10.髪飾
チリン~チリン~チリン~……ドアベルが鳴る。
ベル音を合図に、本日出勤している杜江つむぎが澄みきった声で千壽を迎える。
「いらっしゃいませ。《MAKAFUSHIGI》へようこそ!」
「こんにちは、杜江さん。先日はカウンセリングをありがとうございました」
常連客の千壽がショーケースの前にいたつむぎに声をかけた。
「こんにちは。千壽さん。その後、ご気分はいかがですか?」
「あの後、憑き物が落ちたように気持ちが軽くなりました。本当にありがとう」
「それは何よりです」
「カウンセリングの後、家に着いて依那の顔を見たら何だか気持ちが落ち着いてしまって、結局自分の話はしなかったんです。でも、いつかは気持ちを伝えようと思っているので、今はこの距離感で良いかな…と。なんせ自分の気持ちを自覚したばかりなので…」
恥ずかしそうに頬を掻きながら晴れやかな千壽の笑顔に、
『これで琴さんの気がかりは僅かでも減っただろう』
つむぎは目の前にいる千壽ではなく《縁紡ぎ》にいる琴に想いを巡らせた。
「それで、カウンセリングのお礼をしたいのだけれど、何か欲しいものがあったら遠慮しないで言って欲しい」
千壽はつむぎに話を聞いてもらったあの日、無性に依那に会いたくなり、お礼もそこそこにして部屋を飛び出した自分の衝動に、少し恥ずかしさがあった。
杜江つむぎにお礼の気持ちを表したくて色々探してみたものの、彼女の好みそうなモノの見当がつかなかったので、本人に聞いてからお礼の品を用意しようと考えていた。
「では、遠慮なく。今後、もし私が『助けて』と言ったら、その時はちょっとだけ力を貸してください。千壽さんのできる範囲で構わないので。今回は❲付❳でお願いします」
「一番厄介❲付❳だなぁ。わかりました。困りごとがあった時はいつでも言ってください」
千壽とつむぎのやり取りを聞いていた店長がボソッと、
「お礼って言ったら花束でしょ。女の子はみんな花束をもらうと喜こぶんだから。花束一択!・・・うんうん」
持論を言い終わると、棚の整理をひとり始めた。
つむぎが『店長らしい持論だなぁ』と呆れている隣で、千壽はショーケースの中のある一点に意識が惹き寄せられ、目を離せないでいた。
「この、銀製のかんざしのようなモノは何ですか?」
「今は無き、とある廃国に由縁のある髪飾りになります」
「……廃国?…ですか……」
「はい。千壽さんはこの髪飾りにご興味がおありですか?」
「えぇ、なんだがこの髪飾りを見ていると胸のあたりがざわつくんです」
「そうですか……この髪飾りの物語は少々長くなります。ちょうど休憩時間なので、よろしければ休憩室に移りましょう」
「えっ…いくら休憩とはいえ、杜江さんと一緒に休憩室に行くのは…でも、この髪飾りも気になるし…」
千壽は髪飾りのルーツを聞いてみたいと思ったが、前回に引き続き、また休憩室にいくのはいかがなものか・・・と、自分では判断がつかなかった。
棚の整理をしている店長の反応を伺うように視線を向けた。店長は千壽とタイミングを合わせたかのように振り返ると、
「問題ないですよ・・・なんだかその髪飾りが千壽さんと一緒に帰りたいみたいなんでね・・・うんうん」
「……えっ。私と一緒に帰りたい…ですか?」
「ええ。あと、お買い上げいただくのであれば・・・ですが・・・ね・・・うんうん」
営業トーク終了の雰囲気を醸し出した店長は、千壽に背を向けて棚の整理の続きを始めた。
「店長もあのように言っていますので、とりあえず休憩室にいきましょう。では店長、休憩に入ります」
つむぎは店長に声をかけると、千壽に『一緒に来てください』と目で促し奥へ入っていった。
「いってらっしゃーい」千壽の背後で店長の送り出す声が聞こえた。
「そこのソファーにかけてお待ちください」
千壽に声をかけ、つむぎはハーブティーを淹れ始めた。
千壽は言われるまま、先日と同じソファーの位置に座り休憩室の中を見渡した。
前回は、頭に霞がかかったように記憶がおぼろげで、気持ちにも余裕がなかったため、部屋の様子をよく覚えていなかった。今日は気持ちにゆとりがあるためか、じっくりと観察できた。
「この休憩室は独特な雰囲気がありますね。《MAKAFUSHIGI》自体が変わった空気感ですが、この休憩室はそれとはまた違う、肌がぴりつくような……独特な異質な感じがします」
「わかりますか?千壽さんは感がいいから、ちゃんと感じますよね」
千壽は言われた意味がわかるようでいて、よく理解できなかった。
「感がいい方なのは自負しています。但し、何を感じたかまでは、はっきりわかりません」
「それでいいんですよ。なんとなくぼんやり気付けば、悪しきモノは回避できますからね」
千壽はつむぎの解に対して、
「ははは……」と流すことにした。
これ以上は『藪蛇』になりかねないと千壽の警報が鳴った。
やはり以前、つむぎに対して畏怖の念を抱いたのは間違いではなかったと千壽はこの瞬間に確信した。
千壽がやや緊張気味に待っていると、つむぎはガラスのティーセットを乗せたサービスワゴン引いて来て、テーブルの脇に置いた。
ガラスのティーポットには鮮やかなオレンジ色の花弁がゆらりゆらりと漂っていた。
つむぎはガラスのティーカップにそれを注ぎ入れた。カップに注がれている橙色のハーブティーは、コポコポトと音を立てながら湯気とともにオレンジのような香りをふわりと立てた。
「ハーブティーをどうぞ。このハーブはリラックス効果がありますので、話を始める前に飲んでください」
「ありがとうございます。いただきます」
千壽はハーブティーを口にした。
「ほのかにオレンジの香りがしますが……味はさっぱりというか、僅かに苦味を感じるというか……」
「はい。このハーブはオレンジフラワー、別名ネロリのハーブティーです。効能としては交感神経の興奮を鎮める作用があります。今回の物語を聞いていただくにあたり、必要なハーブになっていますので、香りを感じながらゆっくりと飲んでください」
千壽の向かい側のソファーに座った杜江つむぎは、【銀製の髪飾り】を紫色のビロード生地の台座にのせ、千壽と自分の間に置いた。
「では、この髪飾りの物語を始めましょう。千壽さん、ソファーの背もたれに体を預けて目を閉じてみてください」
つむぎの言葉を境に空気が一変し、目を閉じた千壽の視点が脳裏の映像に移っていく。




