3-8. 真実と告白(2)
ローウェルのことが嫌いだからこんな表情になるわけではないのだろう。そのことは彼らの関係や、やり取りを見ていればわかる。
ただ、ローウェルが話に顔を突っ込んできたときが少し厄介なのだ。アシュリーとてその厄介の渦中に置かれるのは御免被りたかった。
だが、このまま言葉に迷って返事をできずにいたらヴィルヘルムが直接ローウェルを呼びに行きそうで、アシュリーは急いで首を横に振る。
「違うんです。ラインフェルト副団長のことは信頼しているので、そういった心配はしていません。ただ……」
呼吸をひとつしてアシュリーは顔を上げる。すると、少し複雑そうな顔をしたヴィルヘルムがアシュリーを見つめ返していた。
その表情に少し疑問を感じつつ、言葉の先を口にする。
「城で働いていると言っても、わたしは騎士団とは関係ないただの図書館司書です。そんな人間が騎士兵舎の執務室にお邪魔しても大丈夫なのでしょうか」
「城に上がる前に行われた身辺調査でアシュリー嬢の身分は保証されている。そして何より、俺があなたを信用しているから、問題はない」
僅かに微笑みを浮かべたヴィルヘルムに見つめられて、アシュリーは眼を見張る。
何度かヴィルヘルムの表情が緩んだ瞬間は見たことがあるが、こんなの、慣れるはずがない。
「あなたが良ければこのまま向かいたいと思うが、大丈夫だろうか?」
追い掛けられてアシュリーはこくこくと頷く。
首肯だけで返事をしたのは、ヴィルヘルムの笑みに見惚れていて言葉が出てこなかったからだ。
「……今度はもっとゆっくり歩くようにする」
そう言い加えて、ヴィルヘルムは再び歩き出した。
そのあとをアシュリーは少し遅れて追う。赤くなった頬を彼に見られないように隠しながら。
ヴィルヘルムの言葉通り今度は足が小走りになることもなく、適度な距離を保ったまま、ふたりは目的地へと到着した。
日中であればアシュリーの職場である図書館にも微かに鍛錬の声が聞こえてきているが、日が沈んだ今は団員の声は落ち着いていた。
しかしやはり騎士団に立ち入る女性というのは珍しいらしい。好奇の視線が突き刺さり、ひどく居た堪れない。
向けられる興味本位の視線に縮こまっていると、アシュリーの姿に気付いたヴィルヘルムが周囲を睨みつけて視線を散らしてくれた。
「すまない」
建物に入り、ヴィルヘルムの先導で進んだ先、副団長の執務室に足を踏み入れる。
そして一番にヴィルヘルムが口にしたのは謝罪の言葉だった。
「い、いえ」
「不躾に女性を見ないようにと、部下たちにはよく言い聞かせておく。……良ければ座ってくれ」
「……ありがとうございます」
ヴィルヘルムが座るように促したのは、廊下へ続く扉へ近い方のソファーだった。
恐らくこれは彼なりの誠意なのだろう。扉に近い方であれば廊下へ逃げやすい。
万が一の可能性なんて考えていなかったけれど、彼の誠意に甘えてソファーに腰を下ろすと、ヴィルヘルムもアシュリーの向かいのソファーに座る。
アシュリーが顔を上げるとたまたまヴィルヘルムも顔を上げたところだった。
深い、吸い込まれそうなほどに濃い紫色に魅入られて動けない。先ほどから緊張で動悸が止まらない。
「アシュリー嬢」
「は、い」
静かに名前を呼ばれて、アシュリーは膝の上に置いた手でぎゅうとスカートを握る。
何とか声を絞り出すけれど、返した言葉はどこか自信なさげで、きちんとした返事と言うにはひどく掠れてしまっていた。
「あなたの返事を保留にして、その上時間を欲しいとこんなところまで連れてきた。まずはそのことを謝りたい」
すまない、と言って、ヴィルヘルムは頭を下げる。
アシュリーはそのことに固まり、そして慌てた。
しかし、彼女が口を開く前にヴィルヘルムが畳み掛けるように言葉を続ける。
「きっとすべてを伝えたら、あなたに幻滅されるだろう。だが、このままあなたを諦めることになるのなら、格好悪くてもきちんと話して、俺の気持ちを知ってもらいたかった」
「ライ、ンフェルト副団長……?」
彼の言葉は真剣で、真っ直ぐで、アシュリーは目を逸らせない。心が揺れて、自身も好きだと言ってしまいそうになる。
けれどそれは、だめなのだ。
アシュリーは痛む胸を押さえながら、首を横に振った。
「お気持ちは、本当に嬉しいのです。ですが例え、話を伺っても、わたしの気持ちは変わりません」
「……その理由を、聞いてもいいだろうか」
尋ねられて、アシュリーは言葉に詰まる。
そしてひとつ呼吸をしてから、答えを口にした。
「先日両親から、婚約の話が来ていると話がありました。……恐らくこの件は、進める形になるでしょう」
ヴィルヘルムが息を飲んだような気がした。
顔を見られなくて、アシュリーは目線を下に落とした。
「そうなれば、わたしにも婚約者ができます。お相手の方はどうかわかりませんが、少なくともわたしは、例え遊びでも──婚約者以外の男性と同時に付き合うことは、できません」
この世界にきちんと順応できていれば、こんなに難儀なことを考えなくても良かったのだろう。そうすれば、結婚したくないなんて我儘を言って両親を困らせることもなかった。
けれどどうしても譲れなかった。
ヴィルヘルムの話を断る言い訳として婚約の話を持ち出したけれど、この話だって今後破談になる可能性は十分にある。
何故ならアシュリーはもう生娘ではない。そのことを厭う相手であれば、婚約の話を白紙にすることを望むだろう。
アシュリーには勿体ないぐらいの縁談だった。貴族令嬢としては自分は少し……いやかなり、枠を外れていると自覚はしている。だから白紙にされたとしてもやむを得ないのだ。
──それに、好きな人から一夜の夢を貰うことができた。悔いはない。
自分にそう言い聞かせて、アシュリーは頭を下げた。
「それが、ラインフェルト副団長の告白を受けられない理由です。ごめんなさい」
静かにアシュリーの言葉が部屋に響く。
ヴィルヘルムがどんな顔をしているのか見られなくて、アシュリーは顔を上げられない。
「……そうか」
静寂の中に、ヴィルヘルムの頷きの言葉が落ちる。
きっと話をする価値もないと思われたのだろう。そう思うとアシュリーの胸が痛んだ。
──このままここにいたら、泣いてしまいそうだ。
アシュリーは何とか顔に笑みを貼り付けて、退室を望む言葉を口にしようとした。
「なら次は、俺の話を聞いて貰えるだろうか。……空回りばかりした、臆病な男の話だ」
「え……」
「すべてを話すと言った。あなたには全部聞いて欲しい」
アシュリーが顔を上げると、ヴィルヘルムは彼女が思っていたよりも、遥かに穏やかな顔をしている。
けしてその表情に絆されたわけではない。けれど気付けばアシュリーは頷いていた。
穏やかな中に緊張を含ませていたヴィルヘルムの表情が緩む。そして、静かに彼は話し始める。
「俺が初めてアシュリー嬢、あなたのことを知ったのは、ローウェルに部下だと紹介されたときではない」
ヴィルヘルムの告白に、アシュリーは目をぱちくりと瞬かせた。




