22.縁切
凛生彩は嫌な汗をかいて目覚めた。
『……また悪夢を見たなぁ。最近ストレスが多いせいかなぁ』
悪夢の内容はいつも一緒だった。
母親から罵倒された後に、旧友たちの冷やかな視線と悪意に満ちた態度。何もでない己の無力を痛感し、心臓の鼓動が激しくなって……そして目覚める。
凛生彩が学生の頃、心霊話がクラスの中で流行ったことがあった。
その時は何も考えずに霊が『視える』ことを凛生彩は言ってしまった。その後しばらくは友人たちから『特別視』され、実際に経験した霊にまつわる怖い話をせがまれたり、相談を受け頼られることで相当調子に乗っていた……と今だからわかる。所謂自滅をした。
霊が視えると周囲に認知され友人たちの相談や話に乗っているうちに、日が経つにつれ友人たちの発言が変化していった。
『当たった、すごい』が『覗かれているようでイヤだ』…に。
『何の霊が視えるの? 今ここに何かいる?』が『なんだか不気味、怖がらせないでよ。本当に視えてるの?』…に。
『呪術とかできてすごい。護符をかいて』が『怒らせたら呪われそう』…に。
そのうちにごく自然の流れで避けられるようになった。
友人たちは自分に都合の悪い話のときは無関心を気取り、【悪意】を向けてくるようになった。しかし問題が発生して自分が大変になったときだけは、猫なで声を出し『何か憑いてるみたいだから助けて』『祓って』と擦り寄ってきた。
人の表裏の感情に辟易し、今は霊感があることを周囲には伏せている。言わないことが最大の防御になり自分を守る鎧になった。
学生時代の失態は記憶から消去したい《黒歴史》ではあるが、二度と同じ轍を踏まないための教訓にもなっていた。
『いつまで引きずっているんだ。バカだなわたし……しっかりしろわたし……大丈夫だ凛生彩……失敗を怖れるな……』
凛生彩はいつものように自分を鼓舞して、気持ちを切り替えた。
『さぁ、今日は外で打合わせ!』
凛生彩は朝食を済ませ、外出の準備をしていた。玄関で靴を履いていると、母親が怪訝そうな顔をして何か言いたげに近づいてきた。
「いってきます」
凛生彩は母親の小言が始まる前に玄関を出ようと思った……が、捕まった。
「いいわよねぇ、凛生彩は。好きなことできて…お母さんは籠の中の鳥だわ。自由に羽ばたくことができないのよ」
「……はぁ」
ため息しかでなかった。
「打合わせに遅れるから行くよ。いってきます……」
今度こそ凛生彩は玄関を出ようとしてドアに手をかけた。
「あなたさえ産まなければ……」
凛生彩は外に出ようとしていた体勢から振り返った。
「……は? いま何て言った?」
「だから、妊娠さえしなければ、お母さんはお父さんと結婚しないで済んだのにってこと。そうすればもっと自分のやりたいことができたのに。あなただけ好きなことをして不公平だわ」
凛生彩は『妊娠しなければ結婚してたかどうかわからなかった』と聞かさたことがあった。まさかそのことで自分が責められるとは思ってもみなかった。
「妊娠したのは私のせいではないはず。何故私が責められてるのか意味がわからないんだけど……」
「妊娠したから、あなたができたから、お母さんは自分のやりたいことを諦めたのよ。だから好きに生きてるあなたがずるいと言ってるのよ。分かる?」
凛生彩の中で―プツンッ―と何かが切れた音がした。
スーッと気持ちが氷湖のように静寂になり頭が冴えてくるのがわかった。凛生彩は熱く激しい怒りより、冷たく静かな怒りの方が恐ろしいことを初めて知った。呼吸がゆっくりと深くなり、身体の力が丹田に集中し、重く冷たい言が口を付いて出た。
「今まで何度もそのことは聞かされてきた。だから敢えて言う。産んでくれとは頼んでない……堕ろす選択肢もあった……決めたのは貴女だ……」
―パン!
「親不孝者!」
凛生彩の左頬に痛みが走った。
叩かれた頬にチリチリと熱が集まるのを感じながら、凛生彩は『この目の前にいる人と【縁が切れた】』と確信した。
踵を返し玄関を出た凛生彩は、打合わせに向かう道すがら、これからの段取りを計算した。
家業の自分の役割の引き継ぎはすでに会計士に伝えてある。フリーランスで請け負っている仕事はすでに確立できている。独りで暮らせるだけの資金も準備できている。あとは住まいを確保すればいいだけ……。
『今が行動の瞬間、この日のために私は準備をしてきた』……凛生彩は未来を向いた。
仕事の打ち合わせを終えた凛生彩は、『独りで暮らすなら此処』と決めていた場所に来ていた。
凛生彩が好きな古書店街。凛生彩が大切にしたいと思った《縁紡ぎ》がある付近の不動産屋を数軒回り、物件の資料を集めた。
あらかた資料を集め終えた凛生彩は一心に念じた……『《縁紡ぎ》に導いて!』
足が向いた先には【喫茶室《縁紡ぎ》】の看板を掲げた白いビルがあった。
『……お導きをありがとうございます』
凛生彩は視えない主に感謝をしながら《縁紡ぎ》のドアに手を掛けた。
コロ~ン コロ~ン コロ~ン・・・ドアベルの音が『いらっしゃい』と優しく響いた。
「「いらっしゃいませ。【喫茶室《縁紡ぎ》】へようこそ」」
琴と桜が変わらない笑顔を凛生彩に向けた。
「琴さん、桜さん。また、来ちゃいました……『あぁ、ここは何もかもが澄んでいて綺麗だな……』」
凛生彩が感慨深げにしていると、桜はメニューを片手に持ち「お席にどうぞ」と促した。
メニュー表を流し読みしていると、【カウンセリング承ります・・・万家 一左】が凛生彩の目に止まった。しかし『……今日ではないな…』とそのまま視線をながし、
「ジンジャーエールをください」
「ジンジャーエールですね。お持ちします」と桜が注文を受けると同時に、奥のキッチンから琴が出てきて凛生彩の目の前のテーブルの上にシュワシュワと泡音をたてたグラスを置いた。
「ありがとうございます。琴さん! もしや…読心術の使い手ですね!」
凛生彩はいたずらっぽい表情を浮かべ、琴を視た。
「・・・ふふふ・・・ごゆるりと・・・」
琴と桜は凛生彩の隣のテーブル席に座り手仕事を始めた。




