第二十五章:毒婦の密告、王賀の包囲網
西新宿のタワーマンションの一室から、舞台は再び歌舞伎町の裏にそびえ立つ、王賀社長の私的な高級隠れ家へと移る。
部屋の明かりは極限まで落とされ、紫色の間接照明が、大きなキングサイズのベッドと、そこに絡み合う二つの肉体を妖しく浮かび上がらせていた。
「……王賀、最近冷たいじゃない。私より、あのアポロンの新しい子のほうが可愛いの?」
麗華は、王賀の分厚い胸板にその滑らかな白い肢体を擦り付けながら、 掠れた吐息を彼の耳元に吹き込んだ。
シルクのシーツの上で、彼女の艶やかな黒髪が乱れ、情熱に突き動かされた二人の肌が、じっとりと汗ばんで重なり合う。
王賀は彼女の腰を強引に引き寄せ、野獣のような荒い息を吐きながらその肉体を貪っていた。
だが、彼は決して欲望だけに流される男ではない。絶頂の最中にあっても、その切れ長の瞳の奥には、裏切りを瞬時に見抜く猛獣のような冷徹な警戒心が常にギラついている。
「……お前が他人の心配をするなど珍しいな、麗華」
王賀は麗華の髪を乱暴に掴み、その顔を至近距離で固定した。鋭い視線が彼女の目の奥を品定めするように射抜く。
「あの男はただの、よく切れる『使い捨ての家畜』だ。お前が気にかけるほどの価値もない」
並の女なら、この眼光だけで計画が露見したと恐怖し、動揺を隠せなかっただろう。
だが、今の麗華の背後には、レイという絶対的な主が授けた「死生観」がある。彼女は微塵も怯むことなく、むしろ退屈そうにふっと妖艶に微笑んでみせた。
「価値がないならいいの。ただ、あの男が税務署や警察沙汰のトラブルでも起こして、貴方の『聖域』が汚されるのが嫌なだけ。……貴方が昔、私に教えてくれたじゃない? 『一番綺麗な場所にこそ、一番黒いものを隠すのが確実だ』って。あのアポロンの地下には、誰も触れられない貴方の『命』が眠っているんでしょう?」
麗華は王賀の警戒心を逆手に取った。秘密を直接聞き出すのではなく、彼の「完全犯罪への自負」を肯定し、引き出すための誘導。
王賀は麗華の従順な、しかし深い独占欲に満ちた表情を見て、ようやくその口元に傲慢な笑みを戻した。
「ふん、相変わらず鼻が利く女だ。……心配するな。あのアポロンの地下金庫には、二重の防壁を噛ませてある。警察がガサ入れに来ようが、並のホストが逆らおうが、あの『偽装壁の裏』にある黒い革ファイルに辿り着ける人間は、この世に俺以外存在しない。お前はただ、俺の腕の中で牙を抜かれていればいいんだ」
王賀はそう吐き捨てると、満足げに麗華の身体を再び組み伏せた。
その歓楽の嵐の中、麗華は彼の背中に爪を立てながら、闇の中で静かに、勝利の確信に満ちた笑みを浮かべていた。
彼が誇らしげに口にした「二重の防壁」と「偽装壁の裏」という決定的な断片。
それさえあれば、レイには十分すぎるほどの情報だった。
【影の仕事人、ハルの急成長】
一方、アポロンのきらびやかなフロアでは、かつて泣き虫だった新人・ハルが、目を見張るほどの「仕事師」へと変貌を遂げていた。
「美咲さん、いつもレイさんを支えてくれてありがとうございます。これ、レイさんが『美咲さんの体調が心配だから』って、特別に用意させたハーブティです。どうぞ」
ハルは、レイが略奪したエース・美咲のテーブルに、完璧なタイミングと極上の笑顔で滑り込んでいた。
彼はただレイの背中を追うだけの雛鳥ではない。レイという絶対的な主のために、自らが影の「補給部隊」として機能することを誓っていたのだ。
美咲をはじめとする太客たちの細やかなケア、さらにはフロアの状況判断、大牙派だったホストたちの不満の声を笑顔で聞き流しながら、その裏の人間関係を完璧に把握する情報収集力。
「ハル君、本当に気が利くね。レイ君の周りは、あなたがいるから安心だわ」
美咲が満足そうに財布を開く。
ハルは、レイが戦術(陣形)として授けた「客の心理の隙間を埋める所作」を完璧に体現し、一晩で店のナンバー2に匹敵するほどのオペレーション能力を身に付けていた。
新選組で言えば、監察方として裏の調停や情報操作を完璧にこなした山崎丞の如き暗躍ぶりだった。
バックヤードの冷たい空気の中で、ハルはインカムを指先で弾き、静かにレイへと報告を入れる。
「レイさん、フロアの『大牙派』の残党、完全に切り崩しました。彼らの顧客データと、店への不満の声をすべてリスト化してあります。いつでも、彼らの息の根を止められますよ」
「……よくやったね、ハル。本当に頼りになるよ」
闇の中から現れたレイが、ハルの肩を優しく叩く。
ハルはその手に、かつてないほどの悦びと忠誠の熱を感じていた。
【三位一体の連携、支配者(王賀)の陥落】
深夜、店が引けた後のアポロンの静まり返ったVIPルーム。
レイ、ハル、そして王賀の隠れ家から脱出してきた麗華の三人が、影のように集結していた。
麗華は、王賀との息詰まる心理戦の果てに掴み取った「決定的なピース」を、冷徹な声で共有する。
「レイ君、あの男は思慮深いわ。核心は決して口にしない。だけど、自負の裏を突いて断片を吐かせた。……アポロンの地下金庫、そこにはダミーの金庫がある。本物は、その奥の『偽装壁の裏』よ。そこに王賀の脱税、半グレへの資金提供、そして警察上層部への買収工作のすべての証拠が詰まった『黒い革ファイル』が隠されているわ」
「素晴らしいよ、麗華さん。思慮深い大物だからこそ、そのダミーという仕掛け自体が盲点になる。ハル、この情報を元に、地下金庫の『本物の壁』を暴くためのセキュリティ解除の手筈を整えて」
「了解しました。内装業者と防犯システムのログから、隠し部屋の正確な位置を割り出します」
ハルが淀みなくタブレットを操作し、作戦の具体案を提示する。
土方歳三が組織の規律で敵を追い詰め、近藤勇がその圧倒的な器で仲間を率いたように、今、レイの元で三人の連携が完璧な機能美となって王賀を包み込んでいた。
麗華が王賀の警戒心の隙間から「本物の在り処」を毟り取り、
ハルが現場の「足元と技術」を完璧に固め、
正式にレイが、そのすべてを統率して王賀の喉元へと『加州清光』の如き見えない刃を突き立てる。
「これで、あの男の首に縄をかける準備は整った。……麗華さんは引き続き、王賀の傍でその目を眩ませておいてほしい。僕たちの新選組が、あのアポロンを、そしてこの街のシステムを完全に掌握するその日まで」
「「御意」」
二人の声が、静かな室内に重なった。
かつて鳥羽伏見で近代的なシステムに涙を飲んだ沖田総司の魂は、今、現代の新宿という戦場で、自らが完璧な「包囲網」を作り上げ、捕食者を逆に屠る側へと回っていた。
すべての弱みは握った。
王賀という巨大な大樹が、根元からへし折られて歌舞伎町の泥の中に転がるその瞬間は、もう、すぐ目の前まで迫っていた。




