3-7. 真実と告白(1)
最後の利用者が図書館から出て行くと、扉には《閉館》の札が掛けられる。
そして館内の見回りをして異常がないかを確認すると、抱えている仕事がない職員は支度をして帰っていく。
アシュリーもまた、いつもの倍の時間を掛けて支度をして帰ろうとしていたのだが、その心中では残業する口実がないかを必死に探していた。
ヴィルヘルムから告白されて、約束を取り付けられたのは今日の日中のことだ。それから閉館の時間である今まで、時間の進みがいやに早く、あっという間に経ってしまっていた。
いつもであれば忙しい日でない限りはこんなにも時間の進みが早いだなんて考えることはないのに。
こういうときに限って残ってやる仕事も何もなく、このあと待ち受けていることを思うと、アシュリーの心がズンと重くなる。
幸いにも今、ローウェルの目はない。逃げ出すことも考えたけれど、もしもヴィルヘルムがアシュリーが出てくるまで待っていたらと思うと、実行には移せなかった。
女は度胸と気持ちを切り替えることもできず、ぐるぐると悩んでしまう。そうして、気付けば帰る支度を終わらせてしまっていた。
さてどうしよう、とため息を吐いたとき、先ほど出て行ったはずの同僚が戻ってきた。そばかすの出来た頬を僅かに赤く染めて、彼女はアシュリーの方に近付いてくる。
「アシュリーさん、裏口のところでラインフェルト副団長が待ってるけど、何かあったの?」
疑問符を浮かべて問い掛けられ、アシュリーは一瞬固まる。
彼女の口から出た名前に、僅かに部屋がざわつく。
「えっ、と……そうそう、館長のことで、ちょっと話があるって言われてたの!」
苦し紛れに出た理由だったが、どうやら納得してもらえたらしい。ざわついていた空気は、次第に大人しくなっていく。
しかし、ここで時間が過ぎるのを待つという選択肢は取れなくなってしまい、アシュリーは逃げるようにお先失礼します、と言って部屋を出た。
ヴィルヘルムがアシュリーに用があると言われてしまった手前、職員用出入り口へ向かわないわけにはいかない。
いつもよりも遅い速度で廊下を進み、恐る恐る扉に手を掛けた。
一気に開ける勇気は出なかったので、扉をなるべく静かに少しだけ開けて、その隙間から顔を覗かせる。
──ヴィルヘルムが待っていると伝えてくれた彼女の言葉が実は嘘でありますようにと願いながら。
「……っ」
しかしヴィルヘルムの姿は、すぐに見つかった。
少し離れた壁のところに背中を預け、腕を組んで地面に視線を落としている。
自然と足が後退しそうになるのを堪え、アシュリーは目を伏せた。そして一呼吸して目を開くと、わざと音を立てるように扉を開ける。
視線を上げたら、真っ直ぐにこちらを見詰めるヴィルヘルムの深紫色の瞳と目が合った。
どこか安心したように、僅かに目元が和らいだように見えて、アシュリーは思わずヴィルヘルムを凝視する。けれどそう見えたのは一瞬のことで、彼は壁から背を離し、こちらへ向かってきていた。
「アシュリー嬢、疲れているところ、時間を取ってもらってすまない」
「いえ……こちらの方こそ……お待たせして、申し訳ありません」
「いや、この程度は待ったうちには入らない」
アシュリーの謝罪に、ヴィルヘルムが首を横に振る。
その返事にアシュリーの胸が痛んだ。
支度に時間が掛かったのは少しでも現実逃避をするためで、故意的なものだったから。
何も言葉を返せずにいると、ヴィルヘルムの方が先に口を開いた。
「話をするのに、外では誰かに聞かれる恐れがある。少し場所を変えたいのだが、いいだろうか」
先に言葉が出ず、代わりに頷く。
ヴィルヘルムはどこか苦しそうな表情をすると──アシュリーには見えなかったが、手のひらを強く握り締めて──、踵を返して足を進めた。
少しずつ遠ざかる距離に、アシュリーは慌ててその後を追う。
