2-2. 舞踏会当日(2)
向かいにローウェルが腰掛ける。まさか二人きりかとぎくりとしたが、ローウェルのあとに侍女がひとり乗ってきて、胸を撫で下ろした。
宜しくお願い致しますと挨拶をされて、こちらこそと返した言葉は上擦ってはいなかっただろうか。
──さっき思いっきり足踏んだからふたりきりは拙いなと思ってたから、ふたりじゃなくて良かった……!
アシュリーは端から襲われる心配はしていない。お互いに同士以上の感情を抱いてはいないからだ。彼女が恐ろしいのはただひとつ、先ほど足を踏んだことに対しての報復がどんなものであるのかと言うことだけだった。
馬車がゆっくりと走り出し、来たときと同じ道を進む。だがすっかり日は暮れていて、空には藍色が広がっている。
ローウェルもアシュリーも話題があれば話をするが、話題が途切れれば喋らなくなる。三番目に乗り込んだ侍女も緊張しているのか、あえて口を閉ざしているのか喋ることはない。馬車の中はすっかり静まり返っていた。
どれくらい走らせていたのか。喧噪と鮮やかな灯りが窓から入り込んでくる。
舞踏会なんてどれくらいぶりだろう。成人した年に何度か参加したのは覚えているが、そのあとの記憶はない。
そう考えると、だんだんと不安になってくる。貴族の娘としての嗜みはまだきちんと覚えているだろうか。緊張で胃がしくしくと痛み、頭痛が苛んでくる。
「大丈夫?」
ため息を吐きたくなるのを堪えながら額を押さえていると、頭上から声が降ってきた。反射的に頭を上げると、頬杖を付いて窓の外を見ていたはずのローウェルがアシュリーを見下ろしていた。
「初めてお会いすることになる方々ばかりかと思うと緊張してしまって……ですが、ローウェルお兄様のお顔は潰さないようには努めたいと思います」
「真面目なのは君の良いところだけど、そこまで肩肘張ったら美味しいものも美味しくないし、楽しいことも楽しめないよ」
「そう、ですが」
「それにもしかしたら運命の出会いって奴があるかもしれないしね。女の子ってそういうの好きでしょ」
上司の口から似合わない言葉が出てきたものだから、アシュリーは思わず笑ってしまう。慰めなのか、それともからかいで口にしているのかはわからないが、その言葉にほんの少しだけ緊張が綻んだ気がした。
だがアシュリーはわかっていた。仮に今夜《運命の出会い》とやらがあったとしても、それはシェリー・ダンフォードにもたらされた縁であり、けしてアシュリー・マクブライドと交わるものでないのだということを。
「……そんな出会いが、あったらいいんですけどね」
ぽつりと呟いた言葉は果たしてシェリーか、アシュリーか、どちらのものだったのだろうか。彼女自身にもわからなかった。
少しすると馬車が止まり、ドアが開かれる。侍女が降りて、それからローウェルが降り、彼はアシュリーに手を差し伸べてくる。一呼吸してその手を取った。
「行ってらっしゃいませ、ローウェル様、シェリーお嬢様」
馬車の前で侍女として着いてきてくれた彼女が頭を下げる。
仕事とは言え、しがない男爵家の娘である自分にこんなに丁寧な態度を取らせてしまって申し訳ないことこの上ない。居たたまれなかったが、辛うじてお礼だけは伝えられたのは幸いだった。
「ねえ、あの方もしかして──!」
「お久しぶりにあの美しいお顔を拝見したわ。いつもは研究室に籠もりきりで、なかなかお会いできないんですもの……でも隣にいるあの子は……」
「見ない顔ね。どんなご関係なのかしら。もしかして、あのローウェル様にとうとう恋人……?」
「そんなはずないわよ。だって、どう見ても釣り合いが──」
正装したローウェルにエスコートされて歩みを進めるたびに、彼には令嬢からの熱烈な視線が向けられ、アシュリーには突き刺さるような視線が降り注いだ。
釣り合いが取れていないことはアシュリー自身がよくわかっているので、そこには触れないで欲しい。
この時点で正直帰りたい気持ちで一杯だったが、これも仕事なのだと言い聞かせる。慣れないドレスとヒールのあるパンプスの所為で足元が辿々しくなってしまうが、意外にもローウェルは気を使っていつもより遅い速度で歩いてくれた。
「うわあ……」
大広間に入ると、煌びやかな光が天井から降り注いできた。豪奢なシャンデリアが煌々とした光を床に落としている。
先ほどよりも熱い視線がローウェルに集まり、同じぐらい鋭い視線がアシュリーに突き刺さった。加えて、ローウェルが連れてきた娘と言うことで興味本位の視線も感じられて、アシュリーはひどく居心地が悪い。
引き吊りそうになる頬の筋肉を必死に笑みの形に誤魔化してローウェルの方を見れば、彼はアシュリーの僅かな表情の歪みに気付いたのだろう。にっこりと微笑んだ。
「挨拶済ませて、適当に過ごしたら帰ろうと思ってるからそれまで頑張って」
「……頑張りますわ、ローウェルお兄様」
明らかに狙って浮かべられた微笑みにアシュリーに刺さる視線がより鋭くなる。
この野郎、と心中で暴言を吐きながら、アシュりーはぎこちなく笑みを浮かべながらそう答えるだけに留めた。




