3-9. 真実と告白(3)
アシュリーが初めてヴィルヘルムに会ったとき、そのときすでに彼は剣の立つ騎士として名を馳せていて、次期騎士団副団長の呼び声も高かった。
だから当然アシュリーも、ヴィルヘルムの名前を知っていた。
対してアシュリーはしがない図書館司書で、ローウェルの部下の間では彼の面倒を見る不憫な子ということで有名だったが、外部にまでその話が届いていたかはわからない。
ただローウェルと顔馴染みだったヴィルヘルムなら、その話を知っていた可能性はある。
もしくは貴族の令嬢が自分で働いている場合は訳ありのことがほとんどだ。だから訳ありの令嬢として名前ぐらいは知っていたのかもしれない。
自分のことを知っている理由としてはそのあたりだろうか、とアシュリーはそう考えたのだが、ヴィルヘルムの話は予想外の方へ進んだ。
「あなたを初めて見たのは、ローウェルから紹介される前の日のことだった。俺は城から兵舎へ戻る途中、図書館から一番近い庭で、あなたを見かけた。ベンチに座ってあなたは本を読んで……泣いていたんだ」
大事な思い出を辿るようにローウェルは言葉を紡ぐ。
「俺はあまり女性の泣き顔に良い印象を持ったことがなかった。この仕事をしていると色んな人間に会う所為か、どうしても疑り深くなってしまう。その中で女性の涙は、男を油断させるためのものという印象が強かった。だからあなたの涙を見たときに、こんなに美しく涙を流す人がいるのかと衝撃を受けた」
「あ、え、その……ありがとう、ございます……?」
泣き顔を見られていたということにアシュリーは顔を真っ赤にする。
そのうえ何故か褒められている。恥ずかしすぎる。羞恥心で頭の中が混乱していてどんな言葉を返せばいいのかわからず、何故か出てきたのはお礼の言葉だった。
「あなたはその後すぐに去ってしまったが、俺はその場から動けなかった。動悸はするし、顔は熱いし、何より泣き顔が目に焼き付いて離れなかった。──また会いたいと、あんなにも強く思ったことはない」
僅かに目尻を赤くして、ヴィルヘルムは頬を緩めている。
けれどその表情を注視する余裕はアシュリーにはなかった。ヴィルヘルムの口から飛び出す言葉が、予想外のことが多過ぎたからだ。
「城で見かけたのなら探し出せるだろうと、そう思っていた。──まさかその翌日にローウェルの研究室で会えるとは思わなかったが」
いっぱいいっぱいの頭で辛うじて言葉を拾い、繋ぎ合わせる。そうしてアシュリーの記憶が数年前──ヴィルヘルムと顔を合わせた日までに戻るのも、簡単なことだった。
同時に思い出す。その前日に彼の言う場所で本を読んで、泣いてしまったことも。
──その日読んでいた本は人に勧められたものだった。だが思った以上に面白くて世界観にのめり込んでしまい、あと残り数ページで訪れる結末が気になったのだ。
だから休憩を利用して図書館から近い中庭で最後まで読み、そのあまりの優しいハッピーエンドに、気付いたら涙が出てきていた。
借りた本だったから涙で濡らしたらいけないとすぐに我に返り、涙を拭う。泣き顔をどうにかしなければと慌ててその場から離れたような気がするが、まさかそこをヴィルヘルムに見られていたとは。
「ローウェルの部下として働くあなたは、前の日に見た姿とは違っていた。表情を顰めて呆れた顔をしたり、困ったように笑って、嬉しいときには表情が明るくなる。くるくると変わる表情に目を奪われた」
「……っ」
「あなたの色んな顔が見たい。そのことを自覚したときに、あなたに惹かれているのだと気付いた。結婚したくないがためにあなたが職を得たとローウェルから聞いていたから、気持ちは押し殺すべきだと、わかってはいたのだが……」
ヴィルヘルムはそこで一度言葉を切って、肩を竦めた。
「わかってはいたが、視線はあなたを追ってしまう。接点を作ろうと、用がないのに図書館へローウェルを訪ねて、呆れられたこともある」
ヴィルヘルムの言葉に、アシュリーが自身のスカートを握る手の力がより強くなる。
「真剣に仕事をするあなたの横顔に何度も見惚れた。ふとしたときに和らぐ表情が可憐な花が綻んだときのようで、可愛らしいなと思った」
家族から言われる褒め言葉とは違う。ローウェルから揶揄い交じりに言われる褒め言葉とも違う。
熱量のこもったヴィルヘルムの言葉に言われ慣れていないアシュリーの顔は林檎よりも真っ赤になって顔が上げられなかった。
「あなたが隣りで笑っていてくれたならどれだけ幸せかと、そう思った回数は数えられない。だが、俺と一緒にいて、アシュリー嬢は果たして幸せなのか。そう考えたら、怖くなった」
やや下がった声のトーンにヴィルヘルムの気持ちが反映されているように聞こえた。
「──だけど、あの男にあなたを取られると聞いて、我慢ならなかった。……結婚したくないと言うあなたにこんな申し出をすれば、軽蔑されるだろう。だが、それであなたの人生をもらえるならば、それでもいいと思った」
ヴィルヘルムの言葉がアシュリーの頭の中を回る。
思い当たる節のないことばかりで混乱した。
あの男にあなたを取られると聞いて?
