、祖母の言う通りに東京に戻ったら『私が母を守るんだ』と思っていました。
祖母は、私に話す時だけ自分の末娘を『かあさん』と言っていました。
私に刷り込むように『お前のかあさん』と呼んだのです。
私の母親なので『母さん』で間違いはないのですが、今思えば刷り込みとしては完璧でしたね……自傷気味に凛生彩は苦笑した。
父母が喧嘩し離婚騒動になる度に、私は母の味方をしました。当り前のように母親と一緒に父親を非難しました。
ある日母親から、
『離婚をして家を出る』と言われたときは、この不毛な戦場からやっと解放されると何故だかホッとしたのを覚えています。
その当時、私は高校2年生でした。高校を中退して母親と一緒に働こうと真剣に未来図を描きました。直ぐに退学届の書き方も調べました。
しかし、舌の根の乾かぬうちに母親から、『 幸朗が(離婚はしないで欲しい。もし離婚するなら自分は父親につくから)って言うから、お母さんは離婚を止めたわ 』とあっさり言われた時は愕然としました……ちなみに幸朗は私の弟です。
あぁ、やっぱりこうなるかと……
母親は私より弟を大切にしていたのは気付いていました。
その時に思ったんです。
『私の覚悟を返して欲しい』と……心底母親に失望し、落胆した瞬間でした。
私は私で薄々気付きはじめていましたが、何処かで気付いたらいけない気もしていました。
私は祖母に頼まれていたので、何も疑うことなく母親の味方になっていた……祖母と約束したから頑張っていた……と。
毎年...毎年...
祖母は「かあさんを頼む」と私に呪縛をかけ続けました。
母親は中学校を卒業して直ぐ、東京にあるとある会社に就職するために上京しました。
貧しい生活の中で、子供たちを高校に進学させることが出来ずに、末娘を中学卒業と同時に東京に行かせなければならなかった親の懺悔。
15歳で島を離れて働かなければならなかった不憫な末娘のことを案じた親心。
祖母の愛情は私ではなく、自分の末娘……私の母親に注がれていた……と。
祖母が亡くなったとき、自営業の両親を葬儀に参列させるために、私は東京に残り、両親の代わりに家業を稼働させ続けました。
葬儀に参列したかった気持ちを抑えて、私は両親を佐渡島に行かせました。母親を早く祖母の元へ行かせてあげたかったんです。この時はまだ、祖母の呪縛に気付いていなかったので、この時のこの決断は正しいと信じていました。
親戚からは『 あんなに可愛がられていたのに、葬儀に参列しないなんて冷たい 』と叱責されました。母親は私を庇うことなくそのまま話を流しました。これでは肯定したのも同義。家業を守るために東京に残ったつもりが、後日談では私の行動は全て無意味で必要なかったことになっていました。
それでも私は祖母との約束を守りたかった……。
私は祖母の“魂”ともう一度会って話しをしたくて、そのころ催眠療法を学んでいたので自己催眠を施してみました。
催眠療法は心の深い場所、無意識に触れることができる方法でもあるので……知ってしまいました。
【悪意の無い悪意】
純粋だからこそ恐ろしい無自覚な【悪意】
末娘の幸せを願う無垢な思いが、私にとっては【呪縛】になっていたことを理解しました。
祖母にとっては悪意のない無垢な愛情表現だったのでしょう。
私はずっと祖母の【言霊】に縛られていたと……。
祖母の大切な末娘を守るためのに存在した傀儡でしかなかったと理解しました。
祖母の呪縛は完璧でした……驚愕しました……愛情を全く疑っていなかったので……。
呪縛は母親から掛けられた呪いだと思っていました。
私は【母親の厄年に産まれた女児】と言う縛りを、幼い時から掛けられ続けていました。
母親から何かにつけて、
『母親が厄年の時に産まれた女児は、母親の厄災を半分背負って生まれてくると言われているの。女児を産んだ母親の厄災は軽くなるのよ。母親とその女児は一蓮托生の命にあり、母親の半身であり一心同体なの。だから私とあなたのご縁、結び付きはとても強いものなのよ』……幼いときからずっと言われ続けてきました。
母親方にしか‘得’がない言い伝えを、さも『一緒に分かち合いましょう』と言われているようで腑に落ちなかったのが本心でした。
女児(私)にしたら、生まれた瞬間から災難を背負わされているのと変わらない……この話が出る度に【忌み子】みたいだと感じていました。
――これらの昔話は母から子へと伝承されるもの。
母親が娘の出産の手伝いのために佐渡島から上京した時に言って聞かせた話。
『厄年に生まれた娘だから、大切に育てればあなたの味方になるはず』……と。
私は生まれた瞬間に祖母によって【枷】をはめられたのです。
自己催眠から覚めた私は思わず失笑しました……言葉になリませんでした。
でも……気付きを得たことで『 もう母親に縛られなくていいのだ 』と安堵して涙が出ました。
心の何処かで気付かないようにしていた違和感……。
『愛されている』ことを疑ってはいけない。疑うのは私の愛情や優しさが足りないからだと……。
物心がついた頃から、自分は何モノなのか? 自分は何のために生まれてきたのか?……ずっと悩んできました。答えが見つからなくて苦しかったのを覚えています。
今の今まで自分の存在意義が見つからなくても当り前だったのです……私は『私ですらなかった』のだから……。
祖母が私の【自我】を封印していたから、私は何モノにもなれなかったのだと……。
言葉を詰まらせた凛生彩の瞳からは止めどなく涙が零れでていた。
涙を流すことで凛生彩は自分の“魂”の浄化しはじめていた。
静かに凛生彩の話しを聞いていた灯魄はある提案をした。
――真の解放の儀式
「凛生彩の祖母に手紙を書いてください。宛名は普段呼んでいた呼称名を記してください。冥府にいるモノに渡すよう伝えておきます」
凛生彩は灯魄に渡された紙に渡された筆で、偽らざる本心をここに記した。
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ばあちゃんへ
未来永劫、貴女たちの魂と交わることは拒否します
今世は私なりに精一杯貴女たち尽くしました
貴女たちに対してのやり残しや、後悔はありません
ここで縁切りです
さようなら
不肖の孫より
―――――――――封印




