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本日は解呪日和  作者: 朱潮 一初


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9/10

9.優温

 コロ~ン コロ~ン コロ~ン・・・ドアベルが鳴る。


「喫茶室《縁紡ぎ》へようこそ」

 琴と桜が依那をお迎えする。


「琴さん、桜さん、おはようございます」

 依那は二人に声をかけて奥にあるいつもの席に向かう。


『大丈夫……いつも通り』


 席に座ると、

「コーヒーとハムとチーズのホットサンドをお願いします」

「コーヒーとホットサンドですね。お持ちします」

 桜の『お持ちします』と同時にキッチンから琴が出てきて、コーヒーとホットサンドを依那が座るテーブルの上に並べた。

「お待ちどおさまです。お熱いのでお気を付けてお召し上がりください」

「ありがとうございます」


『大丈夫……これもいつも通り……』


 いつもとは違う依那の様子に、琴と桜は気付いていた。

 しかし、依那の憂いを琴と桜が取り去ることはできない。なぜなら、依那自身が【不安】を自覚し、自ら語る必要があることを琴と桜は理解していた。


 食事を終え、いつもなら物語の中の主人公たちと共に喜びや悲しみを分かち合う頃合いのはずが、今日の依那は集中が途切れ途切れになり、なかなかページを送ることができずにいた。


「はぁ~…」

 無意識にため息がこぼれ、依那は慌てて口元を押えた。


 昔、母から『やだやだ・・・ため息をつくなんて辛気臭い。不幸を引き寄せるからやめてちょうだい』と怒られたことを思い出し、ぎゅっと胸が締め付けられ呼吸が苦しくなり、両腕で体を抱え込み、身を縮みこませた。


「大丈夫ですよ・・・」

 掛けられた言葉に反応するように顔を向けると、桜が依那の横に座り、依那の背に手を置き優しくさすりはじめた。


「大丈夫・・・大丈夫ですよ」

 何度も何度も優しい声と背に感じる桜の手の温もりに、呼吸が楽になり身体のこわばりがほぐれていくのを依那は感じた。


「ありがとうございます。楽になりました……もう大丈夫です。ここのところ忙しくて、疲れが出たようです。自己管理ができないなんて駄目ですね」

「・・・」

 桜は何も言わずに微笑んでいた。


「何かお飲み物でもお持ちしましょうか」

 琴がお伺いを立てた。


「では、バナナジュースをいただけますか。ここのバナナジュースは美味しくて。あっ、バナナジュースだけじゃなくて《縁紡ぎ》の食事は全部美味しいです!」


 何かを誤魔化すように、元気に振る舞う依那を桜は慮りながら、

「バナナジュースですね。お持ちします」

 いつものように言葉を返した。


 バナナジュースを飲み、遅ればせながらいつも通りの流れに戻った依那は、物語の中にお邪魔した。


 ひとつの物語が終わり、《縁紡ぎ》に意識を戻した依那は、いつもと違う姿を二人に見せてしまった羞恥の気持ちと、何も言わずに傍にいてくれた二人に感謝を伝えたいと思った。


 帰り支度をしながらふと窓の外に目をやると、空が茜色に染まっていた。


「今日は恥ずかしいところをお見せしてしまい失礼しました。そして、ありがとうございました」


 お代を払い終えて店を出ようとした時、依那の目の前に白い巾着袋が差し出された。

「これは……?」


 依那の手を取り、白い巾着袋を渡した桜は、

「この中に塗り薬が入っています。火傷の跡に塗ってください。特に傷が痛むときは【痛いの 痛いの 飛んでいけ~】と〈まじない〉を唱えながら塗り込むと、さらに効き目がよくなります」


「……えっっ」

 依那は、一瞬何を言われたのか理解が追い付かずに、言葉を続けることができなかった。


 依那には火傷の跡がある。

 両親の心中沙汰に巻き込まれたときにできた火傷跡。それを隠すように、どんな時も長袖とハイネックを着ていた。暑いときは首にスカーフを巻いて『目立たないようにしていたのに…』大きく見開いた依那の瞳から大粒の涙がこぼれた。


「頑張っている依那さんにご褒美です。今日は依那さんが『生きる』と決めた日」

 琴が微笑む。


「今日は依那さんが『生きること』を諦めなかった日」

 桜が微笑みかけ、

「新しい依那さんが誕生した日。三回目の誕生日です。生きることを選んでくれてありがとう」


「なんで……知って……うっっ……」

 嗚咽で言葉がつまり、涙があふれて止まらない。


 三年前の今日は、母親が家に火を放ち、一家心中を図った日。


  依那はその日のことをよく覚えていなかった。

 火災で怪我を負い、運ばれた病院で治療のためにしばらく入院生活を送っていた。

 二階の自室から飛び降りたことによる骨折と火傷の回復はおおむね順調だった。

 しかし、精神的なショックと強いストレスで、火災前後の記憶をなくしていた。


 主治医の診断は ❲解離性健忘❳ 。

 不幸中の幸いか、火災前後の記憶の欠如 ❲限局性健忘❳ だったので、日常生活に支障はなかった。


 依那は骨折と火傷が治るにつれて、主治医にも誰にも言っていない蘇ってきた記憶があった。


 あの日、部屋のベッドでおぼろに意識が戻り、


 『生きて』


 何処かから【生】を切に願う声が聞こえたような気がした。


 その声に導かれるように必死に煙火の中、目の前にあったカバンをつかみ二階の自室から飛び降りた。カバンの中には大好きな物語の本が入っていた。なぜだかその本だけは手放したくなかった。


 あの日の出来事はよく覚えていないが、親に手を掛けられた気持ちの整理がいまだ追い付かずにいた。

 今日は一人で居るのが辛くて、琴さんと桜さんがいる《縁紡ぎ》で時間を過ごそうと思い足を運んだ。

 ここに居る時だけは、辛かった過去を思い出さないでいられたから。


「この世の出会いや出来事は全てが必然。依那さんがここに巡りたどり着いたのも必然。ご縁が繋がれば、琴や私は何でもわかるのですよ」

 桜は微笑んだまま依那の涙をハンカチで優しく拭った。


 依那の手のひらに乗せられた白い巾着袋には、まるで琴の旋律をなぞるような薄紫色の隆線模様と桜の花びらが舞い踊るようなピンク色の刺繍が施されていた。

 依那が指の腹でそっと刺繍を撫でると、指先の動きに合わせるかのように、ほんのりと薄紫色とピンク色の光が舞った。


「この刺繍は、依那さんの【幸せ】を御祈念しながら二人で刺しました」

 琴は視線を桜に送る。

「さぁさぁ、大切な人が依那さんの帰りを待っていますよ。目が真っ赤になっちゃって・・・美人さんが台無し」

 桜は依那の目元に手をかざし『目の赤み、少しでも心の痛みが消えますように』祈り念をおくる。

 暖かな空気が依那の目元を覆い、刹那・・・赤みが引いていく。


 依那は深く礼を執り、顔を上げたその瞳の色は、未来を見据えた希望の色になっていた。

「お二人に出会えたこのご縁に感謝します。お薬をありがとうございます」

「しっかり塗り込んでくださいね。薬を用意してくれた先生によると、依那さんの『願う』心に薬が反応し効能が上がるそうです」

「薬が無くなったら言ってくださいね。いつでも用意できますから・・・ふふふっ」


 琴が依那の背中を優しく押し、見送り出だす。


 依那は巾着袋をしっかりと胸の前で抱え店を後にした。足取りは軽い。



 コロ~ン コロ~ン コロ~ン・・・鳴り渡るドアベルの音は、依那の耳には届かない。






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