1-5. 上司と部下と騎士(2)
アシュリーの反応に安心したのか、ヴィルヘルムは一旦は安堵の息を漏らした。だが、別のことが気になったようで、アシュリーは再び問い掛けられる。
「だが最近残業が多いとは、どういうことだ? 図書館は毎日定刻に閉館しているはずだろう?」
「それは、その……」
向けられる紫色の瞳には疑問だけがただ浮かんでいる。まさか私事で、仕事が停滞してしまっていて残業になっていますだなんてこの人に言えば何と言われるか。
考えて、思わず嫌な予感が頭を過ぎる。仕事に私事を持ち込むなと説教されてしまうのでは? インドア派のアシュリーに騎士団の鍛錬並の説教は辛い。
そんなアシュリーに救いの手を伸べてくれたのはローウェルだった。
「部下個人のプライベートな話だから、管轄の違うヴィルヘルムには秘密」
ローウェルに視線をやったヴィルヘルムの眉がひくりと動く。それから彼は深い深いため息を吐いた。
「……アシュリー嬢」
「は、い」
「もし何かあれば、ローウェルではなく俺のところに来るといい」
「い、いえ、ラインフェルト副団長にそこまでご迷惑を掛けるわけには……」
「構わない。あなたの話を聞くぐらいの時間ならば取れる。──あなたが身体を壊しでもした方が、余程心配だ」
え、と頭を上げると、真っ直ぐな眼差しと目が合った。
どくん、と胸が高鳴る。こんな思わせぶりなことを言われたら、彼に想いを寄せている女性ならば、自分に気があるのだろうときっと思う。
厳しいと言われているが、庇護する対象に対してはヴィルヘルムは優しい。アシュリーへの言葉も騎士として、守る対象だから言ってくれているのだろう。
挨拶や軽い世間話程度はするけれど、ヴィルヘルムは騎士団の副団長で、アシュリーは図書館の司書。それ以上の関係はない。
同じようなことで困っている女性がいたら、ヴィルヘルムはその人にも同じ言葉を掛けるはずだ。
だから、万が一にも何もないし、僅かに軋む胸の痛みは、けして彼に関することではない。アシュリーは自分にそう言い聞かせ、微笑みを作った。
「ラインフェルト副団長、ありがとうございます。お言葉に甘えて、もし何かあったときはご相談させてください」
「ああ、……待っている」
ヴィルヘルムの口元が僅かに緩む。その表情にアシュリーは目を奪われる。同時に、こんなに可愛らしく笑える人だったのかと驚いた。
千切れそうなぐらいに左右に揺れる犬の尻尾が一瞬見えた気がしたが、疲れているのかもしれないと額を押さえると、次の瞬間にその幻覚は消えていた。
「もしやどこか具合でも、」
「い、いえ、大丈夫です。ご心配をお掛けして申し訳ございません」
アシュリーは慌てて首を横に振った。そしてはっと思い出す。ヴィルヘルムはこの部屋の主に用があって、ここに来たのではなかったか。ともすると、もしかして自分は邪魔者なのでは?
そもそも急ぎの案件だからこそヴィルヘルムは飛び込むようにこの部屋に入ってきたのではなかったか。先ほどの彼の様子を思い出して、アシュリーは自身のことで迷惑を掛けている問題ではないと慌てた。
アシュリーの態度が変わったことに気付いたヴィルヘルムがその形のいい眉を歪ませた。
「アシュリー嬢?」
「申し訳ございません。ラインフェルト副団長は急ぎのご用だったのですよね。わたしの話は終わりましたので、これにて失礼致します」
「いや、急ぎという程ではないが」
「ですがどちらにしても、そろそろ仕事に戻るべきだと思っていたので……構いませんか、館長」
「いーよ」
どことなく楽しそうな返事が返ってきて、アシュリーは不安を覚える。こういうときの上司は絶対に何かよからぬことを考えている。
ヴィルヘルムに飛び火しませんようにと祈っていると、「あ、そうそう」とローウェルは言葉を付け加えた。
「招待状のこと、忘れないでね。当日ボクに無断で帰ったりしたら、優秀なアシュリーちゃんならどうなるかわかるでしょ?」
「えっ」
すっかり逸れたと思い、安堵していた話を再び切り出されて、アシュリーはつい呆けた声を出してしまった。
口角を上げて、ひどく楽しそうな口調でローウェルは続ける。
「ボクのお願いだし、用意は全部こっちでするから安心して?」
「か、館長、わたし行くとは言ってな……」
「アシュリーちゃんに似合うドレスを用意しておくから、大船に乗った気でいてよ」
「ドレス……?」
ローウェルの言葉に、ヴィルヘルムが怪訝そうな顔をする。
当たり前だ。ドレスなんて普通、ただの部下には贈らない。何か関係があるのではと邪推されてもおかしくはないだろう。
だが、アシュリーがこれは仕事の話で、と説明する前に、ローウェルはアシュリーの背中を押して扉の方へ連れて行く。
──今日の上司はどこか変だ。わざと、口を滑らせているような気が。
「あと、やっぱり考えすぎは良くないね。さっきの話、受けた方が意外に幸せになるかもしれないよ。──それじゃあ仕事頑張って」
アシュリーを扉の外へと追い出し、ローウェルはそう言って扉を閉めてしまった。
直後、室内からヴィルヘルムの「どういうことだ!」という低い声が聞こえてきて、アシュリーは思わず肩を揺らしてしまう。続く声は潜められてしまい聞こえないが、これは絶対誤解されただろうなとアシュリーはため息を吐く。
この流れだと、話をされた舞踏会の件も行かざるを得ないだろう。マイペースな上司の中ではアシュリーはすでに同伴者だ。
豪華な食事と臨時収入に期待して、それを報酬にここは腹を括るしかない。結局婚約の話も解決せず、気が重くなる要因がひとつ増えただけだった。
「……仕事、戻ろう」
このもやもやを発散できるような何かがあれば良かったが、さすがに慣れない賭け事にお金を使うのは非生産的だ。それに今は就業時間中で、だったら今から手を付ける仕事に没頭した方がよっぽど生産的だ。
そう考えて、結果アシュリーは今日も仕事に逃げることにした。
ローウェルに押し付けられた舞踏会の招待状を仕事着のポケットに押し込む。
顔馴染みの研究員に図書館へ戻るから何かあれば図書館へ言付けて欲しいことを伝えて、アシュリーは研究室を後にした。




