第九章:驟雨の処刑、さらば狂乱の狼
【断罪の宣告】
文久三年、九月十八日。
その日の夕刻、壬生寺の境内裏で、僕は土方さんと二人きりで立っていた。降り始めた雨が、乾いた砂を黒く染めていく。
「……惣次郎。会津藩公(松平容保)より、密命が下った」
土方さんの声は、雨音に消されそうなほど低かったが、僕の鼓膜には真剣の切っ先を突きつけられたような鋭さで響いた。
「芹沢鴨を、消す。……あれはもう、武士ではない。我ら新選組という器を壊す、ただの狂犬だ」
新宿で「レイ」として生きていた頃、邪魔な人間を消すといえば、それは「クビにする」か「業界から干す」ことだった。だが、この時代の「消す」という言葉には、物理的な死以外の意味はない。
「……僕が、やります」
僕の口は、僕の意志よりも先に動いていた。近藤さんの「誠」を、あの酒臭い怪物の泥にまみれさせるわけにはいかない。土方さんは満足げに、けれど悲しげに一瞬だけ目を細めると、「今夜、八木邸だ」とだけ告げた。
【雨の進軍、八木邸の静寂】
夜が更けるにつれ、雨は激しさを増し、空を割るような驟雨となった。
僕、土方さん、山南さん、藤堂平助。黒い装束に身を包んだ四人の「狼」は、壬生の細い路地を、影のように進んだ。
目の前に現れたのは、八木邸。
新選組の屯所であり、僕たちが寝起きする場所だ。白壁の長屋門が、激しい雨の中で骸骨のように白く浮かび上がっている。
本来は安らぎの場であるはずのこの邸宅が、今夜だけは獲物を屠るための檻に見えた。
「芹沢は、奥の座敷で泥酔しているはずだ」
土方さんの手合図で、僕たちは門を潜り、邸内へと侵入した。
八木邸の廊下は、歴史の重みを吸い込んだ黒光りする床板だ。普段なら、歩くたびに微かな軋み音を立てるその床も、僕たちの極限まで研ぎ澄まされた足運びの前には、沈黙を守っていた。
鼻を突くのは、雨の匂いではない。
廊下の奥から漂ってくる、強烈な酒の臭いと、女の白粉の香り。
突き当たりにある、芹沢が眠る「奥座敷」。その障子の向こうに、この組織の膿が、巨大な肉の塊となって横たわっている。
土方さんが刀の鯉口を切った。
僕もそれに合わせ、加州清光の柄を握りしめる。
一瞬、雷鳴が轟き、庭の木々を青白く照らし出した。それが、処刑開始の合図だった。
【絶叫と血飛沫の宴】
京の夜を切り裂くような豪雨が、壬生の屯所を叩きつけていた。
天をも焦がすような雷鳴が轟くたび、闇の中に八木邸の白壁が、骸骨のように白く浮かび上がる。
「……仕掛けろ」
土方さんの冷徹な一言と共に、僕たちは障子を蹴破り、座敷へと踊り込んだ。
室内には、むせ返るような酒の匂いと、女の残り香。
そして、泥酔して正体もなく眠る「怪物」芹沢鴨のいびきが響いていた。
「なっ、何奴だッ!?」
隣室で寝ていた平山五郎がいち早く飛び起きたが、山南さんの刃が容赦なくその喉笛を掻き切った。
―ドシャッ!!
鮮血が噴水のように吹き出し、鴨居を真っ赤に染め上げる。
平山は自分の首から溢れる熱い液体を手で押さえようとしたが、指の間から溢れ出す赤黒い塊は止まらない。
彼は痙攣しながら、畳を爪で掻きむしり、息絶えた。
「……おのれッ!!」
異変に気づいた芹沢が、半裸のまま跳ね起きた。
枕元に置いてあった『平国広』に手を伸ばそうとするが、僕の『加州清光』がそれより速く、彼の肩口を深く斬り裂いた。
―ズシャァァッ!!
「ぎ、あああああぁぁぁっ!!」
芹沢の絶叫が、雷鳴と重なる。
斬られた傷口からは、酒で火照った熱い肉が爆ぜ、白い骨が露出した。
だが、この男はまだ死なない。
芹沢は愛妾のお梅を盾にするように引き寄せ、狂ったように部屋中を転げ回った。
「助けて、助けてくださいましッ!!」
お梅の悲鳴。
だが、この暗殺に慈悲などという言葉は存在しない。
土方さんの冷たい刃が、芹沢の背後からお梅ごと突き刺した。
―グチャッ。
肉と肉が重なり、刃が背骨を断つ、嫌な感触が伝わってくる。
お梅の口から、どろりとした鮮血が溢れ出し、彼女は美しい着物を真っ赤に染めて、物言わぬ人形のように崩れ落ちた。
【狼の最期、誠の洗礼】
「……よくも、よくも……!!」
瀕死の芹沢が、獣のような執念で縁側へと這い出した。
豪雨に打たれ、傷口から流れる血が薄まりながらも、彼は庭へと逃げようとする。
その無様に這いつくばる背中に、僕は最後の一撃を見舞った。
―閃。
三段突き。
かつて土方さんに止められたあの技が、今、完璧な殺意となって芹沢の心臓を貫いた。
―ドクンッ!!
刀の先が、芹沢の肋骨を砕き、まだ拍動を続ける心臓を真っ向から引き裂く。
芹沢は大きく目を見開き、天を仰いだ。
その瞳に映っていたのは、激しい雨か、それとも己が汚し続けた「誠」の旗だったのか。
「……が、は……」
芹沢の口から、最後の吐息と共に大量の血塊が吐き出された。
彼は文机に倒れ込み、そのまま動かなくなった。
八木邸の座敷は、芹沢の血と、お梅の血、そして飛び散った内臓の欠片で、筆舌に尽くしがたい地獄絵図と化していた。
(……ああ。……終わったんだ)
僕は返り血でべっとりと汚れた顔を、激しい雨に晒した。
新宿の「レイ」が持っていた甘い感傷など、この一夜で完全に洗い流された。
仲間を殺し、女を殺し、血の海を越えてこそ辿り着ける場所。
それが「新選組」という名の、孤独な狼たちの住処なのだ。
土方さんが、転がる死体を見下ろしながら、ポツリと呟いた。
「……これで、新選組は一つだ」
雨は、まだ止まない。
明日になれば、この惨劇は「過激浪士による襲撃」として片付けられる。
僕たちは、この嘘と血の上に、新しい時代を築いていく。
加州清光の刃を拭う僕の手は、もう、微塵も震えてはいなかった。
【史実解説】
芹沢鴨暗殺の真実:文久3年9月18日(16日説もあり)、激しい豪雨の夜に決行されました。暗殺実行犯は土方歳三、沖田総司、山南敬助、藤堂平助ら。芹沢は泥酔しており、八木邸の奥座敷で愛妾のお梅と共に惨殺されました。
お梅の悲劇:*芹沢の愛人であったお梅は、この暗殺に巻き込まれる形で命を落としました。彼女の死は新選組の歴史の中でも、最も凄惨で残酷なエピソードの一つとして語り継がれています。
偽装工作: 近藤・土方らは、この事件を「浪士の乱入による不慮の事故」として会津藩に報告しました。これにより芹沢派は一掃され、近藤勇が新選組の絶対的なトップとして君臨することになったのです。
八木邸: 新選組が最初に屯所とした壬生の郷士の屋敷です。現在も京都市中京区に現存しており、芹沢が殺害された奥座敷の鴨居には、当時ついたとされる刀傷が今も残っています。




