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ゲロと誠 〜新宿のダメホスト、夢で沖田総司を極めて歌舞伎町の王になる〜  作者: 桐生宇優


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第十六章:落日の抱擁、板橋に散る大樹

慶応四年、四月二十五日。


江戸、千駄ヶ谷の植木屋の離れは、新緑の匂いと、死を待つ者のえた匂いに満ちていた。


かつて新宿の「アポロン」で、太い客の後ろ盾を失った先輩ホストが、一瞬でただの「用済みのゴミ」として業界から消えていく様を、僕は何度も見てきた。あの頃の僕はそれを「自己責任だ」と冷笑していた。


けれど、今、僕の喉の奥から溢れ出る血は、そんな浅薄な冷酷さを完全に洗い流していた。


鳥羽伏見の惨敗の後、僕たちは江戸へと逃げ帰った。


僕の肉体は完全に限界を迎えていた。肺はぼろぼろの雑巾のようになり、少し動くだけで、口から凝固した暗赤色の血の塊が零れ落ちる。


そして、僕がこうして陽だまりの病床で泥のような息を吐いている間に、新選組の、僕たちの「家族」の絶対的な柱が、時代のシステムによって生贄に捧げられようとしていた。


流山で捕らえられた局長・近藤勇。


大久保大和という偽名を使ってまで仲間を逃がそうとした彼は、新政府軍に正体を見破られ、板橋の刑場へと引き立てられていた。


僕は動けない。

けれど、僕の魂は、油小路の夜と同じように、時空を超えて板橋の冷たい風の中に翔けていた。


【心の中の対話、試衛館の面影】


(……総司。大きくなったな)

脳裏に、あの懐かしい、地響きのような大声が響く。


見上げると、そこには多摩の百姓上がりで、不器用で、けれど誰よりも温かい、僕の「兄上」が立っていた。


九歳の頃、親に捨てられ、新宿のネオンの冷たさしか知らなかった僕を、無条件で抱きしめてくれた人。

木刀を振るう僕を「お前は天才だ、我が試衛館の宝だ」と、大きな手で頭を撫でてくれた人。


『近藤さん……嫌だ、行かないでくれ。どうして僕を置いていくんだ』


心の中で、僕はただの子供に戻って縋り付いていた。


油小路で平助を失い、鳥羽伏見で仲間を殺され、最後に近藤さんまで奪われたら、僕の中の「沖田総司」は完全に崩壊してしまう。


(総司。お前には、あの新宿という場所があるのだろう? 私は、お前が時折、遠い未来の寂しい街を見つめているのを知っていたよ)

近藤さんの幻影が、優しく微笑む。


(多摩の田舎侍の夢は、ここで終わりだ。だが、お前が私からもらった『家族の熱量』は、決して消えはしない。……それを持って、お前の戦場へ帰りなさい)


『近藤さん、近藤さん……!!』


【板橋刑場、首刃の一閃】


精神の視界が、板橋の泥塗れの刑場へと切り替わる。


横ざまに降る冷たい雨の中、近藤さんは後ろ手に縛られ、むしろの上に毅然と平伏していた。


その背中は、かつて新選組を率いていた頃の大樹のような威厳を、最期の瞬間まで失っていなかった。


「……おのれ、近藤。これまでの長州の怨み、その首であがなってもらうぞ」


新政府軍の首切り役が、抜き放った刀を構える。

雨水に濡れた白刃が、鈍く冷たい光を放った。


『やめろォォォッ!!』


僕の咆哮は、現実の千駄ヶ谷の病室で、激しい血の泡となって吐き出された。


―フッ、と首切り役が息を吐き、刀を振り下ろした。


―ズバァァァンッッ!!!


