魔王軍四天王、偵察に来て精神崩壊する
新しく召喚された本物の勇者・天宮翔くんが、私の顔面を見ただけで「弟子にしてください!」と泣き崩れてから数日。
翔くんは「ザックス師匠の背中を見て学びます!」と、なぜか毎朝ギルドの私の部屋の前を雑巾がけしてくれるようになった。本物の勇者にそんなことをさせるわけにはいかないので止めるのだが、「これも修行ですか!」と逆に目を輝かせるので困り果てている。
そんなある日の昼下がり。
私は王都の隅にある、下町の賑やかな大衆食堂にいた。
「へいお待ち! 特盛り串焼き丼と、大盛り骨付き肉のローストだ!」
「おお、美味しそう……! ありがとうございます!」
私は目の前に並んだ圧倒的なボリュームの肉料理に、前世の社畜時代には味わえなかった極上の幸福感を覚えていた。
ナイフとフォークを手に取り、まずは骨付き肉を豪快に一口齧る。
「……美味いっ……!!」
あまりの美味さに、私は感動のあまり、ふ、と不敵に口元を釣り上げ、肉の繊維を見つめながら深く笑みを浮かべた。
――しかし、この時。私の背後の席には、世にも哀れな『潜入者』が座っていたのだ。
男の名はゲイル。魔王軍四天王の一人であり、気配を完全に消す『隠密・暗殺』の絶対的な権威であった。
彼は、ルバート公爵の陰謀を潰し、王都の治安を一日でクリーンにしたという「謎の脅威ザックス」の正体を探るため、人間の平民に変装してこの食堂に潜入していた。
(フッ、どれほどの男かと思えば、ただの図体のデカい大男ではないか。隙だらけで肉を貪り食っていやがる。これなら俺の毒針一本で――)
ゲイルが懐の暗殺武器に手をかけ、冷酷に微笑んだ、まさにその瞬間。
肉を咀嚼した私が、おのれの凶悪な三白眼をさらに鋭くギラつかせ、低くドスの利いた声で独り言を呟いた。
「――ほう。この骨の髄まで、じっくりと火を狂わせ、肉の抵抗を完全にねじ伏せているな。実に見事な『バラバラ死体(調理)』だ。……次は、どいつをこうしてやろうか」
脳内変換された私のセリフは、ただの「料理の火加減と肉の柔らかさへの称賛」だった。
だが、至近距離で聞き耳を立てていた魔王軍四天王ゲイルの耳には、
【フッ、お前がそこに隠れてオレを狙っているのは百年前から知っているぞ。この骨付き肉のようにお前をミンチにして、次は魔王城の連中をどう料理してやろうか】
という、あまりにも冷酷なデスゲームの開始宣言にしか聞こえなかった。
(な、何だと……っ!?)
ゲイルの背筋に、生まれて初めての強烈な悪寒が走った。
完璧に気配を消していたはずの自分の位置が、完全に看破されている。
それだけではない。私が肉を切り裂くためにフォークを突き立てた瞬間、私の身体から無意識に漏れ出たレベル99の『物理無効・極大』の防壁魔力が、食堂の空間そのものをピキピキと歪ませた。
(ば、バカな……! なんだこの底なしの闇の波動は!? 攻撃の隙を伺っていたはずの俺の魔力が、あいつがナイフを動かすだけで、まるで津波に飲まれる蟻のように押し潰されていく……!)
ゲイルの額から、油のような冷や汗が大量に吹き出す。
さらに私が、お皿に残った真っ赤なトマトソースをナイフで綺麗に拭い取り、それをじっと見つめながら「……ふふ、綺麗に片付いたな」と満足げに微笑んだ。
その光景(大傷の男が、血のような赤い液体を凝視して笑っている姿)を見た四天王ゲイルの精神は、ついに完全に崩壊した。
(ダメだ、勝てるわけがない! あいつは人間なんかじゃない! 魔王様すら玩具にするような、神話の時代の狂神だ! ここにいたら、一瞬で消される……!)
「ひ、ひぃっ……!」
ゲイルはあまりの恐怖にガタガタと歯を鳴らし、椅子から転げ落ちた。
そして、私が「おや、大丈夫ですか?」と親切心で振り返る(※顔面は最凶の死神)よりも早く、平民の変装をかなぐり捨てて、窓ガラスをパリンと突き破って外へと飛び出した。
「魔王様ぁぁぁ! 王都には魔王より恐ろしいバケモノがいますぅぅぅ!!」
涙と鼻水を流しながら、四天王としてのプライドを全てドブに捨てて、猛スピードで四足歩行のようになって魔王城の方へと逃げ去っていくゲイル。
「えっ? 窓から泥棒……? 最近の王都は治安が良かったはずなのに、物騒だなぁ」
私は首を傾げながら、残りの串焼き丼を美味しく完食した。
一方、魔王城へ命からがら逃げ帰ったゲイルは、魔王の御前で「ザックスは、一瞥で空間を消滅させる虚無の化身です!」と発狂しながら報告し、そのまま精神病院へと担ぎ込まれることになる。
中身はただのご飯大好き元社畜、見た目は魔王軍を戦わずして精神崩壊させる最凶の勇者。
私の知らないところで、魔王軍は戦闘を開始する前から、すでに絶望のどん底に叩き落とされているのだった。




