ただ人助けをしただけなのに、街中がパニックになる
門兵たちが泣きながら街へと逃げ帰ってから、およそ三十分。
私は閉ざされた鉄の大門の前で、完全に途方に暮れていた。
「……はぁ。やっぱり、この顔のままじっとしてるの、不審者極まりないよな」
深くため息をつくと、私の口からは「グルル……」と地獄の猛犬のような低い地鳴り音が漏れ出た。悲しいかな、喉の構造まで極悪仕様らしい。
これでは街に入るどころか、下手をすれば軍隊に包囲されかねない。
一度森に引き返して作戦を練り直そう。そう思い、私が踵を返したその時だった。
「誰か……誰か助けてぇっ!」
街道のすぐ脇にある深い茂みの奥から、か細い少女の悲鳴が聞こえた。
(人助けのチャンス! 今度こそ勇者らしいところを見せれば、誤解も解けるはず!)
前世ではしがない社畜、中身はピュアな聖人勇者の私は、すぐさま声のする方へと全速力で駆け出した。
ドゴォッ!と、私の巨体が動いただけで周囲の地面が軽く陥没したが、今の私は自分の規格外の筋力に気づいていない。
茂みを引き裂くようにして飛び出した先。
そこでは、一人の小さな少女が腰を抜かしていた。彼女の目の前には、三匹の『シャドウウルフ』――漆黒の毛並みと鋭い爪を持つ、獰猛な狼の魔獣が、今にも少女に飛びかかろうと牙を剥いている。
「おい、そこの犬っころども! その子から離れろ!」
私は少女を安心させるため、満面の笑みを浮かべ、両手を広げて威嚇した。
――つもりだった。
「――応、そこの雑魚ども。その小娘から離れろや」
脳内変換された私の声は、完全に「裏社会のボスがナワバリを荒らした下っ端を脅すトーン」だった。さらに、私自身が緊張したせいで、レベル99の勇者としての『絶対的な威圧感』が周囲の空間へ容赦なく放射される。
「グルッ……!?」
牙を剥いていた三匹の狼の魔獣が、一瞬で凍りついた。
彼らは私を見た瞬間、恐怖のあまり全身の毛を逆立て、まるで「魔王の前に引きずり出された小動物」のようにガタガタと震えだした。食物連鎖の頂点を遥かに超越した、圧倒的な捕食者のオーラを察知したのだ。
「キャンッ! キュィィン……!」
なんと、戦うまでもなかった。三匹の狼は一斉に情けない悲鳴を上げると、尻尾を股の間に挟み、一目散に森の奥へと逃げ去っていった。
(よし、戦わずに解決できたぞ!)
私はホッと胸を撫で下ろし、恐怖に震える少女を安心させるため、そっと膝をついて目線を合わせた。前世の甥っ子に接する時のような、極上の優しい微笑みを浮かべる。
「もう大丈夫だよ。怪我はないかい?」
しかし、至近距離で「顔面に大傷のある二メートルの大男が、三白眼をギラつかせてニヤリと不敵に笑う」という地獄絵図を見せられた少女の反応は、あまりにも残酷だった。
「ひ……あ、ああ……」
少女は顔面を蒼白にし、カタカタと歯を鳴らしながら、涙目で私を見上げた。その瞳には「魔獣よりも遥かにヤバい、世界の終焉みたいなものに目をつけられた」という絶望だけが宿っている。
「あっ、あの、俺は怪しい者じゃなくて、通りすがりの勇者で――」
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ! 命だけはっ、命だけはお助けくださいぃぃぃっ!」
少女は凄まじい悲鳴を上げると、そのまま白目を剥いて、パタリと地面に気絶してしまった。
「えぇぇぇぇっ!? 待って、起きて! 嘘でしょ!?」
私が慌てて少女を抱き起こそうとした、まさにその瞬間。
街道の方から、ジャラジャラと騒がしい金属音と共に、大勢の足音が近づいてきた。
「いたぞ! あそこに手配犯ザックスがいる!」
「あの野郎、幼い少女を人質にとってやがるぞ! なんて極悪非道な奴だ!」
見れば、先ほどの門兵たちが、街から呼び寄せてきた総勢三十名ほどの武装したベテラン冒険者たちを引き連れて、私を完全に取り囲んでいた。
「いや、これには深いわけがありまして! この子が魔獣に襲われていたのを、俺が助けたら急に気絶しちゃって――」
「黙れ、凶悪犯! 気絶した少女を前に、そんなドスの利いた声で言い訳が通用すると思うか!」
リーダー格の剣士が、恐怖を隠すように大声で怒鳴る。
周囲の冒険者たち全員が、私の一挙手一投足に極限の緊張を走らせている。私が少しでも手を動かせば、一斉に魔法と矢が飛んでくるだろう。
(あぁ、もうダメだ……。優しく説明しても誰も信じてくれない……!)
私は完全に絶望し、悲しみのあまり、思わず顔を手で覆って「はぁ……」と深く長い、重いため息をついた。
だが、その私の「ため息」が、周囲の冒険者たちには【交渉決裂、全員皆殺しにするための冷酷なカウントダウン】にしか見えなかったのである。
「ひ、引き金を引けぇぇぇっ!!」
恐怖に耐えかねた弓兵が、一斉に矢を放った。
見た目は最凶の犯罪者、中身はただ困惑しているだけの聖人勇者。
全方位から降り注ぐ矢の嵐を前に、私の異世界「勘違い」生活は、さらに取り返しのつかない方向へと加速していくのだった。