結婚したくないと言うあなたに、こんな申し出をすれば軽蔑される?
それであなたの人生をもらえるなら?
──それじゃあ、まるで。
弾かれたように顔を上げる。真剣な眼差しのヴィルヘルムと視線が合った。
「アシュリー・マクブライド嬢」
「は、い」
緊張で上手く声が出せない。
未だに混乱していてどんな解釈をすることが正しいのか計りかねている。けれどそれでもヴィルヘルムの瞳から目が逸らせなかった。
ヴィルヘルムが言葉の続きを音にする。
「あなたの家に、あなたとの婚約を望む手紙を送ったのは俺だ」
一瞬呼吸が止まる。じわじわとヴィルヘルムの言葉の意味を理解していく。
ヴィルヘルムが紡ぐ言葉の節々からアシュリーとの結婚を望んでくれているんだろうなということはわかっていた。
だがさすがに、すでに求婚されていたとは思わない。
ただ考えれば、彼の言葉が過去形で話されていることに疑問を持てたはずだ。
──否、思わないように、考えないように、していたのかもしれない。
もしもただの遊びだと知らされたときに、傷付くことが怖かった。
「う、そ」
辛うじて絞り出した声は、ひどくか細い声だった。
好きな人が好きと言ってくれて、その上求婚までしてくれていて。嘘、と口にしたのは、信じられないからだ。
けれど、こんな不誠実な嘘を吐く人だとは思えないから夢の続きでも見ているのだろうか?
「嘘ではない。ご両親に確認してもらって構わないし、今は手元にないが、やり取りの手紙も残っている」
ヴィルヘルムの表情を見れば、声を聞けば、彼の言葉が嘘ではないことはわかった。
嬉しいけれど、それ以上に頭と心が混乱している。
何を言えばいいのかわからなくて、口を開けたり閉じたりして言葉を探すが、的確な言葉が見つからない。
だがヴィルヘルムは言葉を急かしたりせず、ただアシュリーの言葉を待っていてくれた。
夕日の赤が入り込む室内に静寂が広がる。
「あ、の」
そして、どれくらい経っただろうか。
やっとのことで言葉を言えるくらいまで混乱が落ち着いたアシュリーは、後れ毛を耳にかけながら口を開いた。
「……ラインフェルト副団長がわたしのことをここまで想っていてくれたなんて思わなくて、まだ戸惑ってはいるのですが、お気持ちは、とても嬉しいです。色々と気遣って頂いていたことも有難く思っています。ありがとうございます」
僅かでも、笑みを浮かべられているだろうか?
アシュリーは礼を口にしながら頭を下げ、膝の上に重ねた手のひらをぎゅっと握り込んだ。
彼の告白を断った理由である婚約の話は、その相手がヴィルヘルムであったことで解決している。
けれどもうひとつ、婚約する相手に言わなければならなかったことがあった。
──ラインフェルト副団長は知らない。あの夜彼に身を任せた《シェリー》と言う名の令嬢がわたしだと言うことを。
「ですが、やはりわたしは……お気持ちには、答えられません。ラインフェルト副団長の隣りに立つには、相応しくありません、から」
怖くて目を合わせられず、アシュリーの視線は下に落ちる。
目尻がじわりと熱くなってくるけれど、ここで泣くべきではないとアシュリーは自分に言い聞かせた。




