3-10. 真実と告白(4)
言うべきではないのかもしれない。
彼の言葉を受け取って、婚約して、結婚して……アシュリーが狡猾な娘であればきっとそうしただろう。
今ここで言わなければ、この体がすでに純潔でないことを知られることはないかもしれない。
それにヴィルヘルムだって、《シェリー・ダンフォード》に手を出している。
そのことをふと思い出して、アシュリーはくちびるを噛んだ。自分が変装していた姿とは言え、ヴィルヘルムにそう言う対象として見てもらえた彼女に嫉妬するなんて、ひどく醜い。
けれど、言わなければアシュリーは後悔するだろうと思った。ヴィルヘルムを騙して手に入れた幸せでは罪悪感の方がきっと勝る。
両親には怒られるだろう。ラインフェルト家との縁談ならば良縁としか言いようがない。縁を切られても仕方がない。
そして何より、この話を伝えたらヴィルヘルムとは元の関係には戻れない。
覚悟していたことなのに、苦しくてたまらない。
「……わたし、は」
呼吸をして、今度こそ、覚悟を決める。
──仕事を辞めて、修道院に入って、……この人の前から姿を消そう。
「わたしはもう……純潔では、ないのです」
頬を笑みの形に作って必死に笑おうとしたけれど、上手く笑えなくて、声も震えてしまう。
ヴィルヘルムが息を飲んだのがわかって、早くこの場から逃げ出してしまいたいとアシュリーは思った。
「ですからわたしなんかではなく、ラインフェルト副団長に相応しい方を見つけてください。……申し訳ございません」
あまりに強く握り過ぎて、膝の上のスカートに皺が寄った。
「それでは、わたしはこれで……ごめんなさい……」
ヴィルヘルムの反応を知るのが怖くて、アシュリーは立ち上がってこの場から去ろうとする。
けれど、ソファーから立ち上がって逃げようとしたアシュリーを引き留めたのは、ヴィルヘルムだった。
伸びてきた大きな手がアシュリーの華奢な手をしっかりと掴み、彼女が逃げようとするのを阻む。
引き留めているのがヴィルヘルムだということはわかっていたのに、反射的にアシュリーは視線を上げてしまった。
そして目に映った彼の表情に、彼女は目を見開く。
上げた視線の先にいたのは、顔を見る見るうちに真っ赤に染め、口元を手のひらで覆ったヴィルヘルムの姿だった。
はしたないことを口にしたことは、わかっている。だからいい顔をされることはないだろうなと思っていたけれど、怒るわけではなく冷ややかな態度になるわけでもなく、予想外の反応をされてアシュリーはあ然とする。それどころか、つられて頬が熱くなるほどだ。
「……アシュリー嬢、すまない。そのことも、きちんと話を、しよう」
「わ、わたしはないですっ」
「あなたがなくても、俺にはある」
ヴィルヘルムの言葉を否定して掴まれた手を振り払おうとするが、力の差は歴然としていて振り払えない。
「誰でも良かったわけじゃない。他の女性だったら、適度に相手をしたあと、頃合いを見計らって殿下の護衛に戻っていただろう。……例え姿が違っても、あなただから触れたいと思った」
アシュリーの心臓が、どくんと大きく跳ねる。
それじゃあまるで、と期待が胸を過ぎる。ヴィルヘルムから視線が離せない。
「俺はあの夜だけで終わらせるつもりはない。《シェリー・ダンフォード》──いや、アシュリー・マクブライド嬢、あなたがそのつもりだったとしても」
ヴィルヘルムの言葉にアシュリーは目を見開いた。
濃紫色の瞳がすべてを知っていると言うように見つめてきて、アシュリーは動揺を隠せなかった。
──そんな、どうして、いつから……?
疑問が浮かんでは消えることがないまま頭の中を回る。けれど混乱した頭では誤魔化すための言葉なんて出てこない。
逃げなければという焦燥感に駆られて必死に抵抗したが、ヴィルヘルムが掴んだ手を離してくれることはなかった。
「……ど、して……」
困惑の中、アシュリーが口にできたのは問い掛けだけだった。
どうして、知っているの。
誰から聞いたの。
──いつから、気付いていたの。
聞きたいことは山ほど溢れてくるのに、言葉にならない。
ローウェルは確か、話をして欲しくて場を設けたと言っていた。ならば──。
「初めから、知ってたんですか……?」
ならば、ヴィルヘルムも最初から知っていた可能性も十分にある。
頭を過ぎった予感にアシュリーの瞳が揺れた。
恐る恐る、声を絞り出す。
だが、ヴィルヘルムはアシュリーの問い掛けに考える間もなく首を横に振った。
「いや、ローウェルと……話を聞いていたらしい殿下はご存知だったが、ジェラルドと俺は何も知らされていない。だからあいつの隣に別人に成りすましたあなたの姿があったときには、驚いた」
そう言ってヴィルヘルムは僅かに眉根を寄せる。
どうしてそんな険しい顔をするのか。その理由を問い掛けるより先に、ヴィルヘルムは言葉を畳み掛けてきた。
「例え髪や瞳の色が違っても、いつもと雰囲気が違っても、あなたのことを見間違えるはずがない」
ふ、と頬を緩めたヴィルヘルムがアシュリーを情熱的な目で見つめてくる。
「ローウェルにも、揶揄われた。どれだけあなたのことを見ているのかと。だがまさか一目見た瞬間に《シェリー・ダンフォード》が《アシュリー・マクブライド》嬢だと見抜くとは、思わなかったらしい」
ヴィルヘルムの言う通り、あの日のアシュリーは髪の色も目の色も異なっていたし、ドレスの形や色合いは、普段彼女が好まないようなものを身に付けていた。
言葉遣いや雰囲気も変え、ローウェルの隣に立っているのが、アシュリー・マクブライドが変装した姿だと気付かれないように努力をして。
人間は不思議なもので、容姿が普段と違っていると、イコールで結び付けることを止める傾向にある。
加えてアシュリーがあまり華やかな場に出ていなかったことも功を奏したのだろう。
シェリーがアシュリーだと気付かれた様子は、今のとろはなかった。
……ヴィルヘルムの、つい今し方の告白までは。
「最初から……ラインフェルト副団長には、気付かれていたんですね」
ぽつりと、アシュリーのくちびるから呟きが溢れる。
言葉にしたことで事実を咀嚼しやすくなって、知られているのだから、もう気張らなくていいんだと思うと、肩の荷が少し下りた気がした。