人間の首を切り落とす音は、決して綺麗なものではなかった。


肉が裂け、硬い頸椎けいついの骨が強烈な力で断たれる、ズブ、ゴリッ、という、耳の奥にこびりつくような泥臭い破壊音。


次の瞬間、近藤さんの太い首から、人間の身体に流れるすべての血圧が集約されたかのような、凄まじい「赤黒い血の柱」が天に向かって噴き上がった。


雨水と混ざり合った鮮血が、刑場の泥を真っ赤に染め上げていく。


切り落とされた近藤さんの「生首」が、泥の中にドサリと落ち、二度、三度と転がった。


ちぎれた頸動脈からは、未だ心臓の最後の拍動に合わせて、ドクドクと不気味な血の泡が溢れ出している。切断面からは白い骨の髄と、引き千切られた気管の生々しい赤が見えていた。


だが。


泥にまみれ、髪を乱したその生首は、最期の瞬間、確かに僕の方を向いて、微かに微笑んだのだ。


その唇が、声にならない音で動く。


「……生きろ、総司」


【断絶の悲しみ、そして覇王の器へ】


「……う、あ、ああああああああああああっ!!!」


千駄ヶ谷の離れで、僕は布団を血の海に変えながら、喉がちぎれるほどの絶叫を上げた。


お光さんが慌てて部屋に飛び込んできて、僕の身体を抱きしめる。


「総司さん! 総司さん、しっかりしてください!」


けれど、お光さんの温もりさえも、今の僕の絶望を埋めることはできなかった。


僕をこの幕末に繋ぎ止めていた最大の「愛」が、今、完全に切断されたのだ。


近藤さんの首は京都の三条河原に晒され、カラスに突つかれる無惨な物言わぬ肉塊となる。それが、僕たちの信じた「誠」の結末だった。


(……誰も、いなくなった)

山南さんも、平助も、近藤さんも。


僕を愛してくれた「家族」は、すべてこの時代の濁流に貪り食われた。


この板橋の惨劇。

近藤さんとの血塗られた別れ。


それは、レイの魂の底に、これまでにない「底なしの静寂」をもたらした。


愛する者を守るためには、優しさなど無意味だ。


優しさは、ただ自分を無力にし、大切な者を泥の中に転がす結果しか生まない。


現世(新宿)に戻った時、レイはもう、誰かに愛されることを乞うホストではない。


この板藤で、彼は「愛を捨てることで、絶対的な力を得る」という修羅の極意を悟った。


近藤さんの遺志を継ぎ、土方さんの冷徹さを宿し、近代兵器のシステムを理解した、新宿の夜の「絶対的な支配者」。


女たちの孤独を救うのではない。その孤独ごと、夜の街のシステムの中に組み込み、自らが神となって君臨する。


その狂気と色気のハイブリッドが、近藤勇の首が落ちた瞬間、レイの魂の中に完全な形で鋳造された

「……兄上。……バイバイ」


僕は、口元の血を手の甲で拭うと、虚空を見つめて小さく呟いた。


僕の瞳からは、もう、涙の一滴さえも枯れ果てていた。


【史実解説:】

近藤勇の最期(1868年): 慶応4年4月25日、新選組局長・近藤勇は、板橋の刑場にて斬首刑に処されました。武士としての「切腹」さえ許されず、罪人としての「斬首」という、極めて屈辱的な扱いでした。彼の首はその後、京都の三条河原に晒されました。

大久保大和おおくぼ やまと:近藤は流山で捕らえられた際、「大久保大和」という偽名を使い、自分の一身を捧げることで、土方歳三や他の隊士たちを逃がそうとしました。しかし、かつて新選組にいた元隊士らに顔を見破られ、その目論見は外れてしまいます。

沖田総司の最期へのカウントダウン:近藤が斬首された当時、沖田は江戸の千駄ヶ谷にある植木屋に潜伏し、末期の結核と闘っていました。周囲は沖田の病状を案じ、近藤の死を彼に徹底的に隠し通したと言われています。沖田は近藤の死を知らぬまま、「近藤先生はどうされましたか」と尋ね続け、その約2ヶ月後に息を引き取りました。本作では、二人の強い絆が「精神の同調」として、残酷かつ悲しく描かれています。

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