23.門出
ジンジャーエールを飲みながら、凛生彩が不動産物件の情報を確認していると、珍しく琴が凛生彩の正面に座り、
「お引越しですか?」
「はい。一人暮らしをはじめます」
凛生彩は言い切った自分が誇らしかった。
「この辺りの物件ばかりですね」
「ええ、この辺りは私の癒し空間なので……」
そう言いながら、凛生彩の本心は…『このビルに空き部屋があれば即決断できるんだけどなぁ……まっ、結界内だから暮らすのは無理かもだけどね……』と考えていたのを、琴が読心して桜と共有していたことを凛生彩は知らない。
目ぼしい物件がないことに気落ちはしたが『まだ、始まったばかり』と自分に言い聞かせて、凛生彩は席を立った。
「またすぐに来ます」
コロ~ン コロ~ン コロ~ン・・・ドアベルの音が凛生彩の背にエールを送る
――『もう少しだ踏ん張れ!』
凛生彩を送り出した店内には、珍しい人が降りてきていた。
「琴、桜。お疲れ様さまでした」
「「灯魄様。お帰りなさいませ」」
琴と桜は恭しく礼を執ったのち、桜は灯魄にお伺いを立てた。
「灯魄様、何か不手際がありましたでしょうか?」
灯魄は余程のことないがない限り一階に降りてくることはない。
桜は、自分では気付かない問題があったのかもしれないと灯魄に問いかけた。
「二人はよくやっているから何も問題はないです。この度ご縁が繋がった〈永乃 凛生彩〉を見届けるために寄りました」
灯魄は下弦の月に合わせて冥府に移動していたので、《縁紡ぎ》に立ち寄るのは暫く振りになった。
「永乃 凛生彩は【カウンセリング】の文字を認識していたようですね」
「はい。来店二回目で質問を受けました」
「二回目ですか……やはりここの空気に馴染むのが早いですね」
「はい。石口依那は最後まで認識しませんでした」
桜は依那との違いを把握していた。
【カウンセリング承ります・・・万家 一左】の記載は、誰にでも見えるわけではない。依那や千壽のように見えないのが定石。《縁紡ぎ》とのご縁の深さによって人それぞれに視え方の違いが出る。
メニュー表を視て、【カウンセリング承ります】まで認識できるのは稀。灯魄や琴、桜の三名と【ご縁】の繋がりがある証拠。
ましてや、【・・・万家 一左】まで視えたとなると、灯魄と【特異のご縁】で結ばれている証。
依那や千壽が【カウンセリング・・・】を認識できなかった理由は、依那は桜の、千壽は琴の監視下に置かれ、ご縁の繋がりではなく狩るモノと狩られるモノの関係だからだっだ。しかし、琴と桜の干渉が過分にあった二人は、次のご縁が繋がれば【カウンセリング】の文字認識ができることを灯魄だけが知っていた。
「そうですね。二人の差異は繋がりの違いでしょうね・・・ところで琴は【読心術】を見破られていましたね」
「はい。彼女は‘感’がとても鋭く、感情を色別しています。私を【無垢】と知覚しました」
「琴を【無垢】と視ましたか・・・なかなかですね・・・逢うのが楽しみです」
灯魄と凛生彩は知己以上の仲であることを確信した桜は、
「発言をお許しください」
「許します」
「何故、先ほど御目通りの機会を与えなかったのでしょうか?」
「まだ、永乃 凛生彩には準備が整っていません。その瞬間がくれば自ら求めてくるでしょう。それまで待ちます」
凛生彩がここに住まうことを切望しているのを読心で知ってしまった琴は、
「発言をお許しください」
「許します」
「住まいを探しているようですが、こちらに住まうのは無理なのでしょうか?」
「琴はどのように考えますか?」
「・・・判断しかねます」
灯魄は暫く振りに会う二人の自我が、更に洗練されていることを喜ばしく感じた。
「二人は永乃 凛生彩を受け入れたようですね」
「はい。彼女の魂から灯魄様の気配がしましたので・・・」
「灯魄様に導かれていることは明らかでしたので・・・」
二人は聡い・・・手放す時期が直ぐそこまできていることを灯魄は愉悦した。
▷▷▷
《縁紡ぎ》を後にした凛生彩は、家に戻った後の自分の動きをイメージした。
貴重品、仕事で使う資料、パソコン……これだけを最後に持ち出せれば大丈夫。
『敵陣に囚われている人質を救出しに行く気分だな……』
今朝の出来事は突発的ではあったが、避けては通れない道だったと凛生彩は感じていた。さすがに今日になるとは考えてもみなかったが、必要な衣類や過去の仕事の資料など、嵩張るものはトランクルームを借りて少しずつ家から運び出していた。
『‘感’が冴えてるなぁ……』
凛生彩は自分の‘感’に従って動いてきた結果を自己称賛した。
家に着くとすでに部屋の明かりが全て落ちていた。
玄関の鍵をそっと開けて、足音を立てないように自室に入り、電気をつけた…瞬刻、凛生彩は自分ベットに腰を掛けて座っている母親に、驚きで一瞬だけ息が止まった。
しかし、これも織り込み済みだった。あらかた予想は立てていたので、驚きはしたが、声を上げるほどではなかった。
何か言いたげな母親に敢えて声をかけずに、必要な物を‘救出’すべく、手早くカバンに詰めていった。何も言わずに ジッ と自分を見ている母親の不気味さに当てられないように気をつけながら作業を続けた。
『……このベットでもう寝ることはないんだな』
少しの感傷に浸りながらも、【縁切り】の気持ちに変化はなかった。
ベッドに座り腕組みをしたまま『娘が謝るのが当たり前だ』と疑わずに、優越顔をして謝罪を待っている愚かな母親を見た瞬間、自分の行動の正しさを証明した。
必要な物をカバンに詰め終わり、凛生彩は母親の存在を無いものとして部屋を出た。母親はまさか自分の存在を無視されるとは思っていなかったのだろう…一瞬出遅れたのち「―待ちなさい!!!」と怒号を上げながら追いかけてきた。
凛生彩はこれも織り込み済み。
先ほど自室に向かう途中、廊下に椅子を置きバリケードを仕掛けておいたのが功を奏した。
母親は恐怖を暗闇で演出したつもりだったのか、自ら家中を暗くしたことで夜目が効かずに、椅子が置いてあることにも気付けず、椅子にぶつかり盛大に倒れた母親の叫び声を尻目に、凛生彩は生まれ育った家に決別を果たした。
―――さようなら




