【悲報】勇者ザックス、街を歩くだけで治安が爆上がりする
エルフの聖女セラフィナを救い、なぜか彼女に魂の主従契約を迫られるという大混乱から一夜明けた。
無事に釈放され、ギルドの自室に戻った私は、深くため息をついた。
「はぁ……。せっかく異世界に来たんだから、たまにはのんびりと街でも散策したいな」
前世では年中無休の社畜だったのだ。たまの休日くらい、おいしい屋台のクレープでも食べながら、異世界の街並みをブラブラと楽しみたい。
私は気合を入れ、お気に入りの黒いロングコートを羽織って外へ出た。
――しかし、これがすべての始まりだった。
私が王都の大通りに足を踏み入れた瞬間。
ガヤガヤと賑わっていた大通りの喧騒が、まるでスイッチを切ったようにピタリと消え去った。
「…………っ!」
「おい、あれ……見ろよ……」
「ひぃっ! 『歩く災害』だ! なんであいつが釈放されて街を歩いてやがるんだ!?」
道行く人々がクモの子を散らすように左右に割れ、私の前に一本の「モーセの十戒」のような道が出来上がる。
すれ違う人々は全員、壁に背中をぴったりと張り付け、目を合わせないように必死で祈るような姿勢をとっていた。
(あれ……? なんだか、みんなもの凄く私を避けているような……。まあいい、まずはあの美味しそうな串焼きの屋台に行こう)
私はお肉の香ばしい匂いに釣られ、屋台へと歩み寄った。
店主の頑固そうなおやじさんは、私が近づいてくるのを見て、ガタガタと膝を震わせ、今にも泡を吹いて倒れそうになっていた。
「あ、あの……串焼きを一本いただけますか?」
私は精一杯、愛想よく、マイルドな声を意識して注文した。
しかし、私の超低音ハスキーボイスと、顔面の大傷から放たれる圧倒的な威圧感は、
「……おい。美味い肉を出さなきゃ、店ごと消すぞ」
という極悪非道な脅迫にしか聞こえなかった。
「ひ、ひぃぃぃっ! タ、タダでいいです! この店にある肉、全部持ってってくださいぃぃぃ!」
おやじさんは涙目で、特上の串焼きを十本ほど、これでもかとタレを絡めて差し出してきた。
「えっ!? いや、ちゃんとお金は払います!」
私は慌てて財布から銀貨を取り出し、カウンターに置いた。
すると、おやじさんはその銀貨を「命の代償」として受け取り、拝むように何度も頭を下げた。
(う、うーん。やっぱり見た目のせいで怖がらせてしまったかな……)
少し落ち込みながら、私は串焼きを食べつつ、王都の「裏通り」へと足を進めた。
裏通りは、いわゆるスラムや治安の悪いエリアだ。
ちょうどその時。
薄暗い路地裏で、ガラの悪い男たちが三人、一人の物静かな青年を取り囲んでいるのが見えた。
「おいおい、兄ちゃん。王都の裏路地を一人で歩くなんて、いい度胸じゃねえか。手持ちの金を全部置いていきな!」
典型的なカツアゲ現場だ。
勇者として、いや、前世の真っ当な市民として、これは見過ごせない。
「ちょっと君たち、何をしているんだ?」
私は後ろから声をかけた。
カツアゲをしていた男たちが「あぁん? 誰だてめえ……」とイラ立ちながら振り返り――そして、石化した。
そこに立っていたのは、身長二メートルの巨躯。黒コートをなびかせ、顔にはおぞましい刀傷。そして、串焼きの「串」を、まるで返り血を浴びた暗殺者のように弄ぶ(※ただ食べ終わった串をどう捨てるか悩んでいただけ)男。
男たちの脳裏に、かつて裏社会で聞いた最凶の噂が駆け巡った。
――『ルバート公爵の門を素手で粉砕し、国の最高監獄を別荘に変え、エルフの聖女を従えた、王都の裏を支配する伝説の魔王・ザックス』。
「ザ……ザザ、ザックス……ッ!!!」
「お、俺たちは何も……! ただ、このお方に『道案内』をして、お小遣いをプレゼントしようとしていただけですぅぅぅ!!」
カツアゲ男の一人が、恐怖のあまり狂ったように叫び、自分の財布から全財産の金貨を、被害者の青年のポケットにねじ込んだ。
「ほ、ほら! 仲良くしようぜ! 俺たち、これからは毎日ゴミ拾いをして、お年寄りを助けて生きていきますからぁぁぁ!!」
男たちは涙と鼻水を流しながら、その場で「綺麗なジャイアン」の如く改心し、猛スピードで路地裏のゴミを拾い集めながら逃げ去っていった。
「えっ……? あ、ありがとう……?」
取り残された青年は、ポケットの金貨を握りしめ、私の圧倒的な「威厳」に深く感動し、その場に平伏した。
「あ、あなた様は……裏社会の秩序を守る、影の救世主……!」
「いや、ただの通りすがりのギルド職員なんですけど……」
その後も、私が街をただ一時間ブラブラと歩いただけで、
スリが「すいませんでしたぁぁ!」と自首しに憲兵隊へ走り、
八百屋でぼったくりをしていた商人が「適正価格で売ります!」と涙ながらに改心し、
喧嘩をしていた冒険者たちが、私の影が差しただけで肩を組んで友情を誓い合った。
たった一日で、王都の犯罪発生率は「ほぼゼロ」になり、憲兵隊の仕事は完全になくなったという。
「はぁ……。結局、クレープは買えなかったな……」
私は、自分が歩くだけで世界が平和になっていく理由が1ミリも分からないまま、トボトボとギルドへの帰路につくのだった。




