3疑念
前世の記憶では貴族の婚約に何かルールがあったような気がする。
この世界にはそんなルールはないのかな?
現世、つまり今の自分の記憶を辿らないと、この世界の貴族のルールは分からないわよね。
えっと、よく分からない。
上手く自分でも表現できないんだけど、もしかして現世の私は最低限の読み書きしかできないんじゃないかな。
だって、どれだけ思い返してみても、記憶の中に貴族の知識がない。もしかして最低限しか習ってこなかった……?
でも学校には通っていて、クラスは一番優秀だと言われているSクラスだったわ。どういうことなのかな。
前世の感覚が今の時代の感覚と合っていないから違和感を覚えるだけ……?
それともこの世界のレベルが読み書きだけしかないものなの……?
何故、自分は今まで疑問にも思わなかったの?
うーん。よく分からない。
今まで私は人形のように静かな子だったから考えたこともなかった。そもそも自分がどういう状況に置かれているのか。明日からは周りをよく観察していかないといけないわ。
翌朝。
「ミルロア、おはよう。今朝の調子はどうかしら」
「お母様、おはようございます。まだ身体が痛み、ベッドから出られなくてごめんなさい」
「いいのよっ。貴女は無理しなくていいの。それよりも朝食を持ってきたわ。食べられるかしら」
母と一緒に部屋に入ってきたラニャはカーテンと窓を開け、ソファに置いていたクッションを取り、ベッドへと持ってきた。
そして私を起こして腰にクッションを当ててくれる。
母は一口ずつ硬いパンを小さく千切り、スープに浸して食べさせてくれる。
「お母様、一人で食べられます」
「いいのよ。無理しなくても」
いつもより時間をかけてゆっくりと食べる。自分で食べられないことにもやもやするけれど、母はいつも以上に過保護だと思う。
食事を終え、何気なく母と話をする。
「お母様、寝るまでの間、暇ですし、何か本が読みたいです」
「あら、そう? 珍しいわね。ミルロアはどんな本が読みたいのかしら」
「教科書をとって欲しいです」
「……教科書?」
母の動きがぴたりと止まった。
「えっと、学校での勉強も分からないですし、この機会だからしっかりと覚えようと思って」
「いいのよ。勉強なんかしなくても。ミルロアにはもうペリト様がいるのだし」
「……ですが、結婚しても学の無い夫人だったら笑われてしまうのではないかと思うのです」
「ミルロア、大丈夫よ。何の問題もないわ。勉強なんてしなくても平気よ。今はとにかく休みなさい」
「わかりました」
「今日のミルロアは変よ? 少し疲れたのかしら。ゆっくり休みなさい。私は家のことがあるから行くけど、何かあればラニャに話をしなさい」
「わかりました」
母はそう言ってトレーを持って部屋を出て行った。
ラニャは部屋の隅にある椅子に座り、私から呼ばれるのを静かに待っている。
私は痛みを堪えながら背中のクッションを取り、再びベッドに横になった。
さっきの母の言葉は一体どういうことなの……?
私の中でじわりと不安が滲む。
「ミルロア様、お茶を飲まれますか?」
「ラニャ、ありがとう。もらいます」
「畏まりました」
私はラニャが淹れてくれたお茶を受け取った。
「……不思議な香りのお茶ですね」
「ミルロア様への特別なお茶ですから」
たまに入ってくる心地よい風に心を落ち着かせながらお茶を口にする。不思議な香りのお茶ね。
なんだか昔どこかで嗅いだことのあるような薬品のにおい……薬、品? えっと……。
私は記憶を辿ろうとしていると、だんだん眠くなってきた。身体がやっぱり回復するために眠くなるのかしら。
「ミルロア様、大丈夫でしょうか」
「なんだか眠くなってきました。少し眠ります」
ラニャはすぐに私からお茶を受け取り、心配そうにじっと私を見つめている。そんなに心配しなくてもいいのに、ね。
私はすぐに眠りに落ちた。
「ふああっ、よく寝たわって……。寝すぎた。もう真っ暗じゃない」
慌てて部屋の中を見回してみるけれど、部屋には誰も居ないようだ。よかった。つい口調が戻ってしまっていた。父や母が私の言葉遣いを聞いたら卒倒しちゃうかもしれない。
気を付けないといけないわね。
私は窓が開いていることに気づき、窓を閉めようとベッドからゆっくり起き上がった。いっぱい寝ていたせいか、痛みは昼間よりもマシになっている。足はどうかな。
恐る恐る床に足を付けてみる。
―ズキンッ。
痛みはあるけれど、歩けそう。私はそっと立ち上がり、一歩、また一歩と自分の体の具合を確かめるように窓の方まで歩いていく。
思っていたよりも痛みは少なく、ちゃんと歩けている。が、やはり骨折した右腕だけが問題ね。
包帯でぐるぐる巻きにされているけれど、少しでも腕が動くと痛みで涙が出てきそうになる。窓を閉めようかと思ったけれど、痛みのあまり断念することにした。
またベッドへ戻り、天井を眺める。さっきまでいっぱい寝ていたせいか全く眠れないわ。
私は時間もあるし、昨日のこと思い出してみる。
もしかして父も母も過保護というものなのかしら。
甘やかしすぎて娘の私は世間を知らずに育ってきている気がするわ。でも、過保護ってよくある話でもあるわよね。
私が将来、この男爵家を継ぐ?
でも、私はペリト様と婚約しているわ。侯爵家の彼がわざわざ男爵にはならないと思う。ということは妹か弟が継ぐ予定なのよね。でも、私は生まれてこのかた兄弟に会ったことがない。
それも変よね……?
普通なら食事なり、お茶なりで顔を合わせるはずだもの。
あーなんで私はこんなにも物を知らないの!?
今までよく生きてこれたわよね。
自分で自分が怖いわ。
過保護な両親は協力してくれなさそうだし、ラニャは黙っているけれど、母の味方をしている感じにも見える。一つ疑問が浮かぶとどんどん他のことも気になってくる。でも今の自分には調べる術がない。聞いてもうやむやにされそうな家なのよね。
過保護すぎるのが逆に怖い。
ペリト様なら教えてくれるかな。
それにしてもペリト様はとてもイケメンだと思う。彼も両親と同じようにとても優しく私に接してくれる。
彼は将来夫となる人で、人形のような私を娶るのには何か理由があるのかな? とにかく今は怪我を治すことに集中しないといけないわよね。
昔から腕に蔦のような痣があるし、今回も大怪我を負ったし、多分、令嬢として致命的なんじゃないのかな。
ペリト様との婚約が白紙にならないように祈りたい。確か、令嬢は家と家を結ぶための商品のような扱いだっけ? でも私は婚約も既に決まっているし、怪我はそこまで気にされないのかな。
たくさん考え事をしているうちにまた眠くなり、私は瞼を閉じた。