ヴィルヘルムは前を見ているし、もしかしたら不意打ちを狙って逃げられるかもしれないと思ったが、そのたびにタイミングよく彼が様子を窺ってきて、アシュリーは逃げることを考えるのを止めた。
そもそも仮に逃げられたとしても、騎士として鍛えているヴィルヘルムとは違い、アシュリーは働いているとは言っても体力勝負の仕事ではない。
そう遠く逃げないうちに、ヴィルヘルムに捕まるだろうことは目に見えていた。
それに城内の地図を把握しきれていないアシュリーがここでヴィルヘルムから逃げ切れたとしても、そのあと元の場所に戻って来られる自信はない。
──にしても、どこに行くんだろう……
場所を変えたいとは言われたが、どこに行くのかまでは言われなかった。
何度か通ったことがある道を抜け、アシュリーの知らない廊下をヴィルヘルムは迷いなく進んでいく。
あまり人とすれ違わなかったのは、人通りの少ない道なのか、それともたまたまなのか、アシュリーにはわからない。
まさかヴィルヘルムが暗がりに連れ込んで何かしてくる、ということはないと思うが、行き先がわからないままで、アシュリーは不安になる。
彼が何も喋らない、ということもアシュリーを落ち着かなくさせる理由のひとつだった。
足のコンパスが違うので、普通に歩いているヴィルヘルムとは違い、アシュリーはどうしても小走りになってしまう。
たまたま一緒に同じ目的地に向かうときに隣を歩くことがあったが、そのときにこんなことはなかった。
考えてみれば、わかることだ。恐らくヴィルヘルムがアシュリーに足の速さを合わせてくれていたのだろう。
「ラインフェルト副団長、待ってください……!」
女性としては決して足が遅い方ではなく、寧ろ早い方だと思っているが、さすがに追うのが辛くなってきて、アシュリーはヴィルヘルムに呼び掛ける。
同時に一旦足を止めて欲しくて、彼の羽織っている上着に手を伸ばし、控えめに引っ張った。
直後に、大袈裟に肩を震わせたヴィルヘルムが足を止め、アシュリーは彼の背中に軽くぶつかることになってしまう。
それほどの痛みはなかったので、ゆっくりと離れながら上目遣いがちに見上げると、恐る恐ると言ったように体を反転させて振り返るヴィルヘルムと目が合った。
一瞬の間があって、じわじわとヴィルヘルムの頬が赤く染まっていく。すぐに彼は視線を逸らしてしまったけれど、耳元まで赤くて、アシュリーの顔もつられて熱くなってしまう。
「す、すまない」
「い、いえ……こちらこそ、申し訳ございません」
それきりお互いに気まずくなり、会話が途切れてしまった。
傍から見れば不思議な光景だっただろう。成人した男女がお互いの顔を見ないようにしながら真っ赤な顔をしているのだから。
だが、そのことを指摘する第三者が現れることはなく、ふたりは黙ったまま、赤くなった顔を隠すのに──心の中に感じた気持ちを押し留めるのに必死になっていた。
「──あの!」
このままでは駄目だと、先に静寂を破ったのはアシュリーの方だった。
「わたしたち、どちらへ向かっているんでしょう……?」
「あ、ああ、騎士団の兵舎の……俺の執務室へ向かうところだ」
意を決して問い掛けると、一瞬肩を揺らしたヴィルヘルムはまだ僅かに赤い顔をこちらに向けて、すぐに答えをくれた。
「ゆっくり話ができるところと言えば、そこぐらいしか思い付かなかった。男ばかりで、あなたにとってはあまり好ましくないところだと思うが……申し訳ない」
眉を下げてヴィルヘルムは言った。
彼の言葉に驚いて返事をできずにいると、何やら慌てた彼が言葉を続けてくる。
「兵舎の中に団員はいるが、執務室には俺とふたりになる。それが心配なら、あなたの信用に足る人物を付けてもらって構わない。何なら、ローウェルを呼ぶでもいい」
ローウェルの名前を出した瞬間、ヴィルヘルムの声音が若干強張った。




